移植後初の骨髄穿刺(day43-day45)2013年07月26日 09時15分11秒

大体移植後1ヶ月くらいで骨穿というのが一般的らしいけど、そのころは脳炎でHCUにいたので、遅めの骨髄検査となりました。

結果は○。ざっと見は白血病細胞はいなかったそうです。キメリズム解析の方はあと1週間くらいかかるので、◎もらうのはお預けです。

これを聞いて嬉しいのは嬉しかったのですが、息子の方は反応薄。それくらい倦怠感と食欲不振がハンパないそうです。

熱の方は38℃超える日は減ってきました。それでもまだ一日一回はカロナールを飲んでます。

倦怠感は私の献身的な(涙)マッサージで何とか凌いでます。まだ痺れと痒みがあるので、マッサージといっても工夫が要ります。ヨガで習っているストレッチも取り入れて、表面を擦らないよう、そっとそっと小一時間かけて全身の筋肉をほぐします。

何の楽しみもない今の状況では、彼女の訪問と母のマッサージだけが心の拠りどころみたいです。たぶん食べられてゲーム出来るようになったら、すぐ忘れられると思うけどね(笑)

食欲不振はちょっと深刻で、胃のGVHDを疑って今日胃カメラを飲むそうです。プリンも3口とかなのに胃カメラ飲むなんてカワイソーすぎる。出血がコワイので前もってHLA適合血小板の輸血がありました。

よく急性GVHDのでる主な場所に皮膚と肝臓と腸管って書いてあるのでそればっかり覚えていたら、えっ胃ですか?ってカンジ。先生は冷静に体中どこにでも出ますよと言われました。

確かによく考えればそうだよな~ちょっと思い込みが激しかったみたいです(恥)でも本当のところ、この食欲不振は何が原因なのか?結果が心配です。

先週の皮膚生検の結果はやはりGVHDで、移植前にあったALLの皮膚浸潤は消えていたそうです。今のところ塗り薬でなんとか抑えられる範疇なので、これは良かった\(^o^)/今日抜糸だそうです。

よれよれの息子ですが、何とか励まして一昨日からお散歩を始めました。最初は椅子に座ってしばらく体勢を整えてから廊下を一往復です。詰所の前を通る時は看護師さんたちが手を振ってくれました。

そして無菌室の前を通ると「俺、ホントにここにいたのかな?」と今でも不思議そう。生きていくのに困らないくらいにはしっかりしてきたけど、残念ながら記憶というのはなかなか戻らないものなのですね。

熱と倦怠感と食欲不振(day38-day42)2013年07月22日 20時18分13秒

このところの息子の様子はまさにタイトルが示すとおり。

なかなかベッドの上に座っている事が出来なくて、すぐ横になってしまう。それでもほんの少しずつ快方に向かっているような気がするよと私が言うと、息子はまるで実感が湧かないと言う。

まずWBCが1600に落ちたところでいつもならグランの皮下注射だが、中身がいいので打たずにいると、今日は1800と僅かながら自力で増えている。

赤血球も網赤血球の割合が増えてきている。赤ちゃん細胞がんばってくれてるみたい。

熱も38℃台後半というのは減り、1日中37℃台をキープした日も2日ほどあった。もちろんカロナールは手放せないのだが...

そして今日の夜からついに免疫抑制剤が点滴のサンディミュンから経口のネオーラルに変わるそうだ。血中濃度が安定しているからでしょうと看護師さんが教えてくれた。

点滴台はどんどんシンプルになっていく。もう栄養と生食とホスカビルくらいかな。その分飲み薬が増えてそれはそれで大変そう。ネオーラルって臭くてデカイのね(^_^;)

ここのところの悩みだった痒みもステロイドの塗り薬でかなり治まってきた。先週やった皮膚生検の結果もそろそろ出る頃だろうか。

食欲は全くない上に、味覚障害で甘さ以外を感じなくなった。見かねた先生がカップ麺(化学療法中はよく食べていた)の許可をくれたが粘土を食べているようだと言う。

無菌食はストップしてもらい、今の主食はプッチンプリン。それ以外のものは大抵3口が限界みたい。体重は移植前64㎏だったのが今は58㎏を切った。

明日はいよいよ移植後初の骨髄穿刺。これで移植の治療効果がわかる。息子は幸せなことに骨穿のことも忘れていた。でも看護師さんたちが痛くても頑張ってみたいなことを言ったので、漠然と不安になってきたみたいだ。

ああ、私もコワイ!どうかどうかドナー由来の細胞が増えていますように!白血病細胞が見つかりませんように!祈るばかりです。

今日、血小板輸血の時不思議なことがあった。輸血は通常赤血球はO型(本来の自分の型)、血小板はA型(ドナーの型)を入れている。でも今日はB型の血小板だったの。

HLAが合ってると血小板はB型でもいいんだって~!何だかこんがらがりますね。体内でカクテルのようにいいカンジに混ざってんのかしら?血液って奥が深いのね~まだまだ勉強が足りませぬ(反省)

面会って...(day35-day37)2013年07月18日 10時11分19秒

無菌室から出た後のクリーンな一人部屋にいる時の面会ってつくづく難しい。

私たちくらいの年代になれば、相手を慮って会わないこともお見舞いのうちと思えるが、息子たち世代のノリは違う。

大抵の人は移植を手術と思っているので、手術後1ヶ月も経てばもう良くなっているだろうと、友達が誘い合わせてやって来る。

気持ちはとても有難いのだけど、記憶を失くしているので息子も適当に調子を合わせているのだが、今どうしてこうなっているのかを本人が説明できないので疲れる。

受付や看護師さんたちも追い返すわけにもいかず困っているので、システムを作った。基本面会は両親と彼女のみにする。

まず息子自身がFBで今は面会制限のある部屋にいるので会えない、面会できるようになったらこちらから連絡するという旨のメッセージを発信する。

それでも来ちゃった人は、熱があり体調が悪ければ看護師さんに断ってもらう。もし体調が良ければ、本人に取り次いで面会する意思があるが確認する。

退院後の人間関係に響くとかわいそうなので精一杯配慮するが、白血球もグラン頼みだし、赤血球も血小板も輸血に頼っている。毎日午後からは38.5℃以上の発熱がある。こんな状態ではお見舞いで元気がもらえるとは思えない。

昨日赤血球の輸血の途中から、たまらない痒みに襲われ、今まで手のひらと足の裏に出ていた発疹が広い範囲に出る。血小板じゃないのにアレルギーなの?と思ったが、あまりに痒がるので、先生にみてもらうと多分急性GVHDだろうとのこと、外用薬(ステロイド)で様子をみて下さいと言われた。
急性GVHD?

免疫抑制剤(サンディミュン)の血中濃度を安定させるのってなかなか難しいらしいので、そのせいなのかしら?とにかく尋常でない痒みで夕食もパス(泣)

このところ無菌食がほとんど食べられない。プッチンプリンとゼリーとアイスの実(ハーゲンダッツはダメ)と果物缶でしのいでいる。多くの患者がそんなものらしいけど...

思うにHCUから戻ってきた時は無菌食が美味しくないという記憶が飛んでたので、目の前に出された物をただ黙々と口に運んでただけで、記憶が少し戻ってきた今、う~んやっぱり無理!というところに落ち着いたのだろうか...(栄養課の人ゴメン!)

それでも体を取り巻いていた各種の管は大半が外され、今はローカロリー輸液と免疫抑制剤とホスカビルくらいになって動きやすくなった。

昨日MRIで脳炎の状態を調べたが大きな変化がないので、このしつこく続く熱はおそらく脳炎のせいだろうとのこと。残念ながらホスカビルとはまだまだお友達でいなければならないみたい。


一見平穏な日々(day32-day34)2013年07月15日 09時07分42秒

血液内科に戻った翌朝、ものすご~く爽やかな声で電話があり、ここのところしばらく感じたことのない気分の良さだという。記憶は2年分ほど飛んじゃってるから、まあ7月8日以降で、ということかもね(笑)

そしてゴハンもほぼ完食したというので、またまた嬉しくなる。病室にPCやPS3を持ち込めるかと聞くので、OKよというと持ってきて欲しいという。無菌室前はあれほどゲーム三昧だったのに、そんなことももちろん忘れているみたい。

いまのところ記憶が無くて一番困るのが自分の病気のことを忘れていて、体調を考えず、見舞客を通してしまうことである。一応まだ移植後1ヶ月で面会制限のある部屋にいるので、受付の人は通していいか確認してくださるのだが、私のいない時が困る。

ましてや息子の友人たちは今流行りの風疹世代である。息子も子どもの頃予防接種はしたが、移植でクリアになってしまったかもしれないし、何ともコワくて仕方がない。

あと高熱に慣れてしまったのか38℃くらい熱があっても気づかないらしく、来客の後さらに上がってしまって、また検査のため血をいっぱい採られていた。何のために輸血しているんだか(トホホ)

結局持って行ったPCもPS3も繋ぐ気にもならず、トロトロ眠ってばかり。血小板のアレルギー止めが眠気を誘うのか、本当によく眠る。朝あんなに機嫌がよかったのに、一日通して体調が安定していることは少ない。

それでも、今は幸せ♪とにかく生きていてくれた!

無菌室の小窓から覗くだけでもなく、HCUの緊迫した雰囲気の中でもなく、手の届くところに息子はいて触ることもできる。本当によかった。

今のところGVHDっぽいのは皮疹くらいで、お腹も全く壊していない。肝臓の値も指摘されないから大丈夫なのだろうと思う。

WBCは結構上がり下がりが激しくて1000くらいに落ちるとグラン皮下注射して3000くらいに上がるの繰り返し。好中球は70~80%くらい。

24時間心モニターとフェンタニル。免疫抑制剤と脳炎の薬、発熱すれば抗生剤と、もつれそうなほどのたくさんの管で繋がれている息子だが、ちょっとした変化もある。

あのデカイ黄色い袋を被ったハイカロリー輸液が、小さい濃度の薄いタイプに変更。これは口から結構食べられるようになったから\(^o^)/

次に彼女が来たらゴハン食べてる息子をみてびっくりするかもね。看護師さんたちもびっくりしているくらいだから。

HCUから血液内科へ(day28-day31)2013年07月11日 20時57分53秒

ようやく神経内科の先生のOKが出て、本来の白血病の治療をするため古巣に戻ってきました。

皆さんご心配おかけしました。ここ数日私も生きた心地がしませんでしたが、やっと落ち着きを取り戻しました。

戻って来られたのは、結果的に呼吸停止時の夜勤の看護師さんたちの処置がとても的確で迅速だった事に尽きるとのことでした。ありがとうございました。

今日その時の看護師さんにお会いしたら、蘇生しながら「心配しているお母さん(←管理人のこと)の顔が脳裏に浮かんでぐるぐる回って、絶対にこの患者を助けなきゃと思った。」と仰っていました。

毎日起きてる時間の半分くらいは病院にいるので、ちょっとうっとうしく思われてないか心配でしたが、この言葉にはやられちゃいました(涙)私の絶対この子を失いたくないという思いが伝わっていたんだと思います。

息子とゆっくり話をしてみると、やはり7月7日から遡って1~2年の記憶がすっかり抜け落ちているようです。ですから、自分が働いていた事や再発した事、もちろん移植の事もすっかり忘れているのです。

そしてまた7月8日からの事を少しずつ覚えていっているように思われます。幼い時分の事のことなどははっきり覚えていますし、大学時代のこともまあまあわかるようなのです。

移植のつらかった記憶は消えてもいいから、彼女との思い出や楽しかった記憶は戻ってきてほしいなぁ。

それにしても生後4か月のころ罹った突発性発疹のウイルス(HHV-6)が移植で免疫力の落ちたところでこんな風に暴れだすとは...事前に説明は受けていたものの、命に係わるようなことになるとは想像もしていませんでした。

今は免疫抑制剤に、時々輸血、時々グラン、といった感じで、WBCは2800、好中球も70%くらいになっています。脳炎の方は抗ウイルス薬(ホスカビル)と抗てんかん薬(アレビアチン)も継続して投与されています。

まずは生着したばかりの白血病と脳炎の治療が優先、そして記憶障害の方はぼちぼちリハビリをといった方針のようです。

もうひとつ今日嬉しかったのは、無菌室から出て初めて病院の夕食(まだ無菌食だけど)を食べたこと。ちゃんとした食事を食べたのは4週間ぶりくらいでしょうか?ほとんど完食しました\(^o^)/

HCUで七夕デート(day26-day27)2013年07月07日 22時25分08秒

昨日はモノスゴイ一日でした。

朝行くと、やはり息子はいつもの息子に戻ってはいませんでした(涙)

これでもしかしてリリカの副作用や心因性の記憶障害かも?という微かな望みは消えました。

どんどん記憶障害が進み混乱がひどくなる息子ですが、おっとりと何も困った様子は見せず、何度も現状の説明を求めます。

とうとう自分が移植を受けたことすら思い出せない状態になってしまいました。まるで別の人間になってしまったようでした。

唯一の救いはあれだけ悩まされていた上半身の神経の痛みがあまり感じなくなっていることだけです。それも救いといっていいのかどうか...。

自分がどのような状態にあるのかを忘れてしまうので、危なくて目が離せません。血小板が低いので転ばないようにとか、手洗いうがいをしなくてはとか、あれだけ無菌室で気をつけていたことも白紙のようになっていました。

それでも一日付き添って面会終了時刻には後ろ髪をひかれる思いで病室を後にしました。

くたくたになって夕食、入浴を済ませた午後11時ごろ、突如携帯が鳴り、一時意識がない状態になったのですぐ来院してくださいと言われました。

その驚きと悲しみは筆舌につくしがたいものでした。取るものも取りあえず駆けつけると酸素マスクをつけた息子がベッドごとCTの検査室に運ばれるところでした。

もう意識は回復しているようでしたが、HHV-6ウイルスの再活性化による痙攣と呼吸停止で一時意識がなくなったとの説明でした。幸い呼吸停止はウイルスによるものではなかったようで人工呼吸器をつけるには至りませんでした。

あの過酷な移植のトンネルを抜けた先に待っていた生着の喜びと相反するように、今度は恐ろしいウイルスの日和見感染が待っていました。

事前に説明は受けていたものの、予防的な措置はされていたので、まさか自分の息子に降りかかってくるとは思ってもみませんでした。

結局HCU(ハイケアユニット)に移され様子を見てもらうことになり、私たちも明け方まで付き添って一旦家に戻りました。

私は一大決心をして息子の彼女に電話をし来てもらうように頼みました。ずっと彼女が会いたがっていたのに、息子は無菌室で苦しむ自分の姿を見せたくなくて、待ってもらっていたのでした。

昨夜のようなことがまた起こって、万が一彼女に一度も会えずに逝ってしまったら、そこまでなくとも人工呼吸器が着いて話せなくなってしまったら、息子も彼女も可哀そうで悔やんでも悔やみきれません。

奇しくも七夕デートになりました。彼女には予め事情を説明しておきましたが、ひと目みてショックを受けたのはわかりました。それでも気丈にも最後まで涙をみせずにいてくれたのは本当にありがたかったです。

息子は最初ぼーっとして反応が薄かったのですが、はっと目に光が宿り彼女の名前を呼びました。そして2人でアルバムを見ながら思い出を辿っているようでした。

今後は本来の移植後の治療を受けながら、抗ウィルス薬や抗てんかん薬を継続し、ここから数週間かかってHHV-6ウイルスを減らしていくしか道はなく、減ったからといって症状がなくなる保障はないそうです。

七夕の日に会いに来てくれた織姫のような彼女の笑顔が一番のお薬になりますように!

無菌室脱出成功!(day24-day25)2013年07月06日 08時52分25秒

とりあえず速報です。

WBC1300→3000と大爆発!

拍子抜けするほどあっけなくクリーンな一般個室へ移動となりました。

その朝、移植後初めてシャワーを浴びさせてもらい、気分爽快♪と言っていた息子ですが...。

この後、だんだん会話がおかしくなり記憶障害を起こしたようなのです。

一難去ってまた一難!

間髪入れず、MRIと腰椎穿刺で髄液検査のオーダーが入り只今原因究明中。

時期的にHHV-6ウィルス感染による脳炎が一番可能性が高いので、検査結果を待たずにホスカビルを増量して投与開始。

息子はうわ言のように、自分の今の状況を説明してと言い、それに答えると、また5分後には同じ質問をするという繰り返し。

その合間に苦労かけてごめんねとか正気っぽいこともいうので不憫です(T_T)

どうも短期記憶がすっぽり抜けているみたいで、ちょうど認知症の義母を相手に会話している時のような感じです。

どうか今日行ったら普通の息子に戻っていますように!

とにかく行ってきます。

でもまだ生着ってどの先生からも聞いてないんだよな~どさくさに紛れちゃって...

待ち遠しい~(day19-day23)2013年07月03日 20時28分41秒

今日の福岡は、雨や雷、果ては竜巻注意報まで発令され大荒れの天気でした。収まるのを待って午後遅くに病院に行きました。

S先生が「(血液データ)もう見ました?」と言われたので、「今来たばかりです。」と答えると、「700に増えていますよ。本人にもやっと笑顔が見られました。」と先生も笑顔で答えて下さいました。

そして生着の判断は?と尋ねると、「好中球が3日連続500超えてくることです。次の検査ではおそらく超えてくるでしょう。」と付け加えられました。

私はその場で3回くらい飛び跳ねました(実際には心の中で...)

やった~うれしい!赤ちゃん細胞でかした\(^o^)/と息子の命をつないでくれた臍帯血に「あっぱれ!」をあげたい気分です。

七夕会の日にWBC400でしたから700は大躍進です。好中球もざっと490くらいはありそうな感じなので、時間はかかりましたが順調と言っていいのでしょう。

無菌室の小窓から中をのぞくと、相変わらず電気を消して真っ暗にはしていますが、座ってテレビを見ていました。今日は清拭も自分からすすんでお願いしたみたいです。やっとその気になれたのね~。

そして私を見ると手をあげて軽く挨拶!遠くてはっきりは聞こえなかったけど「今日は熱もないし調子いいよ。」と言ったように思えました(読唇術か?)

尽くしても尽くしても振り向いてくれない相手がやっと振り向いてくれたような嬉しさでした(意味不明)。

白血球が上がってきたことで熱はちょっと治まったようですが、喉の痛みと痺れるような体の痛みと皮疹はまだあるようです。

それでもポカリが吐き出さずに飲めるようになり、薬も経口に戻っているみたいです。食べ物まではまだまだですが、一歩前進です。

このブログに書いている息子の様子はすべて伝聞です。この何週間か息子はインターフォンにも出られず、スマホも見ようとしないので意思の疎通が取れませんでした。

本人に聞けないもどかしさと何が起こっているかわからない不安でいっぱいの私に、毎日担当の看護師さんが発熱や痛み、身体の様子や精神状態を細かく教えてくださいました。

これには随分救われました。本当に感謝しています。無菌室解放の日まで、もうしばらくよろしくお願いします。

これってやっぱり↗? (day16-day18)2013年06月29日 09時56分03秒

増えてきました、白血球\(^o^)/

技師さんがカウントしてくれていた70個の次はいきなり300個へと大躍進!おかげで手作業カウントの欄は消えて機械カウントのみになっていました。

好中球も2種類合わせて71%になっていたのでいいカンジです。主治医の先生も廊下をすれ違い様ににっこりして「増えとるね。」と言われたので、思わずハイタッチしそうになりました(さすがにしなかったけど...)。

そんな無菌室の外の喜び様を知ってか知らずか、本人は具合の悪そうな状態が続いています。

熱はようやく37度台をウロウロするくらいになりましたが、入れ替わるように皮疹と疼痛が現れました。

皮疹は痛くも痒くもないそうなのですが、体の痛みは半端ないらしくて見ているのが可哀そうになります。どこか体の痛くないところを探してベッドの上であちこち体位を変えて凌いでいるみたい。

最初下半身に痺れと痛みが現れ、足浴をしたりさすってもらったりしたのですが、一時的に軽減してもすぐぶり返し、次の日からは上半身の方まで広がってきました。

心配して何か脳の方に異常でも?と尋ねたら、先生が「中枢の方ではないと思う。おそらく免疫抑制剤の副作用じゃないかと思うので様子を見ましょう。」と仰ったので少し安心しました。

喉の痛みも口内炎も相変わらずですが、おしりの方はまだ大丈夫みたいね。ただトイレに行くのに地面に足を着くと激痛が走るようでこれがまた悩ましい。しかもむくみが出て利尿剤入れられたのでトイレの回数が増えるというオマケつき。

次から次にと色んな痛みが修行のように襲ってくるので、その度に傍らで自分も痛みを感じるような気になってしまいます。そんな訳ないやろっ!て息子に怒られそうですけど(確かに...笑)。

WBCゼロは未知の領域なので怖くてたまりませんでしたが、どうにか300まで帰ってきました。300はいままでの化学療法の骨髄抑制期でも経験した数値なので恐怖感はだいぶ薄らいでいます。

移植で臍帯血を頂き、毎日のように赤血球や血小板を輸血してもらって、見知らぬ人の善意で生かされている息子。

外見こそ息子の形ですが、中身はすっかり入れ替わって新しい人間になっていくような感覚にふと捕らわれます。先輩患者さんたちが移植日のことを第2の誕生日と呼ぶのがわかるような気がします。

ぼちぼち動きが(day13-day15)2013年06月26日 10時38分43秒

今週に入って熱が高く、解熱剤で下げても下げてもまた上がるの繰り返し。でもステロイドが開始になったので、それにはよく反応しちょっと落ち着いているときもあります。

念のためCTも撮りましたが、肺炎などの異常はなく、生着に向けての順当な道を辿ってはいるようです。

まだ喉の痛みや口内炎は続いていますが、加えて今度は皮疹が出て来たらしく、保湿ローションセキューラMLをたっぷり塗ってもらっているようです。

前回血液データの見方がよくわからないので、担当の先生に伺ってみました。

さすがにWBC1か0(単位×10*2)じゃ大雑把すぎると思ったもので、機械でカウント出来ないのはどうなっているのかを尋ねたところ、「検査技師さんが顕微鏡で見て1個ずつカウントしているんだよ。」とのお答え。

じぇじぇじぇ~@@;そうだったのね。技師さんありがとう!そんな凄いローテクが支えてくれていたとは知りませんでした。

そして手作業カウント白血球の項目を教えて頂き、以前のデータと突き合わせてみると...どうも息子の場合2個の時は0表示が、4個の時は1表示が!ここにボーダーがあったのでした(勝手に納得!)

その後40個→59個と増え、完全に1表示で安定。もう0には戻ってほしくありません。好中球の方も少しずつ増えています。

これってぼちぼちってことですか~?先生は慎重な言い回しをされるけれど、思わず顔がほころんでしまいます。

どうかどうかこの増え始めた白血球がドナー由来のものでありますように!