転院を視野にいれて長期戦を覚悟2024年05月31日 10時46分15秒

洗濯物を届けに毎日病院へ行き、息子のメンタルをサポートする毎日。

日によって体調の波が大きく、快方へ向かっているという実感がないが、頭痛は少し収まってきたように思う。

相変わらずめまいやふらつきがひどく、それで気分が悪くなり吐いてしまうことも。

食事も三度三度食べるのは難しいらしく、食事時間に気分が悪いと食べられないことも多い。そして夜中にお腹が空いて寝られないこともあるそうだ。

結局、正式なセカンドオピニオンではないが、知り合いや親戚の医師に尋ねてみると、手術などの積極的な治療がない以上、転院して気長に体調が回復するのがいいとのアドバイスを受けた。

このまま退院させられるのははっきり断り、転院先の調整に入ってもらうことにする。

何となくではあるが今後の方向性が決まったので、息子の会社へ休職届や傷病手当金申請書を取りに行ったり、生命保険会社に申請書類を請求したりして、私も何かと忙しい。

運悪く寝違えたのか、数日前から首が痛くて動かせない。知らず知らずに疲れがたまっているのか、夜も睡眠が小間切れでよく目覚めてしまう。そして夜中は思考がネガティブになる。

早く自分のペースで生活しなくてはと思うのだが、それは転院してからになるかな。5月が今日で終わる。落ち着かない日々はもうしばらく続きそう。

えっ!もう退院ってマジ?!2024年05月29日 06時55分18秒

息子の症状は一進一退で鎮痛剤や制吐剤の効いている間はいいが、一向に良くなっているという実感はなく、むしろ進んでいるような感じさえするらしい。

たまたま面会に行った時にデイルームで担当医が通りかかって、ちょうどいいからお話しますねって軽い感じで、「これ以上入院しててもすることもありませんので退院の方向で調整します。」と言われ飛び上がるほど驚いた。

だってまだ頭はズキズキするし、ふらつき、気分の悪さ、右足右手のしびれなど、症状が良くなっているという実感がないのに!!

「CTをみても出血は収まっていて拡大はしていないので、それらの症状は脳の腫れによるものでピークは過ぎています。」とおっしゃる。

息子が「このまま家に帰っても普通の生活が送れる自信がない。」というと、「ここは急性期病院ですから別の病院に転院する方向で調整をかけてみましょうか?空きがあればの話ですが。」と言われた。

この苦しい症状は後遺症だからこのまま一生付き合っていくしかないの?手足のしびれはともかく、頭痛や吐き気、ふらつきもずっと我慢しいて生きてゆくなんて普通の人間には無理じゃない?

精神がやられてしまうよっ!!!!!

とは言わなかったけどなんだか納得いかない。

もちろんネットで調べても延髄の海綿状血管腫の手術は危険すぎて出来ないと書かれていて。それが第一選択肢でないことは私にもわかる。

しかし社会復帰までの道筋がちょっと乱暴じゃないのかしら?と思ってしまう。

とにかく転院先を探してもらうようにお願いしてこの日は帰ってきた。

セカンドオピニオンという言葉がチラッと脳裏をかすめたが、私も年をとったせいかパワーが出ない。

息子ももう今の仕事は辞めるしかないのかなぁと気落ちしている。

これから後遺症を抱え一生びくびくしながら暮らしていくのかな。

白血病の再発恐怖からようやく逃れられたと思ったら、今度は海綿状血管腫の再出血の恐怖におびえながら暮らすのか、実に暗澹たる気持ち。

あと少しで移植後11年という、ある日に...2024年05月28日 11時08分58秒

来月セカンドバースデイを迎え11歳になる息子38歳(実年齢)が首の痛みを訴えて整形外科を受診。

ここ数ヶ月四十肩でお世話になっているフツーの町のお医者さんへいくと、レントゲンでは首に異常はなし。頚椎症も考えにくいねぇといって、鎮痛剤や筋弛緩剤の混合散剤を処方された。

服用するととんでもない気分の悪さとふらつきがあり、翌日も受診して薬を半量に減らすように指示された。しかし症状は改善せず、自己判断で服用をストップし、土日を何とかカロナールのみで乗り切った。

日曜日の夜に友人のご主人(脳神経外科医)にLINEで状況を説明すると、うちに来てもCTしかないので、まずはMRIの撮れるところへ行くようにアドバイスを受けた。

月曜日の朝いちで整形外科を受診し症状が悪くなっていることを伝え、MRIの撮れる病院を紹介してもらう。すぐにMRIを撮ってもらうと完全に頚椎症ではないとの判断。脳幹部(延髄)に何かが写っていた。

これは脳外科の領域だと言われたため、そのままアドバイスをくれた友人の脳神経外科へ直行し、CTを撮って診察を受けた。

この時点ですでにはっきり右足に痺れがあり、ふらつきもひどくなっていた。また若干嚥下の違和感もあった。CTの結果も延髄に腫瘍のようなもの(確定診断ではない)が写っていたため、すぐに大きな病院を紹介され、翌々日に予約が取れたので受診する。

白血病の再発でさい帯血移植を受けた時に全身放射線治療を受けているし、大量の抗がん剤も投与されているので、まさか二次がん?という不安も頭をよぎった。

不安な一日を過ごし、次の日に診察を受けると、まずは延髄という場所が非常に悪く、呼吸停止が急に起こる可能性があるので、今日はこのまま入院して、病気を特定する検査は入院して行うとの指示があった。

何とかお願いして荷物だけ取りに帰らせてもらい、慌ただしく入院した。次の日からMRIや造影剤を使ったCTなど諸々検査があり、24日夕方に確定診断の電話があった。

病名は海綿状血管腫。悪性腫瘍ではなかったものの、出来ている位置が非常に悪く、手術での除去は現時点では考えられない。

出血を抑え脳の腫れを取る点滴をして経過観察をしますとのこと。と同時に再出血に備えて、心臓の検査もするとのことだった。

息子の心臓は白血病治療で使った抗がん剤の心毒性のため、慢性新不全で、不整脈もあるのでずっと薬を服用している。なので色んな可能性に備えて検査するみたい。

何せかかりつけの病院ではないので、担当医とのコミュニケーションの取り方がわかりづらく、しかもコロナ以降面会の制限もあるので息子の様子もかたわらでずっと見られないので不安は募る。

症状もいい日と悪い日の差が激しく、本人曰く痺れの範囲が広がっているらしい。今では右手にも痺れがある。

リハビリの先生の話だと、歩行とかに障害は出ていないが、筋力や反応時間に左右差が出ているらしい。

ああ、10年後ごとに何かが起こる息子の人生。まったくもって不憫でしかたがない(T_T)

しかし患者家族歴20年の私。こんなことではへこたれない。今回も絶対あきらめないからね!

白血病の闘病記ではないけど、ここにこのまま海綿状血管腫の闘病記録を続けて載せていく。今回も絶対に生還するから、応援してください!

移植後10年経ちました!2023年06月17日 20時13分42秒

6月は私たち家族にとって特別な月。

1年に1回だけど息子にさい帯血をくださった方に心から感謝をする月。

息子もようやく10回目のセカンドバースデイを迎えることが出来ました。

ありがとうございます。

なかなかバリバリとまではいきませんが、ぼちぼちやっております。

心臓の薬とは一生のお付き合いだし、皮膚には毎日ヒルドイドが欠かせないし、生活習慣病のリスクも普通の人より10年は早く来るらしいけど、生きてるだけで丸儲けと言い聞かせて欲はかかないようにしています。

私たち夫婦もいわゆる高齢者という部類に入ってきましたので、いつまで息子を守ってやれるかわかりません。

いいお相手を見つけ自身の家族を作ってもらいたいとは思うものの、本人は至って呑気でその気はないみたいです。

そのうちこちらが面倒を見てもらうことになりそうですが、その後は寂しくないのかなぁ。

白血病にならなくとも、移植はしなくとも、一生独身で楽しく過ごす人もいらっしゃるので何が幸せかはわかりませんよね。

10年は節目の年だと思います。

長年お世話になったリボンの会も役目を終えて解散しました。

新しい一歩を踏み出す時なのかもしれません。

リボンの会解散2023年04月05日 06時35分21秒

福岡市を中心に30年間活動されていた患者・家族会のリボンの会が幕を下ろしました。代表の宮地さんスタッフの皆様お疲れ様、そしてありがとうございました。

当ブログからのリンクも解除いたしましたが、代表の挨拶がありますのでここに最後のリンクを貼らせて頂きます。

http://ribonnokai.info/

移植後9年経ちました!2022年06月10日 16時18分34秒

息子についての更新記事が1年に1回になったことは喜ばしいことだとは思う。

毎年、この時期リボンの会に雀の涙の寄付をし、臍帯血の提供者の親子に感謝をする。

相変わらず普通の人よりはひ弱なだけでコロナにもかからず、仕事と趣味とスポーツをバランスよく続けているが結婚する様子はない。

定期検診も半年に1回になったようだ。母が亡くなってからは私も病院に行かなくなったのでよくわからない。

次男家族に子どもが出来て私は祖母になり彼は伯父になった。甥をとてもかわいがりはするが自分の家族を作ろうとは思わないらしい。

いずれは親の方が先に逝くだろうから寂しいよと言うが、そしたら犬を飼うと言ってはばからない。

どことなく社会的に幼さが残っていて親としては心配にはなるものの、手元に置いておく方がまだ安心な部分もあるのでなんとなく独立を促せない。

まあ、あと1年、10年経つまではモラトリアムなのかもしれない。

このぬるま湯生活を心地よく感じるなら今はまだそれでもいい。生きてるだけで丸儲けだもんね。

次の更新は1年後かな?でもここからリボンの会へ繋がる人もいるかもしれないのでせめてブログは閉鎖せずに残しておこう。

母永眠2021年11月20日 11時02分44秒

このブログは白血病の息子の闘病記として始めましたが、途中母が悪性リンパ腫になり時々登場していました。

初発が79歳の時でしたが、頑張って治療した結果リンパ腫と共存しながらも91歳まで余生を楽しむことが出来ました。

加齢と共に色んな病気にかかりましたが最後は老衰ということで天寿を全う出来たのだと思います。

治療や看護にあたってくださった医療スタッフの皆様、ならびにネクサスやリボンの会などの患者会の仲間たちにも心からお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

移植後8年経ちました!2021年06月11日 11時07分36秒

息子はコロナにもめげず何とか無事に生き続けて8歳になりました。

6月はセカンドバースデイ月、ようやく移植後8年が経過しました。

実年齢は35歳のオッサンですが、見かけは大学生に間違えられます(^-^;

でも相変わらず移植後の彼女いない歴を更新し続けております。

仕事は家業とドラッグストアのアルバイトのWワークです。

趣味は人工股関節にもめげずテニスを続けています。

池江璃花子さんほどの超人的な回復はないにせよ、見た目にはちょっと虚弱な普通の若者(オッサンか?)です。

ただただ生きていることに感謝です。

そして毎年この時期には息子に臍帯血をくださったお母さんと赤ちゃんや、移植治療を支えて下さった医療スタッフの方々に感謝しながら、どうか幸せな人生を歩んでくださっているよう願うばかりです。

何年たっても御恩は忘れません。本当にありがとうございました。

また次の一年を無事に過ごせますように!

母の定期受診2021年03月15日 09時24分27秒

母の加齢による弱り方が年を越してから加速度的に進んだ。
コロナの影響もあるだろうが卒寿を越えていたし方のないものもある。

今回もCTの結果に特に大きな異常は見つからなかったのでまずは安心した。しかし時間のかかる大きな病院での3ヶ月ごとの受診が親娘ともども大変な負担になってきたので先生に受診間隔を空けてもらうようお願いした。

先生も飲み込み顔で「何かあったらいつでも連絡してください。」と仰り
次は1年後の受診予約をして下さった。

脚が悪くなると同時に物忘れもひどくなり、自分のことを百歳と信じているので(実に10歳の逆サバヨミ⁈)それなりにおめでたくはあるが(^-^;

この年齢に達したらもちろん血液疾患以外の疾患で亡くなる可能性も大だから、他の受診も最低限の近所で済ますことにしよう。疲れ果てて帰りの車の中で眠りこけている母を見てその思いがますます強くなった。

悪性リンパ腫の初発から11年。最高の医療を受けさせて頂いたと思う。実際私もここまでよくお世話にをさせてもらったよね。

今後はどういう着陸を目指すのか模索する時期に入ったのだと思う。母の終活を本人の希望を踏まえながらスピーディーに進めていく覚悟を決めた。

2021年はまったく先が見えない2021年01月24日 11時09分23秒

新年が新年らしくなくやって来てしまいもう1月も終わりに...

先が見えないこんな状況は移植直後の状況と似ているので私たち移植患者家族にとっては慣れているのかもしれない。

とはいえ周りの人たちが過度にナーバスになっていく様子が怖くもあるし
逆にまったく我知らずで生活様式を変えない人も恐ろしい。

新年早々、我が家ではちょっとした変化があった。
大学進学後12年間東京で暮らしていた三男が転職し帰福したのだ。
どちらも緊急事態宣言の出てる地域だから仕方がないとはいえ、やはり周囲に気を使ってPCR検査も受けさせた。

引越しを手伝いながら今まで感じたことのない安堵の感情が生まれた。
この子に関しては長男の闘病期に重なりあまりかまってやれなかったし
東京での生活を経済的には苦しくとも楽しんでいたので良しとしていた。

だが何かの時に駆け付けられる距離に居てやれる(これからは居てもらえるだろうか?)のはこれほど心強いものだとは思わなかった。

こんな状況なので帰ってきてもどちらの祖母にもまだ会えていない。
また4月に生まれる予定の孫(彼にとっては甥)にもすぐに会えないかもしれない。

まあそれでも私にとっては心配事がひとつ減って年初めの明るいトピックスとなった。

今年もよろしくいお願い申し上げますm(__)m