ALLふたたび ― 2013年04月16日 09時56分02秒
今年の桜は例年にない早咲きで、それがニュースになっていた時のことは覚えているのだけれど、いつ散ったのかは全然記憶にない。
3月29日は仕事をしていて携帯を見る余裕がなかったので、何本も着信記録が残っていたのに遅くまで気づかなかった。夕方ふと気付いて取った夫からの電話は息子の白血病の再発を告げるものだった。
周りは私の家族の事情など知らない人ばかりだったが、私の異常な様子を心配して仕事を切り上げて帰るように言ってくれたので、手短かに事の次第を話して帰宅した。
帰りの車の中では涙が溢れて止まらない。どこをどう運転して帰ったのかも覚えていない。
もう9年も経っているのに、あんなに嬉しそうに彼女が出来たことを話してくれたのに、仕事はきついけど毎日充実してるって、登録販売者の資格だって頑張って取ったのに...
ここまで来るのに休学、留年、卒業、就職とその都度大変な思いで乗り越えてきたのに、運命は残酷だと思った。
リボンの会の活動をしながら、自分の息子は長期生存率30%の方に入っているのだと自分に言い聞かせてやってきた。
帰宅後ほどなく息子が夫と共に帰ってきた。息子の前では絶対に泣くまいと心に決めていたが、それまで泣いていたのはバレていたかも。息子は冷静に振る舞っていた。
お母さんがここまで9年間勉強してきた事が役に立つねって言ったけど、本当は役に立たないことを願っていたのに...残念でたまらない。
でも一番悔しいのは本人だろう。
起こってしまったことは取り消せない。ここからは前を向いていくしかない。そして以前の生活、自分の居場所に戻れるように精一杯サポートするだけだ。
初発は18歳の3月初めだった。再発を告げられたのは27歳の3月の終わり。何だか3月とは相性が悪いね。
再発を告げた時息子の彼女が言った言葉。「エイプリルフールなの?」
今はこの明るさに救われている。
3月29日は仕事をしていて携帯を見る余裕がなかったので、何本も着信記録が残っていたのに遅くまで気づかなかった。夕方ふと気付いて取った夫からの電話は息子の白血病の再発を告げるものだった。
周りは私の家族の事情など知らない人ばかりだったが、私の異常な様子を心配して仕事を切り上げて帰るように言ってくれたので、手短かに事の次第を話して帰宅した。
帰りの車の中では涙が溢れて止まらない。どこをどう運転して帰ったのかも覚えていない。
もう9年も経っているのに、あんなに嬉しそうに彼女が出来たことを話してくれたのに、仕事はきついけど毎日充実してるって、登録販売者の資格だって頑張って取ったのに...
ここまで来るのに休学、留年、卒業、就職とその都度大変な思いで乗り越えてきたのに、運命は残酷だと思った。
リボンの会の活動をしながら、自分の息子は長期生存率30%の方に入っているのだと自分に言い聞かせてやってきた。
帰宅後ほどなく息子が夫と共に帰ってきた。息子の前では絶対に泣くまいと心に決めていたが、それまで泣いていたのはバレていたかも。息子は冷静に振る舞っていた。
お母さんがここまで9年間勉強してきた事が役に立つねって言ったけど、本当は役に立たないことを願っていたのに...残念でたまらない。
でも一番悔しいのは本人だろう。
起こってしまったことは取り消せない。ここからは前を向いていくしかない。そして以前の生活、自分の居場所に戻れるように精一杯サポートするだけだ。
初発は18歳の3月初めだった。再発を告げられたのは27歳の3月の終わり。何だか3月とは相性が悪いね。
再発を告げた時息子の彼女が言った言葉。「エイプリルフールなの?」
今はこの明るさに救われている。
再発から入院まで ― 2013年04月16日 10時39分42秒
息子は4月2日(大安!)に入院した。
今回は2月の定期受診で少し白血球値が低かったため、1ヶ月後に再検査をしたところ、さらに低くなり好中球の値も悪かったので、骨髄穿刺と生検をして急性リンパ性白血病が確定した。
初発時のように全身状態が悪くなってからの発見ではなかったし、血小板もヘモグロビンも正常値の範囲内だったので、その場で入院というわけではなく一度自宅に帰された。
本人にも再発の自覚がないらしく、これが間違いでしたってことにならんかな~なんて言っていた。
治療開始まで少し余裕があった。さらに精密な検査を受けながら、その間外出許可を取って会社への報告、休職願、さらに社宅から自宅への引っ越しなど必要なことをすべて済ませた。
そして息子が行きたいと言ったすべてのお店に行き、好きな物を食べさせ、もちろん私の手料理も考えつく限り作って食べさせた。親子3人で過ごす最後の楽しい時間になるかもと思うと切なかった。
確定診断に続き治療方針の説明があった。覚悟してはいたが、根治を目指すために移植を見据えた治療になると言われた。
夫はもう一度化学療法だけで良くならないのかと念を押していたが、もうそれでは無理だという事を私はよくわかっていた。
初発のときに兄弟のHLA検査は受けていて、すぐ下の弟と一座不一致ということがわかっていたので、当然血縁者間の移植(おそらく骨髄からの)と思い込んでいたが、先生は別の提案をされた。
移植後のQOLを考えてまず骨髄バンクのフルマッチのドナーを探しましょう。そして広く臍帯血も視野に入れて一番いい移植を考えましょう。
そしてドナーの検索が始まったが、骨髄バンクの方にはあまり該当者がなく、臍帯血バンクの方に細胞数も十分なかなりよいものが見つかったとの報告を受けた。
当初化学療法を3クール受けてからの移植という予定だったが、初発時の影響を思われる心臓へのダメージが見つかったため、化学療法を早めに切り上げて、全身状態の良いうちに移植に踏み切るということになった。
再発はしたものの、今回気持ちの上で本当に楽なのは、主治医をはじめ担当に先生方を全面的に信頼できるという有難さである。それだけで本当に安心だし、つらい治療にも立ち向かって絶対に元の場所に帰る!と思えるのだ。
治療方針についての迷いや疑いがないので、患者は本来自分のすべき事、身体を清潔に保つ事などに専念できる。
さあ、いよいよ治療開始!
母は何か食べられそうな物をせっせと運ぶことにしよう。
今回は2月の定期受診で少し白血球値が低かったため、1ヶ月後に再検査をしたところ、さらに低くなり好中球の値も悪かったので、骨髄穿刺と生検をして急性リンパ性白血病が確定した。
初発時のように全身状態が悪くなってからの発見ではなかったし、血小板もヘモグロビンも正常値の範囲内だったので、その場で入院というわけではなく一度自宅に帰された。
本人にも再発の自覚がないらしく、これが間違いでしたってことにならんかな~なんて言っていた。
治療開始まで少し余裕があった。さらに精密な検査を受けながら、その間外出許可を取って会社への報告、休職願、さらに社宅から自宅への引っ越しなど必要なことをすべて済ませた。
そして息子が行きたいと言ったすべてのお店に行き、好きな物を食べさせ、もちろん私の手料理も考えつく限り作って食べさせた。親子3人で過ごす最後の楽しい時間になるかもと思うと切なかった。
確定診断に続き治療方針の説明があった。覚悟してはいたが、根治を目指すために移植を見据えた治療になると言われた。
夫はもう一度化学療法だけで良くならないのかと念を押していたが、もうそれでは無理だという事を私はよくわかっていた。
初発のときに兄弟のHLA検査は受けていて、すぐ下の弟と一座不一致ということがわかっていたので、当然血縁者間の移植(おそらく骨髄からの)と思い込んでいたが、先生は別の提案をされた。
移植後のQOLを考えてまず骨髄バンクのフルマッチのドナーを探しましょう。そして広く臍帯血も視野に入れて一番いい移植を考えましょう。
そしてドナーの検索が始まったが、骨髄バンクの方にはあまり該当者がなく、臍帯血バンクの方に細胞数も十分なかなりよいものが見つかったとの報告を受けた。
当初化学療法を3クール受けてからの移植という予定だったが、初発時の影響を思われる心臓へのダメージが見つかったため、化学療法を早めに切り上げて、全身状態の良いうちに移植に踏み切るということになった。
再発はしたものの、今回気持ちの上で本当に楽なのは、主治医をはじめ担当に先生方を全面的に信頼できるという有難さである。それだけで本当に安心だし、つらい治療にも立ち向かって絶対に元の場所に帰る!と思えるのだ。
治療方針についての迷いや疑いがないので、患者は本来自分のすべき事、身体を清潔に保つ事などに専念できる。
さあ、いよいよ治療開始!
母は何か食べられそうな物をせっせと運ぶことにしよう。
治療開始 ― 2013年04月16日 11時32分52秒
入院から1週間、IVHが入る。
9年前の治療では胸から入れるやり方の病院だったので、首から入れるのは初体験。相当ビビッているみたい。
3年前私の実母が悪性リンパ腫でここに入院してた時にも横で見てたけど、何ということもなかったので、特別なんの意識もしていなかったが、今回息子があまりに痛がるので驚いた。
処置は適切でレントゲンでも正しい位置に入っていると確認されたが、痛くて口は開けられない、首は回せない、おまけに背中も痛み出してテンションが下がりっぱなし↓
まあそのうち違和感もなくなるよと言ったら、違和感じゃない痛みだと怒られた。夕食も食べられないので、持ってきたカップ麺をすごく柔らかく戻して、反対側の口の端から1,2本ずつ流し込む羽目に...
2日くらい経ってようやく痛みは軽くなったが、まだ首を回せずロボットみたいなぎこちない動きになっている。こんなことも後から笑って話せるようになればいいけど...
抗がん剤が入り出すと24時間点滴が下がるので動くのが億劫になる。気分の悪さと相まってどよ~んと寝ているので、ヨガでやっているマッサージをしてやると気持ちいいのか寝てしまった。
ここから3日間ダウノマイシン、オンコビン、メソトレキセートの髄注と続いてようやくお休み。
彼女が来てくれる日には復活しているといいけど。
それにしてもALLって9年前と全然治療法が変わっていないんだな~とつくづく思う。それに比べてCMLの分子標的薬の活躍は目覚ましい。
あ、でも支持療法は確実に進化しているみたい。制吐剤がよく効くのか今回は吐いていない。それだけでも患者にはありがたいこと!
9年前の治療では胸から入れるやり方の病院だったので、首から入れるのは初体験。相当ビビッているみたい。
3年前私の実母が悪性リンパ腫でここに入院してた時にも横で見てたけど、何ということもなかったので、特別なんの意識もしていなかったが、今回息子があまりに痛がるので驚いた。
処置は適切でレントゲンでも正しい位置に入っていると確認されたが、痛くて口は開けられない、首は回せない、おまけに背中も痛み出してテンションが下がりっぱなし↓
まあそのうち違和感もなくなるよと言ったら、違和感じゃない痛みだと怒られた。夕食も食べられないので、持ってきたカップ麺をすごく柔らかく戻して、反対側の口の端から1,2本ずつ流し込む羽目に...
2日くらい経ってようやく痛みは軽くなったが、まだ首を回せずロボットみたいなぎこちない動きになっている。こんなことも後から笑って話せるようになればいいけど...
抗がん剤が入り出すと24時間点滴が下がるので動くのが億劫になる。気分の悪さと相まってどよ~んと寝ているので、ヨガでやっているマッサージをしてやると気持ちいいのか寝てしまった。
ここから3日間ダウノマイシン、オンコビン、メソトレキセートの髄注と続いてようやくお休み。
彼女が来てくれる日には復活しているといいけど。
それにしてもALLって9年前と全然治療法が変わっていないんだな~とつくづく思う。それに比べてCMLの分子標的薬の活躍は目覚ましい。
あ、でも支持療法は確実に進化しているみたい。制吐剤がよく効くのか今回は吐いていない。それだけでも患者にはありがたいこと!
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