リボンの会解散2023年04月05日 06時35分21秒

福岡市を中心に30年間活動されていた患者・家族会のリボンの会が幕を下ろしました。代表の宮地さんスタッフの皆様お疲れ様、そしてありがとうございました。

当ブログからのリンクも解除いたしましたが、代表の挨拶がありますのでここに最後のリンクを貼らせて頂きます。

http://ribonnokai.info/

母永眠2021年11月20日 11時02分44秒

このブログは白血病の息子の闘病記として始めましたが、途中母が悪性リンパ腫になり時々登場していました。

初発が79歳の時でしたが、頑張って治療した結果リンパ腫と共存しながらも91歳まで余生を楽しむことが出来ました。

加齢と共に色んな病気にかかりましたが最後は老衰ということで天寿を全う出来たのだと思います。

治療や看護にあたってくださった医療スタッフの皆様、ならびにネクサスやリボンの会などの患者会の仲間たちにも心からお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

2021年はまったく先が見えない2021年01月24日 11時09分23秒

新年が新年らしくなくやって来てしまいもう1月も終わりに...

先が見えないこんな状況は移植直後の状況と似ているので私たち移植患者家族にとっては慣れているのかもしれない。

とはいえ周りの人たちが過度にナーバスになっていく様子が怖くもあるし
逆にまったく我知らずで生活様式を変えない人も恐ろしい。

新年早々、我が家ではちょっとした変化があった。
大学進学後12年間東京で暮らしていた三男が転職し帰福したのだ。
どちらも緊急事態宣言の出てる地域だから仕方がないとはいえ、やはり周囲に気を使ってPCR検査も受けさせた。

引越しを手伝いながら今まで感じたことのない安堵の感情が生まれた。
この子に関しては長男の闘病期に重なりあまりかまってやれなかったし
東京での生活を経済的には苦しくとも楽しんでいたので良しとしていた。

だが何かの時に駆け付けられる距離に居てやれる(これからは居てもらえるだろうか?)のはこれほど心強いものだとは思わなかった。

こんな状況なので帰ってきてもどちらの祖母にもまだ会えていない。
また4月に生まれる予定の孫(彼にとっては甥)にもすぐに会えないかもしれない。

まあそれでも私にとっては心配事がひとつ減って年初めの明るいトピックスとなった。

今年もよろしくいお願い申し上げますm(__)m

池江璃花子さんスゴスギル2020年08月31日 09時09分23秒

筋力や体力が落ちてもスキルとマインドでここまでやれるとは...
やはり超人だとしかいいようがない。

普通の人は移植後何年もまずプールに入ることすら許可されない。
プールや更衣室はばい菌だらけだからというような説明を受けて却下。

先日のインカレ予選での20歳の泳ぐ姿は本当にまぶしかった。
どうぞこのまま順調に回復し記録を縮めていってほしい。

白血病患者の希望の星になって欲しいが無理は禁物。
誰かというより自分のために泳いでほしい。
第2の水泳人生の始まりという彼女の言葉からもそれはよく伝わってきて少しは安心した。

みんなが池江璃花子になれる訳じゃない。
彼女はやっぱり特別な選ばれし人なのだ。

複雑な気持ちのある一方で、やはりその活躍をみるのは嬉しい。

息子と母のW定期受診2020年06月13日 14時23分47秒

久しぶりの受診が同じ日に重なった。
現在母は3ヶ月に1回、息子は6ヶ月に1回。

母は悪性リンパ腫で発病後10年、一番最後に受けた手術からもうすぐ2年経つ。今日は肝エコーが入っていたが異常なし。腎性貧血を疑ってミルセラの注射のオーダーが入る。今回増量して2回目の投与。

息子は急性リンパ性白血病で初発から16年。再発から移植後7年経ちGVHDはほぼ皮膚症状のみ、心臓の収縮率が悪いので循環器内科の受診もずっと入っている。

血液内科は主治医も同じなので呼ばれたら祖母と孫が2人一緒に診察室に入るという珍しい光景が...あまり見かけないね(^-^;

お陰様で特筆するほどの異常はなく、いつものやりとり、いつもの処方箋確認のあと、先生がしみじみともう7年経ちましたかぁと仰った。

まあ色々あったけどこれくらいなら良しとしよう!
そういう暗黙の了解の上に成り立つ会話だった。
今も生きているんだし。

また次回も同時受診の予約を入れて部屋をあとにした。
病院は厳戒態勢が取られていて人も少なかったように思う。

医療従事者の人は激務の上長期戦で本当に大変ね。
心から感謝しますm(__)m

コロナウイルスに思うこと2020年04月19日 14時26分46秒

1つの感染症がここまで大きなうねりとなって世界中を飲み込むなんて半年前には誰が想像していただろうか?

息子が発病してからほぼ厳しく衛生管理をしてきた我が家では普段とあまり変わらぬ生活をしているので、こういった生活にも慣れていて世間の皆さんほどにはストレスが溜まっている訳ではない。

ただもちろんコロナに感染したらひとたまりもないだろうという家族は息子以外にもいるのでとても気を使った生活をしていることには変わりない。

しかし移植後退院してきた時よりは全く楽な気持ち。というと語弊があるが、あの時は自分たち以外の人は全く無頓着だったので、余計に必死で感染症から身を守ろうとしていた。あれはしんどかったなぁ。

今は大多数の人が衛生に気を使って生活してくれているので、まあ一種の連帯感のようなものが生まれていて助かる。

いつかは終わってくれるとは思うものの、ワクチンが開発されるにはまだ時間がかかりそうだし、自然に集団免疫ができるまでにどれだけの犠牲が払えば済むかと思うとそれも乱暴な話である。

私たちはほとんど家で過ごしているが、どうにかこうにか息子は仕事を続けている。不特定多数の人に会う職業なので心配じゃないと言えばウソになるが辞めるとは言わないので本人の意志に任せている。

移植後の先の見えない長い時間に比べれば、このおこもり生活はもう少し短いのではないかと思う。もうしばらくじっとして嵐の通り過ぎるのを待つことにしよう。

有難いことにネットで買物をすれば届けてくださる宅配の人がいるし、施設のスタッフの方々は自身の健康に気を使いながら高齢者の世話をしてくださっている。

収入が減っても明日飢え死にするほど困っている訳でもない。外食に行けないくらい何の文句があろうか。

そして何より感染のリスクの中で働く医療従事者の方々には感謝の言葉しかない。

毒を吐けばそれは必ず自分に返ってくる。不平不満は言わず特定の誰かを批判するのではなく注意深く状況だけは見ていきたいと思う。

スカーレット終わってしまった2020年03月29日 09時38分31秒

スカーレットロスではない。

実話とは少し違ったけどたけしくんは旅立っていった。
やや急ぎ足の淡々とした終わり方がよかったと思う。

朝から悲惨すぎるのも嫌だし、かといって助かって陶芸家を続けるというのも不自然なので。

今だったらグリベックがあって助かる病気になっていただろうにとも思うが
死の期限がきまっていたからこそ作品にすべてを注いで充実した人生を送ることが出来たのかもしれない。

それは誰にもわからない。

だけど「絶対に助けてやる!死なせない!」といった喜美子の言葉は叶わなかったけど
親だったら皆が思うことだろう。

私もひとりで病院から帰る車の中で何度も大声で叫んだから、よくわかる。
あれは自分に言い聞かせてたのかもしれないね。

病気の種類は違うけどドラマを通じて白血病や骨髄移植への関心が高まるのは悪くないと思う。
この病気は若くして罹るとその後の人生は大きく変わってしまう。
移植後のAYA世代の生きづらさは相当なものだが
これも人によって違うし他の病気でも多かれ少なかれあるだろう。

労働人口がどんどん少なくなる日本で少しの工夫と周囲の思いやりで
がんサバイバーの労働力だって活かせると思うんだけど。

まずはこの新型コロナに罹らないことが血液疾患患者にとっては生き抜くための喫緊の課題。
うちはハイリスク患者だらけだもんなぁ。

スカーレットのたけしくん2020年03月04日 08時48分20秒

最初からわかっている事とはいえ今朝のスカーレットで「ついにその時が来てしまった。」と思った。
今までは楽しく見ていられたのだが明日から普通の気持ちで見られるだろうか?

モデルの神山清子さんは白血病の世界ではある意味有名で「火火」(高橋伴明監督)という映画にもなっている。
バンクの立ち上げにも関わった方である。

今ならグリベックがあるのにな~とか色々な雑念が入ってしまいそう。
朝から泣くようなドラマはつらいな。
どんな描き方をされるのだろうか?

先生が稲垣吾郎くんみたいだけど、ちゃんと診察して患者に寄り添ってあげてよね!!
とかいらんお世話を焼いてしまいそう(-"-)

あ~どっちにせよ、冷静ではいられない予感。

報道ステーションに池江璃花子さん出演2020年02月19日 23時07分02秒

息子と2人で報道ステーションを見た。

池江さんはおそらくステロイドが(免疫抑制剤もか?)切れていないのだろう。
顔がふっくらして手足が痩せているから。

でもさすが19歳で世界のトップにいた人はしっかり自分の言いたいことが発信できていると感心する。
この時期のTV出演自体が誰よりも同じ病気で闘っている人へのエールになっていると思う。

移植後のこの時期、息子はまだまだだった。
彼女の話すオリンピックや金メダルの重圧から解放されてちょっとホットしたという正直な気持ちについては
わかるわかるとすごく共感していた。

本当はもっともっとつらいこともあったのだろう。
TVで伝えるには限界があるのでそこまでつぶさには語らなかったが
次の目標を語っている彼女は輝いて見えた。

ただしまずは4年後も8年後も生きていてね。
無理をするとその目標も達成できなくなるから一歩ずつ近づいて行ってほしい。

たとえオリンピックでメダルを取れなくても
この病気に打ち勝つだけでも立派に輝く人生のメダルを手にしているんだから。

等身大の自分でメッセージを伝える彼女にはすごく好感が持てた。
これからもずっと応援していく。

プールには当分入れないが普通の大学生活も満喫してほしい。
筋肉が落ちている今だからこその好きなファッションもいっぱい楽しんでね(^^♪

池江璃花子さんの誕生日メッセージ2019年07月07日 07時43分28秒

池江さんの公式HPで彼女が19歳になったことを知った。
心からおめでとうを言いたい。

オリンピックよりも大切な命をきちんと繋ぐことが出来たのは何よりも素晴らしい!

ALL(彼女がそうだと仮定して)の治療中は6クール繰り返される抗がん剤の合間に一時帰宅が許される。

そうじゃないと半年間入院しっぱなしではどんな人でも心が折れるから。
自宅で英気を養って次のクールに挑むのだ。

自宅に戻れる時は白血球の値が回復している期間だから比較的生っぽい物も食べられる。
お姉さんが作ってくれたという美味しそうな料理は全部璃花子さんの好物なんだろうな。

うちも息子が帰ってくる期間には私も食べたい物を聞いてアレコレ作ったりしたっけ。
家族に出来るせめてものことだものね。

その息子だが1ヶ月たった今も骨折は全くくっついていないそうだ。
やはり呼吸をする度肺が動くので肋骨の骨折は時間がかかるらしい。
おかげさまで咳の方は治まったので咳をする度に泣くようなことはなくなった。

池江さんの治療も終盤にさしかかってきた頃だろう。
晴れて退院しても抗がん剤で痛めつけられた身体は以前の自分ではなくなっている。

くれぐれも無理をしないでこの先20歳も21歳も22歳もずっとずっと自分の命を繋いでいって欲しい。