父と暮らした2週間2005年09月14日 10時04分42秒

ひょんな事から実家の母が入院し、父を8月の終わり頃から2週間ほど我が家で預かることになった。思えば結婚してから、父と暮らすのは初めてのことだ。この20年の間に、母と共に我が家に遊びに来たりはしたが、一緒に生活をするということはなかった。

父は典型的な仕事人間で病気らしい病気もしなかったが、70歳で現役を退いてからは、病気の連続だった。5年の間に3度も長期入院をし、その度に坂を転げ落ちるように年老いた。

せっかくのんびりと好きな事のできる生活を手に入れたのに、体力が落ちたのと、無趣味な為、ほとんど家から出なくなった。放っておくと、食事時間以外はほとんどTVの前で、観ているか居眠りしているかのような生活になってしまう。

こちらにいる間はできるだけ色んな経験をさせようと、毎日のように外に連れ出した。野球観戦・ドライブ・温泉・孫の運動会など、父は億劫そうに付いてきた。

私は私で自分の生活パターンを父に合わせたため、PCを触ることもなく、社会から遮断されたような気分になった。今も若干戻れないでいるけど。

こんな生活も後にはいい思い出になるのだろうか。最後に父を博多駅のホームまで連れていき、のぞみに乗せた時、「本当に楽しい2週間だった。ありがとう。」と言われた。電車が出て行く時、何だかホッとして涙が少し出た。

退院後1年経ちました!2005年09月18日 10時07分27秒

過ぎてしまってからふと思い出しました。息子が6ヶ月間の化学療法を終えて退院してからもう一年が経過したことを。

今でも再発の不安がないと言えば嘘になりますが、こうやって普通の大学生活が送れていることに感謝し、普通ってなんて幸せな事だろうかとしみじみと思います。そして更に嬉しい事に最近20歳の誕生日を迎える事ができました。

Happy Birthday!

昨夏は精神的にも肉体的にもギリギリのところで、ただひたすら「9月には家に帰って19歳の誕生日を迎えよう」というのが、私たち家族の合言葉でした。しかし帰ってからも副作用が強く残り、口内炎がひどく、点滴に通う毎日で誕生日のご馳走も食べられないような状態でした。

長期間の入院で足腰が弱り、最初は家の中を歩くのがやっとという状態から、少しずつ外へ出て散歩が出来るようになり、車の免許を取ってドライブが出来るようになり、寒い冬を感染症にかかることもなく乗り切り、治療で抜けた髪もようやく生え揃い、春が来て大学に復学しました。

社会復帰にあたり親子で色々心配したことは、ほとんど杞憂に終わりました。息子は今まで我慢してきた事を取り戻そうとしているかのように、パワー全開で新しい事(主に遊び!?)に挑戦しています。

大学に入ってからの友達には病気の事を言っていないようなので、普通に思ってもらいたくて少々無理をしているように親の目からは見えます。今も外来での治療が続いているので、親としてはハラハラなのですが、見守ることしかできないものですね。

現在入院治療中の皆さん、息子だって将来移植が必要になるかもしれませんが、取り敢えず今はこんなに元気で青春しています。とことん不安になり落ち込む日もあるでしょうが、どんな小さな事でもいいから、心の支えにして乗り切ってくださいね。

息子曰く、入院中の極意は「一日一日をあまり深く物事を考えずに過ごすこと」と「この薬はがん細胞に効いていると自己暗示をかけること」の2つだそうです。あと制限はありますが、できる限りの美味しい差し入れも気分UPの重要なアイテムだという事です。