移植後11年経ちました!2024年06月02日 08時55分14秒

6月は息子の移植月にあたるので、毎年感謝を込めてさい帯血を提供いただいたドナーに思いを馳せる。

「あなたたち親子のおかげで息子は今もこの世にいます。ありがとうございます。」と出来れば直接伝えたい。

今年は思いがけない病気になって入院しているけど、危機的状況は脱して、もうすぐやってくるセカンドバースデイをおそらく迎えることができるだろう。

せっかく頂いた生命なのだから無駄にしないよう一日一日を大切に過ごしてもらいたい。

何もご大層なことを成し遂げなくとも、普通の生活を普通に送ってくれたらそれで十分なのに、次々と困難なことが襲ってくる運命。

それでも受け入れて最善を尽くすしかない。

せめてドナーの親子が健康で幸せな人生を歩まれていることいつも願っている。

ありがとうございました。

転院を止めて退院することにしました!2024年06月03日 09時20分22秒

先週末に転院の調整をかけてもらっていたがなかなか適当な病院に空きが見つからない。

頭痛に関してはほぼ収まったようなので、めまい、ふらつき、右手足の痺れはあるものの、自宅に帰って療養することにした。

呼吸停止に関しては自宅で看ることに不安を感じない訳ではないが、それよりも病院での生活が徐々に本人を精神的に追い詰めていくので、自宅でのんびりした方がよいのではないかという判断をした。

息子自身も同室のお爺さんたちの立てる様々な物音で安眠できないようだし←これは白血病で入院していた時も言っていたなぁ(笑)

ここに来て心配なのは退院後の生活で注意すべき点がわからないこと。病院からの説明はあるだろうが、再出血を防ぐ手立てとかがあるなら教えて欲しい。

患者のブログなども探してみるが白血病より少ないかも...

リハビリの関する情報も知りたいなぁ。

まだ運転も危なくてさせられないので、運転手や家政婦など何役もこなさなければならない。

もともとかかっている原疾患の方の病院への付き添いもあるしね。

母はいちだんと忙しくなりそう(*_*;

退院しました!2024年06月05日 16時14分40秒

本日なんとか脳神経外科から退院した。

なんとか、というのも完治という訳ではなく、これ以上入院していても治療すべきことがないから、である。

点滴が外れ、吐き気止めも内服できるようになったので、あとはのんびり自宅で療養してくださいってこと。

退院にあたり説明を受けた。

病名はほぼ「海綿状血管腫」である。しかし組織を採って調べることが危険すぎてできない場所なので確定診断ではない。

海綿状血管腫は先天的な静脈の奇形が多いが、おそらく息子の場合は造血幹細胞移植の際の前処置で全身放射線を浴びているので、その影響とも考えられる。実際にそういう症例も報告されているらしい。

手術は現段階では行うべきではないが、もし再出血を起こすようであれば、生命維持のために危険を覚悟で手術をしなければならない時もある。リスクとベネフィットを天秤にかけてイチかバチかやらなきゃならないってことね(T_T)

しかし、ここで問題なのが息子の心臓。心毒性のある抗がん剤治療を受けたために慢性心不全なので、全身麻酔には耐えられないかもしれないとの所見である。

とにかく出血をしないように祈るのみであるが、そのために注意すべきことは限られている。

力むようなことを避ける。重い物を持ったり、排便の時にいきんだり、しないこと。くらいである。

本当にもう趣味のテニスにも復帰できないのかなぁ。ただただ静かに暮らすだけってどうなの(-_-;)

とにかく1ケ月後の外来受診まではおとなしく出血しないよう暮らすしかない。

あと、最後に私が質問したのは、飛行機に乗ってもいいですか?ということ。

先生は乗っても大丈夫です!と言われたので、息子と2人でどこか南の島へでも行ってのんびりしたいなぁ。

でもわが家にはもう1人重病人がいるのでその人を置いてはいけない。ホントに人生で優先すべきことって何だろう?

退院後1週間たちましたが2024年06月14日 08時53分03秒

ふらつきのない時にはごはんも食べられるので元気のつくものを食べようということで、車で5分もかからない近所のうなぎ屋さんへ行ったのだが、車に乗った途端耐えられないめまいと吐き気に襲われ、結局半分も食べられずお持ち帰りにしてもらった。

生活の中で一体何をしたら良くて何をしたら悪いのかが本人にもやってみるまで分からない。こんなにQOLが下がってしまうなんて辛いだろうな。

朝は普通に起きて朝食後また寝る、昼過ぎに起きて軽い昼食後また寝る。夕方起きてシャワーを浴び夕食をとる。夜ものぞくと寝ている。

とにかく昼夜逆転を起こさないよう生活のリズムを整えるのが大切と思っているので、サポート側も気をつかう。あまり静かだと呼吸が止まっているのではないかと心配になる。

退院後に11歳のセカンドバースデイを迎えたので、何が食べたいか聞くとお寿司といったので、車が怖かったが15分ほどの所にある景色のよいお寿司屋さんまで後部座席に寝かせたまま行ってみることにした。

時速40キロほどの出来るだけ急加速急ブレーキを避けてのドライブ。それでももしまた気分が悪くなったらテイクアウトにしてもらうつもりで出かけてみたが、体を横にしているとどうも酔わないようだった。

何の楽しみもない療養生活で久々の気分転換になったようで、息子はとても喜んでいた。

もうひとりの重病人にもそれなりに気を遣うので、私にとっても久々の気分転換になった。

ああ、親を見送った後残りの人生は自分の時間と思っていたが、甘かった。まだまだ闘いの日々は続く。

息子が小康を得たらセカンドオピニオンを取りに行きたいのだが、その勉強と下調べもしておかなくちゃ。

亡くなったゴッドハンド福島孝徳先生のお弟子さんは福岡にいるのかなぁ。遠くまで行くにはもう一人の重病人がネックになるし、今は息子を置いて遠方まで行くのも躊躇われる。

今までにない閉塞感。でも基本、なるようにしかなりません。それでも準備は必要だから、ぼちぼち始めよう。

遅い梅雨入り2024年06月20日 09時56分17秒

九州北部もようやく梅雨入りしたがまだそれほど雨は降っていない。

天気が悪いと頭痛がするのかと思いきやそういう訳でもないらしく、頭痛はないものの船酔いのような気分と痺れは続いている。

2、3日前から左手も痺れを感じるらしく不安な気持ちは募るが、病院に電話してみたらと言っても、どうせ行ってもすることはないのだから同じと言って、ただただ静かに寝ている。

先日久しぶりに自分の車を動かさないとバッテリーが心配というので、仕方なく私が息子の車を運転して助手席に息子を乗せ、近くの市場まで買物に行った。

2シートのスポーツカーをオバサンが40キロでノロノロ運転し、若い男の子を乗せてるなんてすごく奇妙な図だったが、息子の車を運転するのは初めてなので仕方ない。

まあおかげで無事故で、息子も車酔いはしなかったのでホッ!

もうひとりの重病人もまだ自分で運転してはいるのだが、それはそれで心配。急変があって他の人を巻き込むようなことがあったらどうする?!

でも言えないのよね。止めたら?って。

梅雨空のように悩ましいことが続いている。

久々の血液内科定期受診2024年06月26日 16時51分26秒

移植後10年を超えてから半年に1回の受診になっていた血液内科。長い長いお付き合いの主治医のE先生に久しぶりにお会いした。最近はいつも息子ひとりで受診していたから。

この1ヶ月に起こったことをF大脳外科からの情報提供書をもとにかいつまんで話すと、それは大変やったねぇと共感してもらえた。これだけでも医師とのコミュニケーションが取れているlことにホッとする。この一言で患者も家族も安心するのだ。

血液内科的には何の問題もない数値だったので、今は治療をしている訳ではない。それでもひとりの人間の同じ身体の中で起こったことを共有してもらえるのはありがたい。

翻って、循環器内科の方は同じ文書を共有しているにもかかわらず、素っ気ない対応で、別の患者のことを言ってるのかと思うほど、脳外科は脳外科、循環器は循環器という感じ。

万が一、再出血して海綿状血管腫の手術になった場合、「F大では心臓が全身麻酔に耐えられないんじゃないかと言われたのですが、どうでしょう?」と尋ねても、「脳外科の先生がそう言われたのならそうなんじゃないですか。」と木で鼻を括ったような回答。

仮に今、負荷をかける検査をしても、その手術の時点でまた状況が変わるので意味がないという、まさしく正しい見解を述べてくださっただけ。

いや私だって「大丈夫ですよ!」という安請け合いをして欲しかった訳ではないが、何とも冷たい言い方で、大変だったねぇという共感が微塵も感じられないのにはガッカリ(-_-;)

そして今日の心電図の結果、不整脈はまた増えていたので薬を増量される(というか減らしていたのを元に戻される)。調子が良かったので減らしてみたがやっぱり以前の量でないと効果がないことが分かった。

まったくもって医師とのコミュニケーションの取り方は難しい。病院をまたいだり科をまたいだりすると尚更だ。

患者家族修行はまだまだ続く。