息子の近況 ― 2024年10月07日 15時43分38秒
海綿状血管腫の退院後、初めてのMRIの結果を聞きにF大病院に行ってきました。
前回の診察からは3ヶ月たち、もう頭痛や痺れとは無縁の生活を送っていますが、果たして脳の中はどうなっているのでしょうか?
ご安心ください。血管腫は若干小さくなっているかのように見えました。症状が落ち着いているので次回は半年後の診察でよいそうです。
ホッとしました。亡くなった夫も天国から喜んでくれているのではないでしょうか。
今月中に夫の納骨をする予定です。
息子もこれからは自分の楽しみを見つけて、仕事とのバランスのよい生活をしていってもらいたいと思います。
私も年が明けたら本来の自分の生活が取り戻せたらいいなと思います。
なんだかものすごくハードな夏でしたが、秋の気配と共に少し落ち着いてきたように思います。
前回の診察からは3ヶ月たち、もう頭痛や痺れとは無縁の生活を送っていますが、果たして脳の中はどうなっているのでしょうか?
ご安心ください。血管腫は若干小さくなっているかのように見えました。症状が落ち着いているので次回は半年後の診察でよいそうです。
ホッとしました。亡くなった夫も天国から喜んでくれているのではないでしょうか。
今月中に夫の納骨をする予定です。
息子もこれからは自分の楽しみを見つけて、仕事とのバランスのよい生活をしていってもらいたいと思います。
私も年が明けたら本来の自分の生活が取り戻せたらいいなと思います。
なんだかものすごくハードな夏でしたが、秋の気配と共に少し落ち着いてきたように思います。
脳外科退院後の初外来でした! ― 2024年07月05日 17時27分37秒
退院後はじめての外来でCTを撮ってもらいました。
最近の息子は右手足のしびれ以外のほとんどの症状が軽快しており、それを裏付けるかのようにCTにも新たな出血は見受けられませんでした。
主治医の先生も安心されたようで次回の予約は3ヶ月先のMRIと受診になりました。そして車の運転にもOKが出ました。これで私は運転手から解放されます。
とにかく何か異常を感じたらすぐに来るようにと言われて診察は終わりました。少し肩の荷がおりた気がして明るい気持ちになりました。
相変わらず1日の大半を眠っているような生活ですが、とにかく無理をしないことが一番なので眠ることも仕事のうちと割り切って、7月末での退職を決めました。
病院からの帰りに退職届を出し、これからは家事を手伝うと言ってくれましたが、相変わらずグーグー寝ています。
しかし健康な者でもこの暑さ!無理は禁物です。わが家のもうひとりの重病人も食欲が落ちて大変。ひとり別メニューにしているので、食事が作りが地味に私のストレスです。
私も少しずつですが以前の生活に戻れるよう時間の使い方を工夫しています。旅行や趣味の習い事には行けませんが、外出の時間を増やしていけるのではないかと思います。
手始めに、心配してくれている友達とランチなんていいかもです(^^♪
最近の息子は右手足のしびれ以外のほとんどの症状が軽快しており、それを裏付けるかのようにCTにも新たな出血は見受けられませんでした。
主治医の先生も安心されたようで次回の予約は3ヶ月先のMRIと受診になりました。そして車の運転にもOKが出ました。これで私は運転手から解放されます。
とにかく何か異常を感じたらすぐに来るようにと言われて診察は終わりました。少し肩の荷がおりた気がして明るい気持ちになりました。
相変わらず1日の大半を眠っているような生活ですが、とにかく無理をしないことが一番なので眠ることも仕事のうちと割り切って、7月末での退職を決めました。
病院からの帰りに退職届を出し、これからは家事を手伝うと言ってくれましたが、相変わらずグーグー寝ています。
しかし健康な者でもこの暑さ!無理は禁物です。わが家のもうひとりの重病人も食欲が落ちて大変。ひとり別メニューにしているので、食事が作りが地味に私のストレスです。
私も少しずつですが以前の生活に戻れるよう時間の使い方を工夫しています。旅行や趣味の習い事には行けませんが、外出の時間を増やしていけるのではないかと思います。
手始めに、心配してくれている友達とランチなんていいかもです(^^♪
遅い梅雨入り ― 2024年06月20日 09時56分17秒
九州北部もようやく梅雨入りしたがまだそれほど雨は降っていない。
天気が悪いと頭痛がするのかと思いきやそういう訳でもないらしく、頭痛はないものの船酔いのような気分と痺れは続いている。
2、3日前から左手も痺れを感じるらしく不安な気持ちは募るが、病院に電話してみたらと言っても、どうせ行ってもすることはないのだから同じと言って、ただただ静かに寝ている。
先日久しぶりに自分の車を動かさないとバッテリーが心配というので、仕方なく私が息子の車を運転して助手席に息子を乗せ、近くの市場まで買物に行った。
2シートのスポーツカーをオバサンが40キロでノロノロ運転し、若い男の子を乗せてるなんてすごく奇妙な図だったが、息子の車を運転するのは初めてなので仕方ない。
まあおかげで無事故で、息子も車酔いはしなかったのでホッ!
もうひとりの重病人もまだ自分で運転してはいるのだが、それはそれで心配。急変があって他の人を巻き込むようなことがあったらどうする?!
でも言えないのよね。止めたら?って。
梅雨空のように悩ましいことが続いている。
天気が悪いと頭痛がするのかと思いきやそういう訳でもないらしく、頭痛はないものの船酔いのような気分と痺れは続いている。
2、3日前から左手も痺れを感じるらしく不安な気持ちは募るが、病院に電話してみたらと言っても、どうせ行ってもすることはないのだから同じと言って、ただただ静かに寝ている。
先日久しぶりに自分の車を動かさないとバッテリーが心配というので、仕方なく私が息子の車を運転して助手席に息子を乗せ、近くの市場まで買物に行った。
2シートのスポーツカーをオバサンが40キロでノロノロ運転し、若い男の子を乗せてるなんてすごく奇妙な図だったが、息子の車を運転するのは初めてなので仕方ない。
まあおかげで無事故で、息子も車酔いはしなかったのでホッ!
もうひとりの重病人もまだ自分で運転してはいるのだが、それはそれで心配。急変があって他の人を巻き込むようなことがあったらどうする?!
でも言えないのよね。止めたら?って。
梅雨空のように悩ましいことが続いている。
退院後1週間たちましたが ― 2024年06月14日 08時53分03秒
ふらつきのない時にはごはんも食べられるので元気のつくものを食べようということで、車で5分もかからない近所のうなぎ屋さんへ行ったのだが、車に乗った途端耐えられないめまいと吐き気に襲われ、結局半分も食べられずお持ち帰りにしてもらった。
生活の中で一体何をしたら良くて何をしたら悪いのかが本人にもやってみるまで分からない。こんなにQOLが下がってしまうなんて辛いだろうな。
朝は普通に起きて朝食後また寝る、昼過ぎに起きて軽い昼食後また寝る。夕方起きてシャワーを浴び夕食をとる。夜ものぞくと寝ている。
とにかく昼夜逆転を起こさないよう生活のリズムを整えるのが大切と思っているので、サポート側も気をつかう。あまり静かだと呼吸が止まっているのではないかと心配になる。
退院後に11歳のセカンドバースデイを迎えたので、何が食べたいか聞くとお寿司といったので、車が怖かったが15分ほどの所にある景色のよいお寿司屋さんまで後部座席に寝かせたまま行ってみることにした。
時速40キロほどの出来るだけ急加速急ブレーキを避けてのドライブ。それでももしまた気分が悪くなったらテイクアウトにしてもらうつもりで出かけてみたが、体を横にしているとどうも酔わないようだった。
何の楽しみもない療養生活で久々の気分転換になったようで、息子はとても喜んでいた。
もうひとりの重病人にもそれなりに気を遣うので、私にとっても久々の気分転換になった。
ああ、親を見送った後残りの人生は自分の時間と思っていたが、甘かった。まだまだ闘いの日々は続く。
息子が小康を得たらセカンドオピニオンを取りに行きたいのだが、その勉強と下調べもしておかなくちゃ。
亡くなったゴッドハンド福島孝徳先生のお弟子さんは福岡にいるのかなぁ。遠くまで行くにはもう一人の重病人がネックになるし、今は息子を置いて遠方まで行くのも躊躇われる。
今までにない閉塞感。でも基本、なるようにしかなりません。それでも準備は必要だから、ぼちぼち始めよう。
生活の中で一体何をしたら良くて何をしたら悪いのかが本人にもやってみるまで分からない。こんなにQOLが下がってしまうなんて辛いだろうな。
朝は普通に起きて朝食後また寝る、昼過ぎに起きて軽い昼食後また寝る。夕方起きてシャワーを浴び夕食をとる。夜ものぞくと寝ている。
とにかく昼夜逆転を起こさないよう生活のリズムを整えるのが大切と思っているので、サポート側も気をつかう。あまり静かだと呼吸が止まっているのではないかと心配になる。
退院後に11歳のセカンドバースデイを迎えたので、何が食べたいか聞くとお寿司といったので、車が怖かったが15分ほどの所にある景色のよいお寿司屋さんまで後部座席に寝かせたまま行ってみることにした。
時速40キロほどの出来るだけ急加速急ブレーキを避けてのドライブ。それでももしまた気分が悪くなったらテイクアウトにしてもらうつもりで出かけてみたが、体を横にしているとどうも酔わないようだった。
何の楽しみもない療養生活で久々の気分転換になったようで、息子はとても喜んでいた。
もうひとりの重病人にもそれなりに気を遣うので、私にとっても久々の気分転換になった。
ああ、親を見送った後残りの人生は自分の時間と思っていたが、甘かった。まだまだ闘いの日々は続く。
息子が小康を得たらセカンドオピニオンを取りに行きたいのだが、その勉強と下調べもしておかなくちゃ。
亡くなったゴッドハンド福島孝徳先生のお弟子さんは福岡にいるのかなぁ。遠くまで行くにはもう一人の重病人がネックになるし、今は息子を置いて遠方まで行くのも躊躇われる。
今までにない閉塞感。でも基本、なるようにしかなりません。それでも準備は必要だから、ぼちぼち始めよう。
退院しました! ― 2024年06月05日 16時14分40秒
本日なんとか脳神経外科から退院した。
なんとか、というのも完治という訳ではなく、これ以上入院していても治療すべきことがないから、である。
点滴が外れ、吐き気止めも内服できるようになったので、あとはのんびり自宅で療養してくださいってこと。
退院にあたり説明を受けた。
病名はほぼ「海綿状血管腫」である。しかし組織を採って調べることが危険すぎてできない場所なので確定診断ではない。
海綿状血管腫は先天的な静脈の奇形が多いが、おそらく息子の場合は造血幹細胞移植の際の前処置で全身放射線を浴びているので、その影響とも考えられる。実際にそういう症例も報告されているらしい。
手術は現段階では行うべきではないが、もし再出血を起こすようであれば、生命維持のために危険を覚悟で手術をしなければならない時もある。リスクとベネフィットを天秤にかけてイチかバチかやらなきゃならないってことね(T_T)
しかし、ここで問題なのが息子の心臓。心毒性のある抗がん剤治療を受けたために慢性心不全なので、全身麻酔には耐えられないかもしれないとの所見である。
とにかく出血をしないように祈るのみであるが、そのために注意すべきことは限られている。
力むようなことを避ける。重い物を持ったり、排便の時にいきんだり、しないこと。くらいである。
本当にもう趣味のテニスにも復帰できないのかなぁ。ただただ静かに暮らすだけってどうなの(-_-;)
とにかく1ケ月後の外来受診まではおとなしく出血しないよう暮らすしかない。
あと、最後に私が質問したのは、飛行機に乗ってもいいですか?ということ。
先生は乗っても大丈夫です!と言われたので、息子と2人でどこか南の島へでも行ってのんびりしたいなぁ。
でもわが家にはもう1人重病人がいるのでその人を置いてはいけない。ホントに人生で優先すべきことって何だろう?
なんとか、というのも完治という訳ではなく、これ以上入院していても治療すべきことがないから、である。
点滴が外れ、吐き気止めも内服できるようになったので、あとはのんびり自宅で療養してくださいってこと。
退院にあたり説明を受けた。
病名はほぼ「海綿状血管腫」である。しかし組織を採って調べることが危険すぎてできない場所なので確定診断ではない。
海綿状血管腫は先天的な静脈の奇形が多いが、おそらく息子の場合は造血幹細胞移植の際の前処置で全身放射線を浴びているので、その影響とも考えられる。実際にそういう症例も報告されているらしい。
手術は現段階では行うべきではないが、もし再出血を起こすようであれば、生命維持のために危険を覚悟で手術をしなければならない時もある。リスクとベネフィットを天秤にかけてイチかバチかやらなきゃならないってことね(T_T)
しかし、ここで問題なのが息子の心臓。心毒性のある抗がん剤治療を受けたために慢性心不全なので、全身麻酔には耐えられないかもしれないとの所見である。
とにかく出血をしないように祈るのみであるが、そのために注意すべきことは限られている。
力むようなことを避ける。重い物を持ったり、排便の時にいきんだり、しないこと。くらいである。
本当にもう趣味のテニスにも復帰できないのかなぁ。ただただ静かに暮らすだけってどうなの(-_-;)
とにかく1ケ月後の外来受診まではおとなしく出血しないよう暮らすしかない。
あと、最後に私が質問したのは、飛行機に乗ってもいいですか?ということ。
先生は乗っても大丈夫です!と言われたので、息子と2人でどこか南の島へでも行ってのんびりしたいなぁ。
でもわが家にはもう1人重病人がいるのでその人を置いてはいけない。ホントに人生で優先すべきことって何だろう?
転院を止めて退院することにしました! ― 2024年06月03日 09時20分22秒
先週末に転院の調整をかけてもらっていたがなかなか適当な病院に空きが見つからない。
頭痛に関してはほぼ収まったようなので、めまい、ふらつき、右手足の痺れはあるものの、自宅に帰って療養することにした。
呼吸停止に関しては自宅で看ることに不安を感じない訳ではないが、それよりも病院での生活が徐々に本人を精神的に追い詰めていくので、自宅でのんびりした方がよいのではないかという判断をした。
息子自身も同室のお爺さんたちの立てる様々な物音で安眠できないようだし←これは白血病で入院していた時も言っていたなぁ(笑)
ここに来て心配なのは退院後の生活で注意すべき点がわからないこと。病院からの説明はあるだろうが、再出血を防ぐ手立てとかがあるなら教えて欲しい。
患者のブログなども探してみるが白血病より少ないかも...
リハビリの関する情報も知りたいなぁ。
まだ運転も危なくてさせられないので、運転手や家政婦など何役もこなさなければならない。
もともとかかっている原疾患の方の病院への付き添いもあるしね。
母はいちだんと忙しくなりそう(*_*;
頭痛に関してはほぼ収まったようなので、めまい、ふらつき、右手足の痺れはあるものの、自宅に帰って療養することにした。
呼吸停止に関しては自宅で看ることに不安を感じない訳ではないが、それよりも病院での生活が徐々に本人を精神的に追い詰めていくので、自宅でのんびりした方がよいのではないかという判断をした。
息子自身も同室のお爺さんたちの立てる様々な物音で安眠できないようだし←これは白血病で入院していた時も言っていたなぁ(笑)
ここに来て心配なのは退院後の生活で注意すべき点がわからないこと。病院からの説明はあるだろうが、再出血を防ぐ手立てとかがあるなら教えて欲しい。
患者のブログなども探してみるが白血病より少ないかも...
リハビリの関する情報も知りたいなぁ。
まだ運転も危なくてさせられないので、運転手や家政婦など何役もこなさなければならない。
もともとかかっている原疾患の方の病院への付き添いもあるしね。
母はいちだんと忙しくなりそう(*_*;
移植後11年経ちました! ― 2024年06月02日 08時55分14秒
6月は息子の移植月にあたるので、毎年感謝を込めてさい帯血を提供いただいたドナーに思いを馳せる。
「あなたたち親子のおかげで息子は今もこの世にいます。ありがとうございます。」と出来れば直接伝えたい。
今年は思いがけない病気になって入院しているけど、危機的状況は脱して、もうすぐやってくるセカンドバースデイをおそらく迎えることができるだろう。
せっかく頂いた生命なのだから無駄にしないよう一日一日を大切に過ごしてもらいたい。
何もご大層なことを成し遂げなくとも、普通の生活を普通に送ってくれたらそれで十分なのに、次々と困難なことが襲ってくる運命。
それでも受け入れて最善を尽くすしかない。
せめてドナーの親子が健康で幸せな人生を歩まれていることいつも願っている。
ありがとうございました。
「あなたたち親子のおかげで息子は今もこの世にいます。ありがとうございます。」と出来れば直接伝えたい。
今年は思いがけない病気になって入院しているけど、危機的状況は脱して、もうすぐやってくるセカンドバースデイをおそらく迎えることができるだろう。
せっかく頂いた生命なのだから無駄にしないよう一日一日を大切に過ごしてもらいたい。
何もご大層なことを成し遂げなくとも、普通の生活を普通に送ってくれたらそれで十分なのに、次々と困難なことが襲ってくる運命。
それでも受け入れて最善を尽くすしかない。
せめてドナーの親子が健康で幸せな人生を歩まれていることいつも願っている。
ありがとうございました。
転院を視野にいれて長期戦を覚悟 ― 2024年05月31日 10時46分15秒
洗濯物を届けに毎日病院へ行き、息子のメンタルをサポートする毎日。
日によって体調の波が大きく、快方へ向かっているという実感がないが、頭痛は少し収まってきたように思う。
相変わらずめまいやふらつきがひどく、それで気分が悪くなり吐いてしまうことも。
食事も三度三度食べるのは難しいらしく、食事時間に気分が悪いと食べられないことも多い。そして夜中にお腹が空いて寝られないこともあるそうだ。
結局、正式なセカンドオピニオンではないが、知り合いや親戚の医師に尋ねてみると、手術などの積極的な治療がない以上、転院して気長に体調が回復するのがいいとのアドバイスを受けた。
このまま退院させられるのははっきり断り、転院先の調整に入ってもらうことにする。
何となくではあるが今後の方向性が決まったので、息子の会社へ休職届や傷病手当金申請書を取りに行ったり、生命保険会社に申請書類を請求したりして、私も何かと忙しい。
運悪く寝違えたのか、数日前から首が痛くて動かせない。知らず知らずに疲れがたまっているのか、夜も睡眠が小間切れでよく目覚めてしまう。そして夜中は思考がネガティブになる。
早く自分のペースで生活しなくてはと思うのだが、それは転院してからになるかな。5月が今日で終わる。落ち着かない日々はもうしばらく続きそう。
日によって体調の波が大きく、快方へ向かっているという実感がないが、頭痛は少し収まってきたように思う。
相変わらずめまいやふらつきがひどく、それで気分が悪くなり吐いてしまうことも。
食事も三度三度食べるのは難しいらしく、食事時間に気分が悪いと食べられないことも多い。そして夜中にお腹が空いて寝られないこともあるそうだ。
結局、正式なセカンドオピニオンではないが、知り合いや親戚の医師に尋ねてみると、手術などの積極的な治療がない以上、転院して気長に体調が回復するのがいいとのアドバイスを受けた。
このまま退院させられるのははっきり断り、転院先の調整に入ってもらうことにする。
何となくではあるが今後の方向性が決まったので、息子の会社へ休職届や傷病手当金申請書を取りに行ったり、生命保険会社に申請書類を請求したりして、私も何かと忙しい。
運悪く寝違えたのか、数日前から首が痛くて動かせない。知らず知らずに疲れがたまっているのか、夜も睡眠が小間切れでよく目覚めてしまう。そして夜中は思考がネガティブになる。
早く自分のペースで生活しなくてはと思うのだが、それは転院してからになるかな。5月が今日で終わる。落ち着かない日々はもうしばらく続きそう。
えっ!もう退院ってマジ?! ― 2024年05月29日 06時55分18秒
息子の症状は一進一退で鎮痛剤や制吐剤の効いている間はいいが、一向に良くなっているという実感はなく、むしろ進んでいるような感じさえするらしい。
たまたま面会に行った時にデイルームで担当医が通りかかって、ちょうどいいからお話しますねって軽い感じで、「これ以上入院しててもすることもありませんので退院の方向で調整します。」と言われ飛び上がるほど驚いた。
だってまだ頭はズキズキするし、ふらつき、気分の悪さ、右足右手のしびれなど、症状が良くなっているという実感がないのに!!
「CTをみても出血は収まっていて拡大はしていないので、それらの症状は脳の腫れによるものでピークは過ぎています。」とおっしゃる。
息子が「このまま家に帰っても普通の生活が送れる自信がない。」というと、「ここは急性期病院ですから別の病院に転院する方向で調整をかけてみましょうか?空きがあればの話ですが。」と言われた。
この苦しい症状は後遺症だからこのまま一生付き合っていくしかないの?手足のしびれはともかく、頭痛や吐き気、ふらつきもずっと我慢しいて生きてゆくなんて普通の人間には無理じゃない?
精神がやられてしまうよっ!!!!!
とは言わなかったけどなんだか納得いかない。
もちろんネットで調べても延髄の海綿状血管腫の手術は危険すぎて出来ないと書かれていて。それが第一選択肢でないことは私にもわかる。
しかし社会復帰までの道筋がちょっと乱暴じゃないのかしら?と思ってしまう。
とにかく転院先を探してもらうようにお願いしてこの日は帰ってきた。
セカンドオピニオンという言葉がチラッと脳裏をかすめたが、私も年をとったせいかパワーが出ない。
息子ももう今の仕事は辞めるしかないのかなぁと気落ちしている。
これから後遺症を抱え一生びくびくしながら暮らしていくのかな。
白血病の再発恐怖からようやく逃れられたと思ったら、今度は海綿状血管腫の再出血の恐怖におびえながら暮らすのか、実に暗澹たる気持ち。
たまたま面会に行った時にデイルームで担当医が通りかかって、ちょうどいいからお話しますねって軽い感じで、「これ以上入院しててもすることもありませんので退院の方向で調整します。」と言われ飛び上がるほど驚いた。
だってまだ頭はズキズキするし、ふらつき、気分の悪さ、右足右手のしびれなど、症状が良くなっているという実感がないのに!!
「CTをみても出血は収まっていて拡大はしていないので、それらの症状は脳の腫れによるものでピークは過ぎています。」とおっしゃる。
息子が「このまま家に帰っても普通の生活が送れる自信がない。」というと、「ここは急性期病院ですから別の病院に転院する方向で調整をかけてみましょうか?空きがあればの話ですが。」と言われた。
この苦しい症状は後遺症だからこのまま一生付き合っていくしかないの?手足のしびれはともかく、頭痛や吐き気、ふらつきもずっと我慢しいて生きてゆくなんて普通の人間には無理じゃない?
精神がやられてしまうよっ!!!!!
とは言わなかったけどなんだか納得いかない。
もちろんネットで調べても延髄の海綿状血管腫の手術は危険すぎて出来ないと書かれていて。それが第一選択肢でないことは私にもわかる。
しかし社会復帰までの道筋がちょっと乱暴じゃないのかしら?と思ってしまう。
とにかく転院先を探してもらうようにお願いしてこの日は帰ってきた。
セカンドオピニオンという言葉がチラッと脳裏をかすめたが、私も年をとったせいかパワーが出ない。
息子ももう今の仕事は辞めるしかないのかなぁと気落ちしている。
これから後遺症を抱え一生びくびくしながら暮らしていくのかな。
白血病の再発恐怖からようやく逃れられたと思ったら、今度は海綿状血管腫の再出血の恐怖におびえながら暮らすのか、実に暗澹たる気持ち。
あと少しで移植後11年という、ある日に... ― 2024年05月28日 11時08分58秒
来月セカンドバースデイを迎え11歳になる息子38歳(実年齢)が首の痛みを訴えて整形外科を受診。
ここ数ヶ月四十肩でお世話になっているフツーの町のお医者さんへいくと、レントゲンでは首に異常はなし。頚椎症も考えにくいねぇといって、鎮痛剤や筋弛緩剤の混合散剤を処方された。
服用するととんでもない気分の悪さとふらつきがあり、翌日も受診して薬を半量に減らすように指示された。しかし症状は改善せず、自己判断で服用をストップし、土日を何とかカロナールのみで乗り切った。
日曜日の夜に友人のご主人(脳神経外科医)にLINEで状況を説明すると、うちに来てもCTしかないので、まずはMRIの撮れるところへ行くようにアドバイスを受けた。
月曜日の朝いちで整形外科を受診し症状が悪くなっていることを伝え、MRIの撮れる病院を紹介してもらう。すぐにMRIを撮ってもらうと完全に頚椎症ではないとの判断。脳幹部(延髄)に何かが写っていた。
これは脳外科の領域だと言われたため、そのままアドバイスをくれた友人の脳神経外科へ直行し、CTを撮って診察を受けた。
この時点ですでにはっきり右足に痺れがあり、ふらつきもひどくなっていた。また若干嚥下の違和感もあった。CTの結果も延髄に腫瘍のようなもの(確定診断ではない)が写っていたため、すぐに大きな病院を紹介され、翌々日に予約が取れたので受診する。
白血病の再発でさい帯血移植を受けた時に全身放射線治療を受けているし、大量の抗がん剤も投与されているので、まさか二次がん?という不安も頭をよぎった。
不安な一日を過ごし、次の日に診察を受けると、まずは延髄という場所が非常に悪く、呼吸停止が急に起こる可能性があるので、今日はこのまま入院して、病気を特定する検査は入院して行うとの指示があった。
何とかお願いして荷物だけ取りに帰らせてもらい、慌ただしく入院した。次の日からMRIや造影剤を使ったCTなど諸々検査があり、24日夕方に確定診断の電話があった。
病名は海綿状血管腫。悪性腫瘍ではなかったものの、出来ている位置が非常に悪く、手術での除去は現時点では考えられない。
出血を抑え脳の腫れを取る点滴をして経過観察をしますとのこと。と同時に再出血に備えて、心臓の検査もするとのことだった。
息子の心臓は白血病治療で使った抗がん剤の心毒性のため、慢性新不全で、不整脈もあるのでずっと薬を服用している。なので色んな可能性に備えて検査するみたい。
何せかかりつけの病院ではないので、担当医とのコミュニケーションの取り方がわかりづらく、しかもコロナ以降面会の制限もあるので息子の様子もかたわらでずっと見られないので不安は募る。
症状もいい日と悪い日の差が激しく、本人曰く痺れの範囲が広がっているらしい。今では右手にも痺れがある。
リハビリの先生の話だと、歩行とかに障害は出ていないが、筋力や反応時間に左右差が出ているらしい。
ああ、10年後ごとに何かが起こる息子の人生。まったくもって不憫でしかたがない(T_T)
しかし患者家族歴20年の私。こんなことではへこたれない。今回も絶対あきらめないからね!
白血病の闘病記ではないけど、ここにこのまま海綿状血管腫の闘病記録を続けて載せていく。今回も絶対に生還するから、応援してください!
ここ数ヶ月四十肩でお世話になっているフツーの町のお医者さんへいくと、レントゲンでは首に異常はなし。頚椎症も考えにくいねぇといって、鎮痛剤や筋弛緩剤の混合散剤を処方された。
服用するととんでもない気分の悪さとふらつきがあり、翌日も受診して薬を半量に減らすように指示された。しかし症状は改善せず、自己判断で服用をストップし、土日を何とかカロナールのみで乗り切った。
日曜日の夜に友人のご主人(脳神経外科医)にLINEで状況を説明すると、うちに来てもCTしかないので、まずはMRIの撮れるところへ行くようにアドバイスを受けた。
月曜日の朝いちで整形外科を受診し症状が悪くなっていることを伝え、MRIの撮れる病院を紹介してもらう。すぐにMRIを撮ってもらうと完全に頚椎症ではないとの判断。脳幹部(延髄)に何かが写っていた。
これは脳外科の領域だと言われたため、そのままアドバイスをくれた友人の脳神経外科へ直行し、CTを撮って診察を受けた。
この時点ですでにはっきり右足に痺れがあり、ふらつきもひどくなっていた。また若干嚥下の違和感もあった。CTの結果も延髄に腫瘍のようなもの(確定診断ではない)が写っていたため、すぐに大きな病院を紹介され、翌々日に予約が取れたので受診する。
白血病の再発でさい帯血移植を受けた時に全身放射線治療を受けているし、大量の抗がん剤も投与されているので、まさか二次がん?という不安も頭をよぎった。
不安な一日を過ごし、次の日に診察を受けると、まずは延髄という場所が非常に悪く、呼吸停止が急に起こる可能性があるので、今日はこのまま入院して、病気を特定する検査は入院して行うとの指示があった。
何とかお願いして荷物だけ取りに帰らせてもらい、慌ただしく入院した。次の日からMRIや造影剤を使ったCTなど諸々検査があり、24日夕方に確定診断の電話があった。
病名は海綿状血管腫。悪性腫瘍ではなかったものの、出来ている位置が非常に悪く、手術での除去は現時点では考えられない。
出血を抑え脳の腫れを取る点滴をして経過観察をしますとのこと。と同時に再出血に備えて、心臓の検査もするとのことだった。
息子の心臓は白血病治療で使った抗がん剤の心毒性のため、慢性新不全で、不整脈もあるのでずっと薬を服用している。なので色んな可能性に備えて検査するみたい。
何せかかりつけの病院ではないので、担当医とのコミュニケーションの取り方がわかりづらく、しかもコロナ以降面会の制限もあるので息子の様子もかたわらでずっと見られないので不安は募る。
症状もいい日と悪い日の差が激しく、本人曰く痺れの範囲が広がっているらしい。今では右手にも痺れがある。
リハビリの先生の話だと、歩行とかに障害は出ていないが、筋力や反応時間に左右差が出ているらしい。
ああ、10年後ごとに何かが起こる息子の人生。まったくもって不憫でしかたがない(T_T)
しかし患者家族歴20年の私。こんなことではへこたれない。今回も絶対あきらめないからね!
白血病の闘病記ではないけど、ここにこのまま海綿状血管腫の闘病記録を続けて載せていく。今回も絶対に生還するから、応援してください!
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