移植後10年経ちました!2023年06月17日 20時13分42秒

6月は私たち家族にとって特別な月。

1年に1回だけど息子にさい帯血をくださった方に心から感謝をする月。

息子もようやく10回目のセカンドバースデイを迎えることが出来ました。

ありがとうございます。

なかなかバリバリとまではいきませんが、ぼちぼちやっております。

心臓の薬とは一生のお付き合いだし、皮膚には毎日ヒルドイドが欠かせないし、生活習慣病のリスクも普通の人より10年は早く来るらしいけど、生きてるだけで丸儲けと言い聞かせて欲はかかないようにしています。

私たち夫婦もいわゆる高齢者という部類に入ってきましたので、いつまで息子を守ってやれるかわかりません。

いいお相手を見つけ自身の家族を作ってもらいたいとは思うものの、本人は至って呑気でその気はないみたいです。

そのうちこちらが面倒を見てもらうことになりそうですが、その後は寂しくないのかなぁ。

白血病にならなくとも、移植はしなくとも、一生独身で楽しく過ごす人もいらっしゃるので何が幸せかはわかりませんよね。

10年は節目の年だと思います。

長年お世話になったリボンの会も役目を終えて解散しました。

新しい一歩を踏み出す時なのかもしれません。

リボンの会解散2023年04月05日 06時35分21秒

福岡市を中心に30年間活動されていた患者・家族会のリボンの会が幕を下ろしました。代表の宮地さんスタッフの皆様お疲れ様、そしてありがとうございました。

当ブログからのリンクも解除いたしましたが、代表の挨拶がありますのでここに最後のリンクを貼らせて頂きます。

http://ribonnokai.info/

移植後9年経ちました!2022年06月10日 16時18分34秒

息子についての更新記事が1年に1回になったことは喜ばしいことだとは思う。

毎年、この時期リボンの会に雀の涙の寄付をし、臍帯血の提供者の親子に感謝をする。

相変わらず普通の人よりはひ弱なだけでコロナにもかからず、仕事と趣味とスポーツをバランスよく続けているが結婚する様子はない。

定期検診も半年に1回になったようだ。母が亡くなってからは私も病院に行かなくなったのでよくわからない。

次男家族に子どもが出来て私は祖母になり彼は伯父になった。甥をとてもかわいがりはするが自分の家族を作ろうとは思わないらしい。

いずれは親の方が先に逝くだろうから寂しいよと言うが、そしたら犬を飼うと言ってはばからない。

どことなく社会的に幼さが残っていて親としては心配にはなるものの、手元に置いておく方がまだ安心な部分もあるのでなんとなく独立を促せない。

まあ、あと1年、10年経つまではモラトリアムなのかもしれない。

このぬるま湯生活を心地よく感じるなら今はまだそれでもいい。生きてるだけで丸儲けだもんね。

次の更新は1年後かな?でもここからリボンの会へ繋がる人もいるかもしれないのでせめてブログは閉鎖せずに残しておこう。

母永眠2021年11月20日 11時02分44秒

このブログは白血病の息子の闘病記として始めましたが、途中母が悪性リンパ腫になり時々登場していました。

初発が79歳の時でしたが、頑張って治療した結果リンパ腫と共存しながらも91歳まで余生を楽しむことが出来ました。

加齢と共に色んな病気にかかりましたが最後は老衰ということで天寿を全う出来たのだと思います。

治療や看護にあたってくださった医療スタッフの皆様、ならびにネクサスやリボンの会などの患者会の仲間たちにも心からお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

移植後8年経ちました!2021年06月11日 11時07分36秒

息子はコロナにもめげず何とか無事に生き続けて8歳になりました。

6月はセカンドバースデイ月、ようやく移植後8年が経過しました。

実年齢は35歳のオッサンですが、見かけは大学生に間違えられます(^-^;

でも相変わらず移植後の彼女いない歴を更新し続けております。

仕事は家業とドラッグストアのアルバイトのWワークです。

趣味は人工股関節にもめげずテニスを続けています。

池江璃花子さんほどの超人的な回復はないにせよ、見た目にはちょっと虚弱な普通の若者(オッサンか?)です。

ただただ生きていることに感謝です。

そして毎年この時期には息子に臍帯血をくださったお母さんと赤ちゃんや、移植治療を支えて下さった医療スタッフの方々に感謝しながら、どうか幸せな人生を歩んでくださっているよう願うばかりです。

何年たっても御恩は忘れません。本当にありがとうございました。

また次の一年を無事に過ごせますように!

母の定期受診2021年03月15日 09時24分27秒

母の加齢による弱り方が年を越してから加速度的に進んだ。
コロナの影響もあるだろうが卒寿を越えていたし方のないものもある。

今回もCTの結果に特に大きな異常は見つからなかったのでまずは安心した。しかし時間のかかる大きな病院での3ヶ月ごとの受診が親娘ともども大変な負担になってきたので先生に受診間隔を空けてもらうようお願いした。

先生も飲み込み顔で「何かあったらいつでも連絡してください。」と仰り
次は1年後の受診予約をして下さった。

脚が悪くなると同時に物忘れもひどくなり、自分のことを百歳と信じているので(実に10歳の逆サバヨミ⁈)それなりにおめでたくはあるが(^-^;

この年齢に達したらもちろん血液疾患以外の疾患で亡くなる可能性も大だから、他の受診も最低限の近所で済ますことにしよう。疲れ果てて帰りの車の中で眠りこけている母を見てその思いがますます強くなった。

悪性リンパ腫の初発から11年。最高の医療を受けさせて頂いたと思う。実際私もここまでよくお世話にをさせてもらったよね。

今後はどういう着陸を目指すのか模索する時期に入ったのだと思う。母の終活を本人の希望を踏まえながらスピーディーに進めていく覚悟を決めた。

2021年はまったく先が見えない2021年01月24日 11時09分23秒

新年が新年らしくなくやって来てしまいもう1月も終わりに...

先が見えないこんな状況は移植直後の状況と似ているので私たち移植患者家族にとっては慣れているのかもしれない。

とはいえ周りの人たちが過度にナーバスになっていく様子が怖くもあるし
逆にまったく我知らずで生活様式を変えない人も恐ろしい。

新年早々、我が家ではちょっとした変化があった。
大学進学後12年間東京で暮らしていた三男が転職し帰福したのだ。
どちらも緊急事態宣言の出てる地域だから仕方がないとはいえ、やはり周囲に気を使ってPCR検査も受けさせた。

引越しを手伝いながら今まで感じたことのない安堵の感情が生まれた。
この子に関しては長男の闘病期に重なりあまりかまってやれなかったし
東京での生活を経済的には苦しくとも楽しんでいたので良しとしていた。

だが何かの時に駆け付けられる距離に居てやれる(これからは居てもらえるだろうか?)のはこれほど心強いものだとは思わなかった。

こんな状況なので帰ってきてもどちらの祖母にもまだ会えていない。
また4月に生まれる予定の孫(彼にとっては甥)にもすぐに会えないかもしれない。

まあそれでも私にとっては心配事がひとつ減って年初めの明るいトピックスとなった。

今年もよろしくいお願い申し上げますm(__)m

息子の定期受診&母の定期受診2020年12月15日 15時35分46秒

今回息子と母のW受診の予約だったが息子が1週間早めて受診。
特筆すべきことはなく問題なしだったらしい。

母の受診には付き添ったがこちらもそれなりに良好。
ミルセラの効果が出ているらしく貧血が改善していた。
3ヶ月に1度の注射でもこんなに効果があるなんて投与してもらってよかった。

コロナの状況下でも2人とも何とか逃げおおせているのはありがたいこと。
感染予防対策も特に変わったことはしていないが移植の時の体験が普段から身に付いているので大丈夫なのだろうか?

2人とも十分ハイリスクだとは思うのだが(^-^;

ともあれ次回は、母は3か月後、息子は半年後。
世の中はどのようになっているだろうか?

池江璃花子さんスゴスギル2020年08月31日 09時09分23秒

筋力や体力が落ちてもスキルとマインドでここまでやれるとは...
やはり超人だとしかいいようがない。

普通の人は移植後何年もまずプールに入ることすら許可されない。
プールや更衣室はばい菌だらけだからというような説明を受けて却下。

先日のインカレ予選での20歳の泳ぐ姿は本当にまぶしかった。
どうぞこのまま順調に回復し記録を縮めていってほしい。

白血病患者の希望の星になって欲しいが無理は禁物。
誰かというより自分のために泳いでほしい。
第2の水泳人生の始まりという彼女の言葉からもそれはよく伝わってきて少しは安心した。

みんなが池江璃花子になれる訳じゃない。
彼女はやっぱり特別な選ばれし人なのだ。

複雑な気持ちのある一方で、やはりその活躍をみるのは嬉しい。

息子と母のW定期受診2020年06月13日 14時23分47秒

久しぶりの受診が同じ日に重なった。
現在母は3ヶ月に1回、息子は6ヶ月に1回。

母は悪性リンパ腫で発病後10年、一番最後に受けた手術からもうすぐ2年経つ。今日は肝エコーが入っていたが異常なし。腎性貧血を疑ってミルセラの注射のオーダーが入る。今回増量して2回目の投与。

息子は急性リンパ性白血病で初発から16年。再発から移植後7年経ちGVHDはほぼ皮膚症状のみ、心臓の収縮率が悪いので循環器内科の受診もずっと入っている。

血液内科は主治医も同じなので呼ばれたら祖母と孫が2人一緒に診察室に入るという珍しい光景が...あまり見かけないね(^-^;

お陰様で特筆するほどの異常はなく、いつものやりとり、いつもの処方箋確認のあと、先生がしみじみともう7年経ちましたかぁと仰った。

まあ色々あったけどこれくらいなら良しとしよう!
そういう暗黙の了解の上に成り立つ会話だった。
今も生きているんだし。

また次回も同時受診の予約を入れて部屋をあとにした。
病院は厳戒態勢が取られていて人も少なかったように思う。

医療従事者の人は激務の上長期戦で本当に大変ね。
心から感謝しますm(__)m