岡山大学病院での生体肺移植に思う ― 2013年07月02日 10時48分32秒
世界初の3歳児の母親からの生体肺移植のニュースには色んなことを考えさせられた。まずは順調に新しい肺が呼吸を始めたということでとても嬉しい。
その背景にあるものはもちろん同年齢の小児の脳死肺移植のドナーが極端に少ないことだろう。
が、私(血液疾患患者家族)にとっては、なぜ肺移植に至ったかということの方に関心が向いてしまう。この子はわずか3歳ですでにもう1つの過酷な移植を経験しているからだ。
肺の機能低下は、骨髄移植によるGVHDだったそうだ。酸素吸入が手離せない状態だったという。恐るべし、GVHD(移植片対宿主病)。
GVHDとは移植されたドナーの骨髄や血液の中の免疫細胞(リンパ球)がうまく働き始めると、今度は患者の臓器をよそ者とみなして攻撃を始める。
そうならないために患者は数種類の免疫抑制剤を移植の前後から、継続的にまたは断続的に組み合わせて投与される。まさに投薬のさじ加減といったところだろう。
この子の場合は肺に重く症状が出たので、肺移植に踏み切ったのだろう。白血病の治療として移植を乗り越えたのに、その先にまたGVHDによる肺移植とは...。
その時の親御さんの落胆と深い悲しみ、失望はいかばかりだったろうかと思う。でも主治医からそうするしか方法がないと言われたら、どんなに切なく悩ましい、重い決断だろうが親は決断するしかない。3歳の子どもに決断する力はないのだから。
うちも移植という治療を選択する時、ドナーソースで迷った。まず血縁者にHLAフルマッチはいなかった。一座不一致の弟と骨髄と臍帯血で、骨髄バンクには該当がなく、弟かと思った時、医師に細胞数の多い二座不一致の臍帯血を勧められた。
迷ったが信頼する医師が勧めるのだからと臍帯血に決めた。それぞれのドナーソースに一長一短はあるが、決め手はGVHDの軽さと時期が来たら免疫抑制剤がスパッと切れると言われた点だった。
造血幹細胞移植においては、移植そのものは重要ではあるが通過点にすぎない。その前に大量の放射線と抗がん剤による前処置、移植が終わっても生着まで耐えて待つ期間、生着したら急性&慢性GVHDと、果てしなく続く長い長い闘いなのだ。
息子はようやくWBC400。生着を待つトンネルの中にいる。ここまででも充分に苦しんでいるが、トンネルの先に出口の明かりは見えてきた。
この子はトンネルを抜けた途端、また次のトンネルに入ってしまったようなものだろう。予断は許さないだろうが何とかうまくいってほしい。家族の方も心が折れそうになるだろうが頑張って支えてあげてください。
とても他人事とは思えない。遠くからお祈りしています。
その背景にあるものはもちろん同年齢の小児の脳死肺移植のドナーが極端に少ないことだろう。
が、私(血液疾患患者家族)にとっては、なぜ肺移植に至ったかということの方に関心が向いてしまう。この子はわずか3歳ですでにもう1つの過酷な移植を経験しているからだ。
肺の機能低下は、骨髄移植によるGVHDだったそうだ。酸素吸入が手離せない状態だったという。恐るべし、GVHD(移植片対宿主病)。
GVHDとは移植されたドナーの骨髄や血液の中の免疫細胞(リンパ球)がうまく働き始めると、今度は患者の臓器をよそ者とみなして攻撃を始める。
そうならないために患者は数種類の免疫抑制剤を移植の前後から、継続的にまたは断続的に組み合わせて投与される。まさに投薬のさじ加減といったところだろう。
この子の場合は肺に重く症状が出たので、肺移植に踏み切ったのだろう。白血病の治療として移植を乗り越えたのに、その先にまたGVHDによる肺移植とは...。
その時の親御さんの落胆と深い悲しみ、失望はいかばかりだったろうかと思う。でも主治医からそうするしか方法がないと言われたら、どんなに切なく悩ましい、重い決断だろうが親は決断するしかない。3歳の子どもに決断する力はないのだから。
うちも移植という治療を選択する時、ドナーソースで迷った。まず血縁者にHLAフルマッチはいなかった。一座不一致の弟と骨髄と臍帯血で、骨髄バンクには該当がなく、弟かと思った時、医師に細胞数の多い二座不一致の臍帯血を勧められた。
迷ったが信頼する医師が勧めるのだからと臍帯血に決めた。それぞれのドナーソースに一長一短はあるが、決め手はGVHDの軽さと時期が来たら免疫抑制剤がスパッと切れると言われた点だった。
造血幹細胞移植においては、移植そのものは重要ではあるが通過点にすぎない。その前に大量の放射線と抗がん剤による前処置、移植が終わっても生着まで耐えて待つ期間、生着したら急性&慢性GVHDと、果てしなく続く長い長い闘いなのだ。
息子はようやくWBC400。生着を待つトンネルの中にいる。ここまででも充分に苦しんでいるが、トンネルの先に出口の明かりは見えてきた。
この子はトンネルを抜けた途端、また次のトンネルに入ってしまったようなものだろう。予断は許さないだろうが何とかうまくいってほしい。家族の方も心が折れそうになるだろうが頑張って支えてあげてください。
とても他人事とは思えない。遠くからお祈りしています。
血液病棟の七夕会に参加しました! ― 2013年07月02日 12時56分33秒
昨日は血液病棟の七夕会でした。
思えば3年前の夏、悪性リンパ腫(DLBCL)で入院していた母も参加させてもらったのを覚えています。母は音楽が大好きなのでとても喜んでいました。今も再発なく元気に暮らしています。
プログラムはピアノ演奏と朗読、そしてみんなで童心に帰って七夕飾りを作り、願い事の短冊もぶら下げました。
血液疾患のように長期入院している患者さんは季節感が乏しくなり単調な生活に陥りがちです。
だから浜の町病院では臨床心理士の先生や看護師さんが協力して、七夕会やクリスマス会、映画上映会など色々なイベントが開かれています。移転して新しい病院になっても続けられるそうです。
ピアノ演奏と朗読は先輩患者さん(MさんとYさん)のボランティアです。二人とも私より年は下ですが色々相談に乗ってくれる頼もしい先輩です。
午後のゆったりとした時間、ピアノの調べと朗読に癒されて過ごしました。どの曲も夏にちなんだ選曲で心地よく、最後はみんなで「見上げてごらん夜の星を」を歌いました。
二人からの応援メッセージにうんうんとうなづいている患者さんも多かったです。体験者だけがかけられる励ましの言葉、だからこそきらりと光って共感を呼ぶのでしょう。
私は欲張って願い事を3つも書いてしまいました。1つ目は息子に、2つ目は自分に、3つ目は血液疾患患者全体のために。
どの人の願いもどうか叶えられますように!
思えば3年前の夏、悪性リンパ腫(DLBCL)で入院していた母も参加させてもらったのを覚えています。母は音楽が大好きなのでとても喜んでいました。今も再発なく元気に暮らしています。
プログラムはピアノ演奏と朗読、そしてみんなで童心に帰って七夕飾りを作り、願い事の短冊もぶら下げました。
血液疾患のように長期入院している患者さんは季節感が乏しくなり単調な生活に陥りがちです。
だから浜の町病院では臨床心理士の先生や看護師さんが協力して、七夕会やクリスマス会、映画上映会など色々なイベントが開かれています。移転して新しい病院になっても続けられるそうです。
ピアノ演奏と朗読は先輩患者さん(MさんとYさん)のボランティアです。二人とも私より年は下ですが色々相談に乗ってくれる頼もしい先輩です。
午後のゆったりとした時間、ピアノの調べと朗読に癒されて過ごしました。どの曲も夏にちなんだ選曲で心地よく、最後はみんなで「見上げてごらん夜の星を」を歌いました。
二人からの応援メッセージにうんうんとうなづいている患者さんも多かったです。体験者だけがかけられる励ましの言葉、だからこそきらりと光って共感を呼ぶのでしょう。
私は欲張って願い事を3つも書いてしまいました。1つ目は息子に、2つ目は自分に、3つ目は血液疾患患者全体のために。
どの人の願いもどうか叶えられますように!
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