検査入院の結果2018年11月15日 08時36分07秒

3日間の検査入院の結果、やはり悪性リンパ腫の確定診断はつかず。CTやPETと同じように、回腸に3㎝ほどの腫れがあることは間違いないようで、手術で取ってから組織検査をして病気を調べるという順序になった。

それにしても88歳になってからの大腸カメラや小腸透視(バリウム飲むヤツ)はかなり堪えたようでフラフラになって退院した。しかも入院中に予め荷物を運びこんでおいたサ高住へそのまま入居。母にとっては至難の一日だったろうが、私も疲れ果てた。

腫瘍は小腸でも大腸にかなり近い部分に出来ているので、覗いてみて必要なら大腸も切除するらしい。小腸どうしをつなぐより、大腸と小腸をつなぐ方がはるかに難しいらしいのでそうならない事を祈る。

循環器の先生のOKも出たので今月末の手術が決まった。退院については何も決まっていないのだが、おそらく2~3週間くらいだろうな。前回の手術のあとが癒着している可能性が高いので開腹になるだろうし。

とにかくこのまま置いておいて腸閉塞でも起こされるとたまらないので、取り敢えず切って中身を調べる。リンパ腫ならこれ以上の治療はしない。それ以外のもので悪性の場合はそこからまた治療方針を考えるという事らしい。

昨日のカンファレンス、母には半分も理解出来ていないだろうな~。キーパーソンとなる家族がいない人は高齢になって大病したらどうなるのかね。娘のいない我が身がふと心配になる(-_-;)

母のリンパ腫再々発2018年11月11日 08時40分20秒

PETの結果は限りなくクロに近かった。というのも悪性リンパ腫の場合生検のみが確定診断の基準であるため、ある意味状況から見ての判断である。

3年前にも再発を疑われたが、場所が縦隔で腫れていても生活に支障が無かったため経過観察を続けていた訳なのだが、今回は回腸、しかもかなり大腸寄りの場所なので、放置した場合腸閉塞など生活に支障が出て来る可能性が大きい。

放置したまま症状が出て緊急手術などになる方がリスクが高くなるので、定期受診で早期発見出来た今のうちに外科手術で取り除く方がいいとの主治医のアドバイスを受け、一度自宅に帰した母をまた福岡に連れて戻って来た。

先週は消化器内科・外科を受診し外来で出来る検査が行われた。もともと大動脈弁狭窄症と心房細動のある母なので、全身麻酔での手術に耐えられるかどうかを判断してもらうため、循環器内科も受診した。

外来での検査には体力的に限界があるので、明日からは入院して大腸カメラと小腸の透視をしてもらう。

それと並行して母の一時的な住居探しも行った。家には他にも病人がいるし、外科手術後に退院してきた時に階段の多い我が家では生活しづらく、ほとんど動かない生活になってしまう。今でも3階の住人となりほとんど一日中動かない(^_^;)

ようやく家から5分ほどの所にサービス付き高齢者住宅を見つけ、母を説得して春まではここに住んでほしいというと、さすがに9年前とは違って何が何でも自宅へ帰るとは言わずに了承した。

検査入院中に引越しを済ませておき、退院後はここでの生活に慣れてもらいながら本番の手術を待つという手はずを整えた。

なんという目まぐるしい2週間であったことか(-_-;)

おかげですっかりリボンの会の医療講演会のことが吹っ飛んでいた。気付けば昨日終わっていたのだ。病気の渦中にいる患者家族にとってはなかなか行きづらいものなのだと今回初めてわかった。

この数ヶ月のこと、あれこれ2018年10月11日 19時49分53秒

前回ブログを更新した直後に実家の父が亡くなった。ちなみに父は血液疾患ではない。87歳だったので年に不足もない。4月にフライングして米寿&ダイヤモンド婚の祝いを開いていたのでホッとした。まずはいい人生だったのではないかと思う。感謝。

次に息子だが9月の検診も無事クリアし、めでたく実年齢の誕生日を迎え33歳になった\(^o^)/初発が18歳だから白血病との付き合いは15年になったんだな~。

ピカピカに元気だった年月に、病気と共に生きる事になった年月がどんどん追いついて行く。じきに抜かれてしまうのだろうが、取り敢えず生きていることに感謝。

血液内科は次回まで3ヶ月おきだが、その次からは半年に1回になるらしい。循環器の方は薬の関係上3ヶ月に1回のペースを変えられないのだろうな。

ここのところリンパ腫に動きのなかった母にちょっとした変化があった。今回の定期受診で久々にCTを撮ったら、今までになかった腫れが回腸に出来ていた。

すでに3年前に縦隔に再発が認められていたのだが、QOLに影響が無かったので無治療経過観察を続けていた。今回も様子見かと思われたが先生が一応PETを撮った方がいいと診断されたので久しぶりに撮りに行った。

結果が出るまでに福岡に滞在できないので何とも落ち着かない気分だが明日実家へ送っていく。

さてPETに反応するか?何か別の物で全く問題ないのか?

加齢による大動脈弁狭窄症で心房細動のある母なので、どうせ強い治療は出来ないだろうが、初発の時のように通過障害が起こり食べ物が食べられなくなる事だけが心配。

現在の母は何でもよく食べ、ビールも毎日飲み、そんな気配は微塵もないので杞憂であることを願っている。

今月でやっと5歳になりました!2018年06月16日 10時05分47秒

息子の血液内科受診に本当に久しぶりに行ってきました。主治医の先生とお会いのは母の受診日以来なので3ヶ月ぶりくらいかな。

先生に「ようやくここまで来ました。」と言うと、先生もある意味感慨深げでした。私が「記念に骨髄穿刺でもやる?」と脅すと息子に激しく拒否され、先生も「まあ本人がそういうなら血液データに変化はないので大丈夫でしょう。」と仰ったのでいいことにしましょう。

ここから3ヶ月に1回のペースで数回、その後順調なら半年に1回の受診に間隔を少しずつ空けて行きましょうとのこと。

5年経った移植患者の日常は週4~5日の短時間勤務と週2回のテニススクール通いでそれなりに充実。時々は高校や大学時代の友人との飲み会へも行く。

月数日の家業の手伝いとほぼ毎日の食器洗いと洗濯物たたみと気が向いたら掃除を責任持ってやってもらっている。

これらは生活費を納める代わりに課している最低限の同居人ルールなのである。しかも将来バリバリ稼ぐ女性と結婚でもしたら主夫をやるかもしれない(母の妄想?!)ので、そのための大切な訓練でもある。

なんとかこれでギリギリ、無理せずに僅かな社会保険料と厚生年金が払える生活だ。元気な30代の男性からすれば遊んでるみたいに思われるかもしれないが、親としては充分である。

生きてるだけで丸儲けとは思うものの、母の妄想が現実になってくれたら嬉しいな~(*^_^*)

5年前にさい帯血をくださった親子ドナーさんがどうか健康で幸せでありますように!と今年も心の中で手を合わせています。

リボンの会のメンバーや応援してくださっている皆様にも心から感謝しつつ、また次の1年を生き延びてくれたらと思っていますm(__)m

母の定期受診2018年04月08日 13時16分24秒

母が福岡に来るいつもの血液内科定期受診なのだがリンパ腫の方に大きな動きはなかった。

が、身体に異常がなかったという訳ではなく、来る1ヶ月ほど前に心不全を起こし3週間ばかり実家の近くの病院に入院していた。退院後はこちらへ連れてきてうちの家で療養している。

今年の秋で米寿を迎える母だが、さすがによる年波には勝てないというか、リンパ腫のことだけでなく全身状態をみて行かなければならない時期に入ったというべきか。

しかし本人はまた戻って一人暮らしをするつもりでいるらしい。それが一番気兼ねなく楽しいのはわかるが、本人も家族も決して楽なことではない。

今回も何度も往復しなければならなかったし、とにかく自分のスケジュールが大きく左右されるので、対外的に確約ができないのが一番困る。

諦めてこちらへ来てもらいたいのはやまやまだが、母の意思を尊重するのが親孝行だと思い、また返す準備をしているのだがどうなることやら。

4月のリボンの会の交流会、今回も行けなかった。去る者は日々に疎しで、だんだん忘れられていくが、それはそれで悪くないのかもしれない。息子が再発していないって言うことだから。

人工股間節になって丸2年2018年02月23日 16時23分52秒

先日は息子は1年ぶりに整形外科を受診してきた。
レントゲンの結果、人工股関節には何も異常はなく手術していない方の股関節も大丈夫とのこと。

よかった!よかった!まずは目出度い。

最近は息子の方はもうどこへも付き添うことなく一人で行ってもらってる。

我が家にはもう一人がんサバイバーがいるので今のところはそちらを優先。
だって病院って付き添いで行くだけで何だか疲れちゃうからね。

信じられないけど、あと数日で自分も還暦を迎える.
考えてみれば自分だって元気で活動的に暮らせるのはせいぜい15年ほどである。

これを機に家政婦は引退して自分の時間を大切にしようと心に決めた。

まだ宣言してないけど...(^_^;)

雪の日の定期検診2018年01月13日 10時23分34秒

雪のちらつく中、海風びゅーびゅーの浜の町病院へ、今回も息子はひとりで出かけた。もう4歳すぎてるしね。

しかも私は今年インフルエンザの予防接種受け損ねたので出来るだけ病院のような所には行きたくないのだ(^_^;)

血液データも低いながら安定、LDLコレステロール値だけがHでやや高めらしいが問題なしとの判断なので安心する。

皮膚なども冬の乾燥にも負けずキレイを保っている。まだ例のヒルドイドローションは手放せないけど。

いつもと違うのはただ1点、「もうすぐ5歳になるけど骨髄穿刺をやってみますか?」との主治医に聞かれたこと。息子は即座にきっぱり「いえ、やりません!!!」と答えたそうだ。

退院してからは一度もやっていないよね。どんだけ嫌いやねん。ま、いいけど、本人の身体だから。

そうそう前回書いた「造血細胞移植患者手帳」だが先生はご存じだったが病棟で聞いてと言われ、上に上がるとその時対応した看護師さんは知らなかったみたいで結局もらえなかったらしい。

この病院独自の手帳があるから問題ないとのこと。そんな感じだったみたい。

そんなでこんなで私の関心はますます白血病からは遠のいていく。おそらく幸せなことなのだろう。

一旦急あればすぐに駆ける心づもりだが、無いに越したことはない。

明けましておめでとうございます2018年01月04日 23時47分18秒

年末にいい情報をFBにあげている患者仲間がいたので受け売り。

こんなのが移植直後にあったらどんなに助かったか。

自分の病名や受けた治療を自分で詳細に伝えられない患者さんは意外に多いと思う。特に高齢の方とかは。

高齢でなくてもある程度急性期を過ぎた移植患者は具合の悪い時に血液内科にかかるか、街のかかりつけ医にかかるかで迷うことも多い。

そんな時これがあれば黄門様の印籠のように効果てきめん!ていうのは例えが適切じゃないかもしれないがすごく助かるな~。

もう4年半経った息子にも支給されるのだろうか?次の受診で尋ねてみよう。

造血細胞移植患者手帳
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10601000-Daijinkanboukouseikagakuka-Kouseikagakuka/0000165044.pdf

11月のこと2017年12月02日 09時00分03秒

12月に入った。よく考えたら11月の記録を忘れていた(-.-)多忙すぎたのである。

まず息子の定期検診は、血液データの異常もなくインフルエンザの予防接種を受けられた。循環器も検査のない回だったのでいつものお薬が出ただけ。だそうです(息子一人で受診のため報告のみ)

私はその週は実家へ帰り、半年間にたまりにたまった様々な事務的な手続きなどをこなしてきた。

父の弱り方も激しいので看取りに関する書類にもサインをして施設に提出し、車椅子になってから一度も帰れていない自宅へ僅かな時間でも帰らせてあげるプロジェクトを計画実行した。

何せ足を挙上できる大きな長い車椅子から降りることが出来ないので大人4人がかりでバリアフリーでもない我が家の玄関を担ぎ上げるのである。

施設の方々には本当に頭が下がる。当の本人はそれほどの感慨もないようで大好きうな重を食べると、現在の住処へ担がれて帰って行った。

大好きなうな重も全部は食べられなかった。まだ私のことはわかるが東京からやって来た孫のことはわからなかったみたい。仕方ないか大学に入ってから会うのは初めてだもんね。8年ぶり?!

父の心臓ペースメーカーの電池交換をしないという決断をしたので、電池切れはまだ1年以上先で自己心拍もある今のうちに、こうやって父の終活を1つずつこなして行く。

帰ってくると今度は主人の入院手術があった。今年3度目であるが今回で外科的な処置はひと段落しそう。

この期間にリボンの会の講演会があったので、今回も行けなかった。だんだん血液疾患のブログから遠のいていく(^_^;)

こんな病人だらけの家族であるが、今の日本こんな家は珍しくもないと思う。なので自分も病気になる前にどんなに忙しくても自分のやりたいことはやって行こうと思う。

幸い私は元気です。
ご無沙汰している皆さん忘年会に行きたいね(^_-)-☆

母の定期検診2017年10月07日 09時15分23秒

半年ぶりに母が福岡にやってきた。

悪性リンパ腫の定期検診のためだが、一人で新幹線に乗って来福するという行為そのものが87歳になった母の健康のバロメーターとなっている。

再発からもうすぐ2年経過するが、腫瘍の大きさに目立った変化はなく積極的治療より経過観察を選んでよかったと思う。安定しているので次回検診も半年後ということになった。

「来年1月には両親のダイアモンド婚が夏には父の、秋には母の米寿があるので、当面の目標はそのあたりです。」と先生に言うと、そうか書き留めておこうと仰った。

車椅子生活の父の方もヨレヨレだがまだ辛うじて頑張っている。父が安心して施設で生活を送れていることが、母の寿命を延ばしてくれているようにも思う。

今が人生で一番楽しいひとり暮らし♪と言って憚らない母。施設に入るより公的、私的な助けを借りながらでも何でも自分でやる事がいいのだろう。

新聞が一番の楽しみで一日最低3時間は読み、気が向けば長年の趣味である謡を謡い、食事は食べたい物だけを自分で作って好きな時間に食べる。

地域に見守りのネットワークがあるのも有難い。それも母自身が活用しようとしなければ無意味なので、積極的に地域の集まりにも参加するようにしている。

離れて暮らしていると心配は尽きないが、本人の意思を尊重するためのサポート体制を作ることが親孝行なのだと思うようにしている。