1クール終了しました2013年05月07日 20時16分35秒

ご心配おかけしております。突然の入院から1ヶ月あまり、色んな方から励ましメールやコメントを頂きだいぶ元気が出てきました。ありがたい限りです。

さて息子の治療は順調に進み1クール終了しましたので、はい、本日は、お決まりの、あの、みんなの嫌いな、骨髄穿刺をしましたよ。

結果は血液学的寛解に入ったということで、ひとまずは安堵しました。

良かった\(^o^)/

3日ほど休憩して週末から2クール目に突入です。

今後の治療方針はまだ詳しく説明されていないのですが、移植は1ヶ月延びたということですね。もう1クールしっかり叩きますっ!と担当の先生から言われました。

とにかく息子はニッコニコでこの限られた休日をどのように有効に使うか計画中です。もちろん彼女とも、そしてわざわざ遠方から帰って来てくれた友達とも会えそう♪

久々の明るいニュースに、私も嬉しくて入院中に彼からリクエストされていた食べたい物リストを片手に買い物に奔走しています。

つかの間の休みだけれど、しっかり英気を養ってまだまだ続く長丁場を乗り切ってもらいましょう!

1クール後半に突入しました2013年04月29日 09時56分36秒

さて順調に治療の進んでいる息子、後半の抗がん剤ロイナーゼの筋肉注射が3日前から始まりました。これは4日連続、左右のおしりに交互に打たれます。

今回の治療は心臓への負担を考慮して小児のプロトコールを使っているので、ロイナーゼが結構入るそうです。

普段おっとりしてあまり感情を表さない息子ですが、ちょっときつくなってきたのか機嫌が悪くなってきました。それでもまだ白血球は1300くらいはあるので、好きな物を持って行って食べさせています。

初発時はあまり誰にも知らせてほしくないようでしたのでお見舞いも限られた人だったのですが、今回はFBやLINEで自分から再発をカミングアウトしたようなので、結構友達が来てくれて気が紛れているみたいです。

まあ、なんといっても彼女の訪問が一番元気がでるみたいですけどね(笑)

本人は毛が抜けてなくて体力の残っているうちに会いに来て~!っていう思いなんでしょう。お見舞いが多いですねってナースさんたちに言われてます。

私も出来るだけフツーに暮らそうと心がけていますが、困った事に夜が眠れないというか眠りが浅く何度も起きてしまうようになりました。起きて白血病の本でも読みだそうものならますます悪循環に陥るのでそれは絶対しないようにしています。

そんな時友人から夜寝る前に飲むと鎮静効果のあるハーブティを頂きました。カモミールとミントとレモングラスのブレンドでとても飲みやすいんです。好きな味だったので何日か続けて飲むと6時間くらいはぐっすり眠れるようになりました。

さらに夜中に目が覚めた時でも大丈夫なとっておきの方法を編み出しました。大好きなハワイアンヒーリングミュージックを流し、ヨガの呼吸法をするのです。部屋にはカモミールのアロマをかすかに効かせます。

するといつのまにかまた眠っています。

今眠れていない皆さんも何か自分に合うやり方が見つかるといいですね。病室ではアロマとか無理でしょうが、音楽や呼吸法を工夫してみてください。

息子も初発の時はクールを重ねる度に睡眠のリズムが乱れひどい昼夜逆転になりました。退院後もずいぶん元に戻すのに苦労しました。

今はまだ夜が眠れているようです。まあ体がきついんだから眠れる時に眠ればいいんだけどね。

今朝見たNHKの番組「足元の小宇宙~82歳 植物写真家と見つめる生命~」の中で埴沙萌(ハニシャボウ)さんという82歳の植物写真家の言葉。

「世の中は楽しいことばかり。その中から楽しいことを探し出して楽しむことだね。」

彼は植物のある瞬間を捉えるために何時間でも何日でも何ヶ月でも待つのです。植物を見つめる彼の目は実に優しくて楽しそう!

今の自分にも焦らず信じて待つことが大切。そして足元にいっぱい転がっている楽しいことの中から、自分にとっての楽しいことを見つけて楽しむことが必要だな~と気づかされました。

臍帯血が届きました!2013年04月21日 13時21分32秒

19日の夕方、担当医の先生から、息子の移植に使う臍帯血が届いたとの報告を受けました。

何だか心の中がぽっと明るくなったような気がしました。

顔も知らないどこかの赤ちゃんとお母さんの贈り物です。

ありがとうございます。

生まれながらに誰かを助けてくれるなんて、なんてすごいベイビーなんだろう。

今はまだ病院内の冷凍庫の保存されているそうです。

息子の方の準備が整うまで待っていてね。

息子は移植しか方法がないことを頭では理解しているけど、気持ちがついていかないようで、本当に移植しないといけないのかな~?と私に時々問いかける。

私はつらいけど正論を言い続けるしかない。絶対絶対失いたくない存在だから...止めていいよとは言えないのだ。

先輩患者さんからも何度も何度も確認することで背中を押して欲しいのよと言われました。

その人も移植の間際まで逡巡されたそうです。

息子の覚悟の決まるその時が来るまで、ずっと傍らにいて言い続けようと思う。

治療開始2013年04月16日 11時32分52秒

入院から1週間、IVHが入る。

9年前の治療では胸から入れるやり方の病院だったので、首から入れるのは初体験。相当ビビッているみたい。

3年前私の実母が悪性リンパ腫でここに入院してた時にも横で見てたけど、何ということもなかったので、特別なんの意識もしていなかったが、今回息子があまりに痛がるので驚いた。

処置は適切でレントゲンでも正しい位置に入っていると確認されたが、痛くて口は開けられない、首は回せない、おまけに背中も痛み出してテンションが下がりっぱなし↓

まあそのうち違和感もなくなるよと言ったら、違和感じゃない痛みだと怒られた。夕食も食べられないので、持ってきたカップ麺をすごく柔らかく戻して、反対側の口の端から1,2本ずつ流し込む羽目に...

2日くらい経ってようやく痛みは軽くなったが、まだ首を回せずロボットみたいなぎこちない動きになっている。こんなことも後から笑って話せるようになればいいけど...

抗がん剤が入り出すと24時間点滴が下がるので動くのが億劫になる。気分の悪さと相まってどよ~んと寝ているので、ヨガでやっているマッサージをしてやると気持ちいいのか寝てしまった。

ここから3日間ダウノマイシン、オンコビン、メソトレキセートの髄注と続いてようやくお休み。

彼女が来てくれる日には復活しているといいけど。

それにしてもALLって9年前と全然治療法が変わっていないんだな~とつくづく思う。それに比べてCMLの分子標的薬の活躍は目覚ましい。

あ、でも支持療法は確実に進化しているみたい。制吐剤がよく効くのか今回は吐いていない。それだけでも患者にはありがたいこと!

再発から入院まで2013年04月16日 10時39分42秒

息子は4月2日(大安!)に入院した。

今回は2月の定期受診で少し白血球値が低かったため、1ヶ月後に再検査をしたところ、さらに低くなり好中球の値も悪かったので、骨髄穿刺と生検をして急性リンパ性白血病が確定した。

初発時のように全身状態が悪くなってからの発見ではなかったし、血小板もヘモグロビンも正常値の範囲内だったので、その場で入院というわけではなく一度自宅に帰された。

本人にも再発の自覚がないらしく、これが間違いでしたってことにならんかな~なんて言っていた。

治療開始まで少し余裕があった。さらに精密な検査を受けながら、その間外出許可を取って会社への報告、休職願、さらに社宅から自宅への引っ越しなど必要なことをすべて済ませた。

そして息子が行きたいと言ったすべてのお店に行き、好きな物を食べさせ、もちろん私の手料理も考えつく限り作って食べさせた。親子3人で過ごす最後の楽しい時間になるかもと思うと切なかった。

確定診断に続き治療方針の説明があった。覚悟してはいたが、根治を目指すために移植を見据えた治療になると言われた。

夫はもう一度化学療法だけで良くならないのかと念を押していたが、もうそれでは無理だという事を私はよくわかっていた。

初発のときに兄弟のHLA検査は受けていて、すぐ下の弟と一座不一致ということがわかっていたので、当然血縁者間の移植(おそらく骨髄からの)と思い込んでいたが、先生は別の提案をされた。

移植後のQOLを考えてまず骨髄バンクのフルマッチのドナーを探しましょう。そして広く臍帯血も視野に入れて一番いい移植を考えましょう。

そしてドナーの検索が始まったが、骨髄バンクの方にはあまり該当者がなく、臍帯血バンクの方に細胞数も十分なかなりよいものが見つかったとの報告を受けた。

当初化学療法を3クール受けてからの移植という予定だったが、初発時の影響を思われる心臓へのダメージが見つかったため、化学療法を早めに切り上げて、全身状態の良いうちに移植に踏み切るということになった。

再発はしたものの、今回気持ちの上で本当に楽なのは、主治医をはじめ担当に先生方を全面的に信頼できるという有難さである。それだけで本当に安心だし、つらい治療にも立ち向かって絶対に元の場所に帰る!と思えるのだ。

治療方針についての迷いや疑いがないので、患者は本来自分のすべき事、身体を清潔に保つ事などに専念できる。

さあ、いよいよ治療開始!

母は何か食べられそうな物をせっせと運ぶことにしよう。

ALLふたたび2013年04月16日 09時56分02秒

今年の桜は例年にない早咲きで、それがニュースになっていた時のことは覚えているのだけれど、いつ散ったのかは全然記憶にない。

3月29日は仕事をしていて携帯を見る余裕がなかったので、何本も着信記録が残っていたのに遅くまで気づかなかった。夕方ふと気付いて取った夫からの電話は息子の白血病の再発を告げるものだった。

周りは私の家族の事情など知らない人ばかりだったが、私の異常な様子を心配して仕事を切り上げて帰るように言ってくれたので、手短かに事の次第を話して帰宅した。

帰りの車の中では涙が溢れて止まらない。どこをどう運転して帰ったのかも覚えていない。

もう9年も経っているのに、あんなに嬉しそうに彼女が出来たことを話してくれたのに、仕事はきついけど毎日充実してるって、登録販売者の資格だって頑張って取ったのに...

ここまで来るのに休学、留年、卒業、就職とその都度大変な思いで乗り越えてきたのに、運命は残酷だと思った。

リボンの会の活動をしながら、自分の息子は長期生存率30%の方に入っているのだと自分に言い聞かせてやってきた。

帰宅後ほどなく息子が夫と共に帰ってきた。息子の前では絶対に泣くまいと心に決めていたが、それまで泣いていたのはバレていたかも。息子は冷静に振る舞っていた。

お母さんがここまで9年間勉強してきた事が役に立つねって言ったけど、本当は役に立たないことを願っていたのに...残念でたまらない。

でも一番悔しいのは本人だろう。

起こってしまったことは取り消せない。ここからは前を向いていくしかない。そして以前の生活、自分の居場所に戻れるように精一杯サポートするだけだ。

初発は18歳の3月初めだった。再発を告げられたのは27歳の3月の終わり。何だか3月とは相性が悪いね。

再発を告げた時息子の彼女が言った言葉。「エイプリルフールなの?」

今はこの明るさに救われている。