5年経ちました...2009年03月03日 12時43分08秒

今日は3月3日ひなまつり。息子の病気がわかった日からちょうど5年。長いような短いような時間です。もっとヤッター!という気持ちになるかと思いましたが、意外にも淡々と迎えました。

18歳の春、急性リンパ性白血病と診断され、もう次の日からは抗がん剤による治療が始まっていました。半年の入院、その後1年半の通院治療を終え、2年に及ぶ化学療法が終わった時には本当にほっとしたものです。

おかげさまで再発もなく、本日をもちまして白血病からは卒業できそうです。治療に携わってくださった医療関係者の皆様、支えてくれた友達、リボンの会のメンバー、すべての人に心からお礼が言いたいと思います。本当に有難うございました。

息子本人も一番苦しかった時期のことは覚えていないと言いますし、私自身もだいぶ記憶が薄れて来ています。人間は忘れるから生きていけるんだなとつくづく思います。

リボンの会に来られる方の中には同じ病気の人もいるし違う病気の人もいる、患者本人もいるし家族の方もいる。みんな立場は違っても、わかりあえることがひとつあります。

それは病名の告知を受けた時の気持ちです。これは何年たっても決して忘れられないし、この部分で見ず知らずの人とも大きく共感できるのです。

私たち家族も決して病気と闘うといった感じではなく、周りの人の支えでどうにかこうにかくぐり抜けてきたというのが実感です。

このブログが今まさにそういう気持ちを味わっている方の目に留まったなら、迷わずに連絡をください。定例会に足を運んでください。同じ気持ちを共有できる仲間がたくさんいますから。

追跡調査2008年11月20日 07時50分30秒

おととい、見慣れない封筒が届きました。息子が急性リンパ性白血病と診断され入院していた病院からです。ドキッ!何だろうと思って慌てて開封すると、それはその後の様子を尋ねる趣旨のものでした。

息子はこの病院で2年間(半年の入院と1年半の通院)の化学療法を受けた後、現在の病院に転院しました。最初の病院に不満があった訳ではありませんが、主治医が辞められたのをきっかけにリボンの会でお世話になっていた衛藤先生の元に通うことにしたのでした。

今は検査に通っているだけで何も治療をしていませんが、よく知っている先生に診てもらっているという安心感は何物にも代えがたいものがあります。

さて封筒の中身ですが、調査の依頼文と返信用のハガキが入っていました。「名前や住所は記入しなくてよいから、現在どのような状態であるかを連絡してもらいたい。純粋に調査研究の目的であり個人情報はそれ以外には使用しないから。」といった文章だったように思います。

ハガキには大きく3つの選択肢があり、再入院したか、通院したか、死亡したか、を尋ねるもので、現在違う病院にかかっているならその病院名を書くようになっていました。

う~ん、確かにいつも治療成績を知るためにこのような調査は絶対に必要だと思っていました。どこの病院でももうちょっとこの部分にも力を入れて欲しいし、それがまた今後の治療に役立つことも重々わかっています。

しかしですよ。もらってみて初めてわかりました。これがものすごくデリケートな問題なのだってことが...。うちはたまたま再発もなく現在も生きていますので、即答しすぐ返信を出しましたが、そうもいかない患者さんもいらしゃることでしょうね。

回収率はどれくらいになるのでしょうか?内容も含めて結果を知りたい管理人です。

今日は何の日?2008年03月03日 07時34分23秒

今日は3月3日桃の節句、そう雛祭りですね。普通なら楽しくてワクワクする日なんですが、我家にとっては別の意味で忘れられない日となりました。

4年前の今日、息子の発病がわかり検査からそのまま入院が決まった日だからです。息子の病名は急性リンパ性白血病でした。当時18歳で、その2日前の3月1日に高校の卒業式を終えたばかりでした。

告知されたその日に、私は息子をひょっとして失うかもしれないという、物凄い恐怖と悲しみに襲われました。自分より先に子どもが死ぬかもしれないなんて、世の中にこんなにも残酷なことがあるのかと思い、世の中から全ての色が消えてしまったかのような気持ちになりました。

あれから4年たち、幸い移植もせずに化学療法のみで寛解を維持し、息子は元気に大学に通っています。ようやく白黒の雛祭りもカラーの映像に戻ってきつつあります。

5年の寛解維持に向かってあと1年、今では雛祭りは待ち遠しい日に変わってきました。息子はあと1年で大学も卒業し社会に出て行くことになるでしょう。再発など病気そのものに対する不安はもちろんありますが、最近では病歴を隠して社会で生きていくことに対する不安が膨らむ一方です。

リボンの会でも、先ずは病気を治すことが最優先ですが、治る人が多くなって来た今では、助かった命のその後について考える必要があるとつくづく思うこの頃です。

福岡に帰ってきて1週間たちました!2007年04月15日 17時38分11秒

ああ本当にご無沙汰していました。忙しいここ数ヶ月でしたが、終わってみると気が抜けてふにゃ~となってしまっています。

ぼちぼち宮地さんから会報&定例会の準備のお声がかかるのではと怖れながらも、しばしの休息^_^;を楽しんでいます。

さてわが息子、無事3周年を迎えたのを機に、今までの、大学、ひとり暮らし、バイトに加えて、少年サッカーのコーチまで始めてしまいました。もともと病気にならなければ大学でも自分がプレーヤーとしてガンバルつもりだったのですが、こんなことになり断念したのでした。

入部する予定だった大学の監督さんの方から声をかけて頂いたらしいのです。有難いことなんですが、やっぱり親としては紫外線や体力が心配。

しかし当の本人はだいぶ体力に自信ついたらしく、さっさと引き受けて、4月からやり始めてしまいました。大丈夫かな~?

ジュニアの子どもたちは可愛いらしく、ボール出しをするくらいで、今のところそれほどきつくないようです。しばらくは静観しますか。

病院の検診も1ヶ月に1回から、1ヶ月半に1回にと間隔が空いてきました。どうかこのまま戻ることがありませんように!

今年はリボンの会の花見がありませんでした。若葉を愛でる会でも開催しましょうか?芽吹きの季節、緑がキラキラして本当に綺麗です。

入院していらっしゃる方も窓から緑が見えるといいんですけど...

今回もホッ!2007年02月06日 23時27分03秒

今日は1ヶ月に1回の定期検診の日でした。あいにく所用で私は付いてはいかなかったのですが、息子から「異常なし」のメールが来てひと安心しました。

来月で発病して丸3年が経過します。抗がん剤の投与が終了してから1年が経ちました。

いつも何パーセントかの再発の影に怯えながらも、つらい記憶は少しずつ薄れてきました。息子自身も入院中の一番つらかった時期のことはあまりよく覚えていないそうです。

人間は忘れることが出来るから希望を持って前向きに生きていけるのかな?ありがたいことです。

とにかく主治医の先生からも3年以内の再発が一番多いと言われていたので、病気の方もひと区切りかなと思い、少し自分の事にも目を向けようと考えています。

息子も退院してすぐの時は歩くのもやっとという状態でしたが、半年の自宅療養を経て大学に復学しました。最初は通学だけでやっとかと思いましたが、サークルに入り大学祭の実行委員をやったりして青春を謳歌しています。

親の心配をよそに、さらに半年前からはひとり暮らしを始め、バイトもバンバン入れて毎日がフル回転です。発病したてのころはこんな日が来るとは思いもしませんでした。

この分だとうまく行けばカノジョも出来て結婚も出来るかも?就職も大丈夫かも?と夢はふくらみます。まあこれは今の心配ごとの裏返しなんですが...

発病後すぐはまず生きていて欲しいとそれだけを願っていたものですが、ずいぶん贅沢になったもんですね。

今、つらさの真っ只中にいる人も、一日一日を何とかやり過ごしていくうちにきっと春がやってきますよ。人生が今までと大きく変わってしまっても、また変わったなりに楽しみも見つかると信じています。

息子の次の目標は生きて5周年を迎えることです。途中いろいろ楽しみながらね!

外来でひとり暮らしにOK出ました!2006年08月24日 11時42分52秒

いや~お盆を挟んでちょっとバタバタしてしまいましたがいつも元気な管理人です。

元気ならもっとマメに更新しろって声も聞かれますが、そこはその元気な人も元気なりに忙しい訳で...言い訳じゃないけど会報の原稿も作らせて頂いてるんで、あっという間の一ヶ月でございました。

しかしお盆に息子の病院に行ってびっくり!す、すいてる~(@_@)待ち時間が短いので患者はとっても楽~なんですが、雨の日も風の日もお盆もやっぱりE先生はご出勤、頭が下がりますm(__)m

今回は息子がちょっと夏バテっぽくて顔色も悪く、朝も起きられずに昼過ぎまで寝ている事が多かったので、もしかして再発?という言葉が脳裏にちらほら過ぎり、定期検診に付いて行ってしまいました。

本人も9月から一人暮らしをしてみたいと言っていたものの、若干不安もあったらしく検査の結果をみて判断する事にしたのでした。

結果は○で再発の兆候はなく、一人暮らしにも先生のOKが出たのでした。

よかった~ホッ(^o^)、とはいえ、やっぱり一人暮らしは心配。しかも大学と家は車で15分ほどで行ける距離なのよ。下宿の方が遠かったりしたら何のこっちゃ~てカンジですよね。それでも息子の説得に負けて半年の期限をつけて、一人暮らしを認めることにしました。

病気するまではこんな過保護な母じゃなかったのに、現に今でも下の息子たちにはビシバシ母さんなのに、やっぱり何かが変わっちゃったんだなと思う。

前の主治医の先生に発病から5年経てば治癒とみなすと言われたけど、特に3年以内の再発が多いと聞いたけれど、そこを恐る恐る用心しながら過ごしても、息子の人生で一番みずみずしい時代は輝かないのかとも思い、一人暮らしに同意しました。

思えば自分が大学生の頃、一人暮らしではなかったけど、毎日が楽しくキラキラしていた。親に言えないようなこともいっぱいした。

警察のお世話になるような事こそなかったが、やっぱり親が知ったら驚いただろうし悲しみもしたかもしれない。でも自分では自分のしたことの責任はいっぱしに取れるつもりでいた。そういう時代だった。

話は変わるが、最近の大学生の親の困ったちゃんを総称してヘリコプターペアレントと呼ぶらしい。大学の上空を旋回して自分の子どもを見張り、何か問題があると急降下してきて、大学にクレームをつけ問題を起こす親のことを指す。

大学は少子化時代を迎えて、経営上、スポンサーである親をむげに扱う訳にもいかず手をこまねいているという実情らしい。

私は自分のやりたい事が多くてヘリコプターになっている暇はないが、息子が家にいると必要以上に気にかかる。この際少し距離をおくのもいいことかも。目に入らなければそこまで気にはならないだろうから。

病気をしたために少し遅れたけど、自立への一歩として息子のささやかな試みを応援してやる事にしよう!

HLA再検査の結果は?2006年06月15日 11時28分16秒

あ~眠たい(-.-)PCの画面を見ているだけでも、ついウトウトしてしまいそう。この時期眠い人って間違いなくW杯ばっかり観ている人ですよね。でもサッカーの話を書き始めると止まらなくなるので、早速本題に入りますね~(^.^)

前に病院を替わったのを機にHLAの再検査をするってお話しましたよね。結局先月本人とドナー候補の弟と母親の私の3人分を調べなおしてみました。

今月の定期検診で結果を教えて頂きました。結論からいうと遺伝子レベルでも兄弟間は一座不一致でしたので、弟は兄のドナー候補になりうるとの事でした。

一番望ましいのはもちろんこのまま再発なく過ごしていく事ですが、万が一移植を考えなくてはならない事態になった時、バンクにコーディネートしてもらう時間と経済的負担を考えると、近親者にドナーがいるという事はやはり有難いことです。もしかしたら遺伝子レベルでは二座不一致かもしれないと云われての再検査でしたので、この結果には正直ほっとしました。

そんな事があって数日後、近所の公民館に日赤の献血車が来るというので、思い立って行ってみました。思い起こせば献血をするのは10年ぶりくらいかなあ。あれはそうそう阪神大震災のニュースをTVを観て、いたたまれない気持ちになり、何かお役に立ちたいと献血に出かけたんだったっけ。

そんなこんなで公民館につき、諸手続きを済ませ、血圧を計り、医師の問診を受けていると、あらら、昭和55年以降に英国に1泊以上されましたか?の項目にチェックが入ってしまいました。

「え~ダメなんですか?やっぱり狂牛病のせいですか?」確か少し前にニュースで英国でハンバーガー食べた旅行者が発病したとか云ってたよな~。医師も申し訳なさそうに、「せっかく来てくださったのに申し訳ありませんねぇ。でもこれは暫定的な措置ですから、また変わる可能性がありますので...」と言葉を濁すのでした。

ショック~!せっかく意気揚々と出かけてきたのに(/_;)じゃ昔、英国に旅行した人が全部ダメなら、かなり献血って減るじゃない?その他にも仕事で滞在したり、留学したり、長期滞在した人は他の国でダメなところが多くありましたよ。知らなかったな~(?_?)

でもね、一番恐れていた項目の「過度の肥満」っていう理由で断られなくってよかった^_^;それこそショックで立ち直れないかも?

素早くショックから立ち直った私は、献血こそしなかったものの、勧められるままに、ちゃっかりお土産をもらって帰途に着いたのでした。帰り道に今回の献血拒否でにわかに不安になってきました。話は変わりますが、私50歳になったら骨髄バンクにドナー登録しようとかねてから決めていたんです。そこで帰ってからすぐに骨髄バンク推進財団のHPで調べてみました。

すると骨髄の方は、今のところ英国への渡航経験者でも登録OKになっていました。そりゃそうですよね、ただでさえ足りていないんだもの。除外してたらドナーがいなくなっちゃうよね。しかも何十年か先に発病するかどうかもわからない病気より、目の前の生命を救う方が先決ですしね。

よかった~ホッ(^.^)バンクの方も「過度の肥満」でハネられないように、しっかりジムに通ってシェイプアップしておかなくちゃ!

ひとり暮らしをしたい息子2006年05月31日 11時24分47秒

リボンの会のHPが誕生して1年がたちました\(^o^)/

長かったような短かったような(?_?)でも会の設立からは13年も経っているんですもの。サイトの方はまだまだひよっこ、気長にやりますわ。

それでもこの1年間に訪れてくださった方のべ4000名。ROMだけの方もありましたが、メールを下さった方、定例会に来てくださった方、新しい人と人のつながりがリボンのように結び合わされました。

本当に必要としている人だけがこのサイトを見て下さっていると思うと、カウント数の多い少ないは問題ではなく、いい加減な事は書けないなぁと責任の重さに身の引き締まる思いです。

そういう意味では各種フォーラムや勉強会など色々な場に出させて頂き、私自身たいへん勉強になった1年でもありました。息子のALLだけでなく、他の血液疾患にも関心を持ち、病気になる前には手にしなかったような本も読んだり、新しい情報を探してサイトを巡ったりもしました。

そんな中でも、やはり勉強になるのが患者さん自身の体験談でした。この生身の人間の生の声というものには、何にも代えがたい重みがあります。今後さらに情報技術が高度になっても、この対極にあるとってもローテクな手づくりの定例会の存在意義はすたれないと思います。

さて復学し大学生活2年目になった我家の息子ですが、今度は無謀にも一人暮らしをしたいといい始めました。ちょっと無理したらすぐ疲れて風邪など引いたりするくせに、一体何を考えているのやら。

でも普段あまりワガママ言わないヤツだから、今やりたい事をやらせておかないと出来なくなる日がくるんじゃないかとか、逆に一人暮らしの不規則な生活が再発の引き金になりはしないかとか、あ~母の心は千々に乱れるのでした。ホントに次から次へと心配事って出てくるもんですねぇ(*_*;

転院しHLAの再検査をする2006年04月27日 11時11分38秒

メールのやりとりをしている会員の方から転院後息子さんはいかがですか?と尋ねて頂き、すっかりひとりごとの更新を忘れていたことを思い出しました。

ずぼらな管理人でスミマセン<(_ _)>

結論からいうと、まだ一回の診察だけですがこのままいいカンジでやって行けそうな様子です。ただうちの場合、寛解に入った後維持療法を続けてMRD(微少残存病変)を追跡していくという治療方針だったため、いたずらに移植を薦めないと言われていたため、前の病院ではHLAの検査も簡単にしただけでした。

今回の病院では万が一の場合に備えて、本人のHLAはもちろん、一座不一致の次男の分や母親である私のHLAも遺伝子レベルで再検査しておくように薦められました。なぜなら遺伝子レベルでは二座不一致になってしまう可能性があるため、それだったらバンクでフルマッチのドナーを探す方がいいかもしれないからだそうです。

また最近は二座不一致でも母児寛容が云われているため、第3の選択肢の可能性として母親のHLAも確認もしていたほうがよいとのお話でした。

もちろんこのまま移植なしに治ってしまう場合も充分ありうるので、再検査は急がなくていいですよとの事でしたが、前もって準備しておく方が、それがたとえ杞憂に終わってたとしても心に余裕ができると思います。

こういう提案をして頂くと、また別の見方が出来て私は転院もよかったかなと思いました。当の本人はどう思っているかわかりませんが、「話しやすそうな先生やね」と淡々と状況を受け入れているようにみえました。

その時モリモリさんをお見舞いに行きましたが、移植前に行う化学療法(前処置ではない)が始まり、熱があって前回よりちょっとしんどそうでしたので早々に失礼してきました。次回の診察の時にまた様子をみてきますね。でも彼はくじけていませんよ、頑張っています!皆さんぜひ励ましメールをリボンの会に送ってくださいね!

いよいよGWに突入ですね。予備校生を抱える我家は大したイベントもありませんが、皆様は楽しくお過ごしくださいね~笑顔(^o^)で暮らすと免疫力アップしますからね。

転院を決意する2006年04月04日 11時08分38秒

代表の宮地さんと一緒にモリモリさんのお見舞いに行ってきました。モリモリさんはとってもいいカンジのメールを送って下さる方です。いつも明るく前向きで周りの人への感謝の言葉がいっぱいのメールには、モリモリさんの人柄がよく表れています。

最近のメールで再発のことを知り、もう居ても立ってもいられずに迷惑を顧みずに押しかけて行ったのでした。

モリモリさんは前回の移植のGVHDがひどく、まずその手当てをしてから、今後の治療に入られるそうです。今のところ血球数も下がっていないので、顔色もよく思ったよりお元気そうでしたので、しばらくとりとめの無い話をして帰りました。

病室にはパソコンが持ち込めるので、ぜひ皆さん、励ましメールをリボンの会宛に送ってください。私が責任を持ってモリモリさんにお届けします。

再移植になると、またまた孤独な闘いの日々が訪れます。どうか病室にいても、外の世界とつながっていられますように、リボンの会の会員と支えあっていけますように、このパソコンという文明の利器を最大限活用して応援して行きたいと思っています。皆さんもぜひご協力くださいね。

さて前回お話した息子の件ですが、K先生との最後の診察に行ってきました。維持療法が済んだとはいえまだまだ不安な気持ちでいっぱいの私たち親子ですが、やはり事情がありK先生について行くことはかないませんでした。

色々迷いましたが、結局転院してE先生にお世話になる事に決めました。先生今後は公私共にお世話になりますm(__)mよろしくお願いします。

このサイトをたててから、相談のメールを受けるようなり感じることは、病気そのものの悩みもありますが、やはり主治医との関係についての悩みが結構多いということです。長期にわたる治療を必要とする血液疾患の患者さんにとって、主治医の先生と良好な関係を作る事は、その後の治療を進めていく上でのとても大切な事です。

ある患者さんにとってこれほどの名医はないと思われる先生でも、果たして別の患者さんにとってもそうかというと必ずしもそうとはいえないから、人間の相性というものは不思議です。

そんな時私はいたずらにセカンドオピニオンを勧めることはしません。まず相手も人間ですから、うまくコミュニケーションをとる努力をしてみてください。セカンドオピニオンはそれからでも遅くないと思います。

その為に次のようなことをアドバイスしています。
①患者も自分の病気について勉強しましょう。
②聞きたい事は箇条書きにして書き留めておき、必ず先生にアポイントを取って質問するようにしましょう。
③質問には必ず複数の人間が立会い、メモを取るようにしましょう。
わからない事がクリアになれば、ずいぶん気持ちが落ち着いてきますよ。

上記のような努力をして、自分にとって相性のよい先生を見つけたら、どこまでも追っかけていきましょう!でも努力をしてもダメだったら、さっさと気持ちを切り替えて別の努力をすることも必要かもしれません。自分の生命なのですから変に遠慮して後悔はしたくありませんものね。

ふうーっ(+_+)今更ながら病気のことをいろいろ考えさせられた一週間でした。でもあきらめないよ!ガンバルからね!(^^)!