今月でやっと5歳になりました!2018年06月16日 10時05分47秒

息子の血液内科受診に本当に久しぶりに行ってきました。主治医の先生とお会いのは母の受診日以来なので3ヶ月ぶりくらいかな。

先生に「ようやくここまで来ました。」と言うと、先生もある意味感慨深げでした。私が「記念に骨髄穿刺でもやる?」と脅すと息子に激しく拒否され、先生も「まあ本人がそういうなら血液データに変化はないので大丈夫でしょう。」と仰ったのでいいことにしましょう。

ここから3ヶ月に1回のペースで数回、その後順調なら半年に1回の受診に間隔を少しずつ空けて行きましょうとのこと。

5年経った移植患者の日常は週4~5日の短時間勤務と週2回のテニススクール通いでそれなりに充実。時々は高校や大学時代の友人との飲み会へも行く。

月数日の家業の手伝いとほぼ毎日の食器洗いと洗濯物たたみと気が向いたら掃除を責任持ってやってもらっている。

これらは生活費を納める代わりに課している最低限の同居人ルールなのである。しかも将来バリバリ稼ぐ女性と結婚でもしたら主夫をやるかもしれない(母の妄想?!)ので、そのための大切な訓練でもある。

なんとかこれでギリギリ、無理せずに僅かな社会保険料と厚生年金が払える生活だ。元気な30代の男性からすれば遊んでるみたいに思われるかもしれないが、親としては充分である。

生きてるだけで丸儲けとは思うものの、母の妄想が現実になってくれたら嬉しいな~(*^_^*)

5年前にさい帯血をくださった親子ドナーさんがどうか健康で幸せでありますように!と今年も心の中で手を合わせています。

リボンの会のメンバーや応援してくださっている皆様にも心から感謝しつつ、また次の1年を生き延びてくれたらと思っていますm(__)m

母の定期受診2018年04月08日 13時16分24秒

母が福岡に来るいつもの血液内科定期受診なのだがリンパ腫の方に大きな動きはなかった。

が、身体に異常がなかったという訳ではなく、来る1ヶ月ほど前に心不全を起こし3週間ばかり実家の近くの病院に入院していた。退院後はこちらへ連れてきてうちの家で療養している。

今年の秋で米寿を迎える母だが、さすがによる年波には勝てないというか、リンパ腫のことだけでなく全身状態をみて行かなければならない時期に入ったというべきか。

しかし本人はまた戻って一人暮らしをするつもりでいるらしい。それが一番気兼ねなく楽しいのはわかるが、本人も家族も決して楽なことではない。

今回も何度も往復しなければならなかったし、とにかく自分のスケジュールが大きく左右されるので、対外的に確約ができないのが一番困る。

諦めてこちらへ来てもらいたいのはやまやまだが、母の意思を尊重するのが親孝行だと思い、また返す準備をしているのだがどうなることやら。

4月のリボンの会の交流会、今回も行けなかった。去る者は日々に疎しで、だんだん忘れられていくが、それはそれで悪くないのかもしれない。息子が再発していないって言うことだから。

人工股間節になって丸2年2018年02月23日 16時23分52秒

先日は息子は1年ぶりに整形外科を受診してきた。
レントゲンの結果、人工股関節には何も異常はなく手術していない方の股関節も大丈夫とのこと。

よかった!よかった!まずは目出度い。

最近は息子の方はもうどこへも付き添うことなく一人で行ってもらってる。

我が家にはもう一人がんサバイバーがいるので今のところはそちらを優先。
だって病院って付き添いで行くだけで何だか疲れちゃうからね。

信じられないけど、あと数日で自分も還暦を迎える.
考えてみれば自分だって元気で活動的に暮らせるのはせいぜい15年ほどである。

これを機に家政婦は引退して自分の時間を大切にしようと心に決めた。

まだ宣言してないけど...(^_^;)

雪の日の定期検診2018年01月13日 10時23分34秒

雪のちらつく中、海風びゅーびゅーの浜の町病院へ、今回も息子はひとりで出かけた。もう4歳すぎてるしね。

しかも私は今年インフルエンザの予防接種受け損ねたので出来るだけ病院のような所には行きたくないのだ(^_^;)

血液データも低いながら安定、LDLコレステロール値だけがHでやや高めらしいが問題なしとの判断なので安心する。

皮膚なども冬の乾燥にも負けずキレイを保っている。まだ例のヒルドイドローションは手放せないけど。

いつもと違うのはただ1点、「もうすぐ5歳になるけど骨髄穿刺をやってみますか?」との主治医に聞かれたこと。息子は即座にきっぱり「いえ、やりません!!!」と答えたそうだ。

退院してからは一度もやっていないよね。どんだけ嫌いやねん。ま、いいけど、本人の身体だから。

そうそう前回書いた「造血細胞移植患者手帳」だが先生はご存じだったが病棟で聞いてと言われ、上に上がるとその時対応した看護師さんは知らなかったみたいで結局もらえなかったらしい。

この病院独自の手帳があるから問題ないとのこと。そんな感じだったみたい。

そんなでこんなで私の関心はますます白血病からは遠のいていく。おそらく幸せなことなのだろう。

一旦急あればすぐに駆ける心づもりだが、無いに越したことはない。

明けましておめでとうございます2018年01月04日 23時47分18秒

年末にいい情報をFBにあげている患者仲間がいたので受け売り。

こんなのが移植直後にあったらどんなに助かったか。

自分の病名や受けた治療を自分で詳細に伝えられない患者さんは意外に多いと思う。特に高齢の方とかは。

高齢でなくてもある程度急性期を過ぎた移植患者は具合の悪い時に血液内科にかかるか、街のかかりつけ医にかかるかで迷うことも多い。

そんな時これがあれば黄門様の印籠のように効果てきめん!ていうのは例えが適切じゃないかもしれないがすごく助かるな~。

もう4年半経った息子にも支給されるのだろうか?次の受診で尋ねてみよう。

造血細胞移植患者手帳
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10601000-Daijinkanboukouseikagakuka-Kouseikagakuka/0000165044.pdf

11月のこと2017年12月02日 09時00分03秒

12月に入った。よく考えたら11月の記録を忘れていた(-.-)多忙すぎたのである。

まず息子の定期検診は、血液データの異常もなくインフルエンザの予防接種を受けられた。循環器も検査のない回だったのでいつものお薬が出ただけ。だそうです(息子一人で受診のため報告のみ)

私はその週は実家へ帰り、半年間にたまりにたまった様々な事務的な手続きなどをこなしてきた。

父の弱り方も激しいので看取りに関する書類にもサインをして施設に提出し、車椅子になってから一度も帰れていない自宅へ僅かな時間でも帰らせてあげるプロジェクトを計画実行した。

何せ足を挙上できる大きな長い車椅子から降りることが出来ないので大人4人がかりでバリアフリーでもない我が家の玄関を担ぎ上げるのである。

施設の方々には本当に頭が下がる。当の本人はそれほどの感慨もないようで大好きうな重を食べると、現在の住処へ担がれて帰って行った。

大好きなうな重も全部は食べられなかった。まだ私のことはわかるが東京からやって来た孫のことはわからなかったみたい。仕方ないか大学に入ってから会うのは初めてだもんね。8年ぶり?!

父の心臓ペースメーカーの電池交換をしないという決断をしたので、電池切れはまだ1年以上先で自己心拍もある今のうちに、こうやって父の終活を1つずつこなして行く。

帰ってくると今度は主人の入院手術があった。今年3度目であるが今回で外科的な処置はひと段落しそう。

この期間にリボンの会の講演会があったので、今回も行けなかった。だんだん血液疾患のブログから遠のいていく(^_^;)

こんな病人だらけの家族であるが、今の日本こんな家は珍しくもないと思う。なので自分も病気になる前にどんなに忙しくても自分のやりたいことはやって行こうと思う。

幸い私は元気です。
ご無沙汰している皆さん忘年会に行きたいね(^_-)-☆

母の定期検診2017年10月07日 09時15分23秒

半年ぶりに母が福岡にやってきた。

悪性リンパ腫の定期検診のためだが、一人で新幹線に乗って来福するという行為そのものが87歳になった母の健康のバロメーターとなっている。

再発からもうすぐ2年経過するが、腫瘍の大きさに目立った変化はなく積極的治療より経過観察を選んでよかったと思う。安定しているので次回検診も半年後ということになった。

「来年1月には両親のダイアモンド婚が夏には父の、秋には母の米寿があるので、当面の目標はそのあたりです。」と先生に言うと、そうか書き留めておこうと仰った。

車椅子生活の父の方もヨレヨレだがまだ辛うじて頑張っている。父が安心して施設で生活を送れていることが、母の寿命を延ばしてくれているようにも思う。

今が人生で一番楽しいひとり暮らし♪と言って憚らない母。施設に入るより公的、私的な助けを借りながらでも何でも自分でやる事がいいのだろう。

新聞が一番の楽しみで一日最低3時間は読み、気が向けば長年の趣味である謡を謡い、食事は食べたい物だけを自分で作って好きな時間に食べる。

地域に見守りのネットワークがあるのも有難い。それも母自身が活用しようとしなければ無意味なので、積極的に地域の集まりにも参加するようにしている。

離れて暮らしていると心配は尽きないが、本人の意思を尊重するためのサポート体制を作ることが親孝行なのだと思うようにしている。

全国協議会ニュースに思う2017年09月24日 16時19分03秒

7月のリボンの会の交流会に参加出来なかったのだが、会報が送られてきたので報告を読む。

同じ患者家族仲間のUさんの体験談が載っており、ああやっと気持ちの整理がついてみんなの前で話す事が出来たのだと思い感慨深かった。

うちの息子も今月は本来の誕生日(ファーストの方ね)だったので32歳になった。18歳の発病以来もう14年が経過したのかと思うと、こちらもまた感慨深い。

リボンの会報と共にいつも全国協議会ニュースが送られてくるのだが、今回は斜め読みではなくじっくりと読んだ記事があった。

2017年7月13日に日本癌治療学会が、妊孕性温存に関する診療ガイドラインを発表したというものであった。

「小児、思春期・若年がん患者の二位陽性温存に関する診療ガイドライン」を日本癌治療学会が発表したことに寄せて、大谷直子さんの寄稿があった。

長文なので直接の転載は控えるが興味のある方は協議会ニュースの302号と別冊をご覧いただきたい。
http://www.marrow.or.jp/active/news.html

うちの息子が発病した14年前はまず患者の生命が優先ということで抗がん剤治療により将来不妊になるという事は事前に知らされていなかった。当時は明確なガイドラインはなく病状と担当の医師の判断に委ねられていたと思う。

入院の翌々日からもう抗がん剤が始まっていたので、本人も家族も病気の事を受け止めるのに精いっぱいで、妊孕性という言葉すら知らずそこまで考えが至らなかった。

息子本人の生命が限りなく危険な時に孫の可能性まで考えが及ぶ親がいるだろうか?

半年の治療が終わり退院の説明があった時、本人のいないところで医師に男性不妊の可能性について尋ねると、おそらくは限りなく可能性は低いと言われ、病気の告知とは別の意味で目の前が真っ暗になったのを覚えている。

そのことを私は息子にはずっと告げられなかった。その時の医師には生命を救ってくれたことだけで充分に感謝していたし、保存の猶予もなかったと理解している。

しかし再発した4年前には世の中の状況が変化していたので、治療の前にまずは妊孕性の温存について尋ね、検査を受け保存することが出来た。

男性より難しい女性の場合でも今では受精卵のみならず未受精卵の保存が認められるようになった。

卵子保存・体外受精費用の助成に特化した「こうのとりマリーン基金」のキャッチコピーは「あしたも赤ちゃんもきっと来るから」だそうだ。

昔白血病は明日が来ないかもしれない病気だった。でも医学の進歩により明日が来る可能性は格段に高まった。でもその後の人生は...?赤ちゃんだって望めば来てほしいと思うのは贅沢なことなの?人間として当然の思いだろう。

今はまだ自分の生活を充実させるだけで精一杯の息子だが、来年移植後5年を迎えたらそろそろこの病気の呪縛から逃れて、パートナー探しに力を入れてくれるのかな~?

秋は色々感慨深い季節である。

定期受診(血液内科+循環器内科)2017年09月03日 10時08分57秒

2ヶ月に1度の定期受診日。今回私は主人の抗がん剤治療に付き添って行ったので、息子には1人で行ってもらう。最近はずっとそうだけど(^_^;)

血内の方は順調で血液データに特に問題はなかったが、何故か循環器内科のお薬が今までのアーチストに加え、もう1種類(エナラプレル錠)増えていて息子はちょっと不満そう。誰だって薬が増えるのは嫌なもんだよね。

最近の息子は皮膚症状が少しあるくらいで、週2回のインドアテニスを楽しみ、人工股関節の調子もよく、仕事もほどほどにこなして(笑)快適に暮らしている。

自覚症状のない心臓の薬が増えるのは納得がいかないみたい。しかし場所が場所だけに主治医の判断には従うしかない。

あ~、いつになったらお薬ゼロの生活が楽しめるようになるのかな?移植直後に比べたら激減したものの、なかなかスッキリとはいかない。

私は生きてるだけで丸儲けと思っているけどね♪

未来プロジェクト2017に参加する2017年08月28日 23時00分04秒

今年で3回目の参加である。本人もすっかり慣れたのでもちろん今年も一人で出かけた。

自分の体験談を人に語るのは自分を客観視するいい機会である。ましてや対象がこれから医療に携わっていく若者たちなので、本人もやりがいを感じているようだ。

1年に1度、初心に帰るような気持ちがすると言って帰って来た。今年はもうあまり内容を尋ねなかったが重い相談もあったみたい。

有意義なイベントだが今年で最後のような噂もちらっと聞こえてくる。何らかの形で今後も関われるとよいのだが...。

この4年はまさにリアルタイムで社会復帰へのステップと重なっている。タムリーにオファーを下さったCYさんはじめ関係者の方々に感謝している。