あと少しで移植後11年という、ある日に...2024年05月28日 11時08分58秒

来月セカンドバースデイを迎え11歳になる息子38歳(実年齢)が首の痛みを訴えて整形外科を受診。

ここ数ヶ月四十肩でお世話になっているフツーの町のお医者さんへいくと、レントゲンでは首に異常はなし。頚椎症も考えにくいねぇといって、鎮痛剤や筋弛緩剤の混合散剤を処方された。

服用するととんでもない気分の悪さとふらつきがあり、翌日も受診して薬を半量に減らすように指示された。しかし症状は改善せず、自己判断で服用をストップし、土日を何とかカロナールのみで乗り切った。

日曜日の夜に友人のご主人(脳神経外科医)にLINEで状況を説明すると、うちに来てもCTしかないので、まずはMRIの撮れるところへ行くようにアドバイスを受けた。

月曜日の朝いちで整形外科を受診し症状が悪くなっていることを伝え、MRIの撮れる病院を紹介してもらう。すぐにMRIを撮ってもらうと完全に頚椎症ではないとの判断。脳幹部(延髄)に何かが写っていた。

これは脳外科の領域だと言われたため、そのままアドバイスをくれた友人の脳神経外科へ直行し、CTを撮って診察を受けた。

この時点ですでにはっきり右足に痺れがあり、ふらつきもひどくなっていた。また若干嚥下の違和感もあった。CTの結果も延髄に腫瘍のようなもの(確定診断ではない)が写っていたため、すぐに大きな病院を紹介され、翌々日に予約が取れたので受診する。

白血病の再発でさい帯血移植を受けた時に全身放射線治療を受けているし、大量の抗がん剤も投与されているので、まさか二次がん?という不安も頭をよぎった。

不安な一日を過ごし、次の日に診察を受けると、まずは延髄という場所が非常に悪く、呼吸停止が急に起こる可能性があるので、今日はこのまま入院して、病気を特定する検査は入院して行うとの指示があった。

何とかお願いして荷物だけ取りに帰らせてもらい、慌ただしく入院した。次の日からMRIや造影剤を使ったCTなど諸々検査があり、24日夕方に確定診断の電話があった。

病名は海綿状血管腫。悪性腫瘍ではなかったものの、出来ている位置が非常に悪く、手術での除去は現時点では考えられない。

出血を抑え脳の腫れを取る点滴をして経過観察をしますとのこと。と同時に再出血に備えて、心臓の検査もするとのことだった。

息子の心臓は白血病治療で使った抗がん剤の心毒性のため、慢性新不全で、不整脈もあるのでずっと薬を服用している。なので色んな可能性に備えて検査するみたい。

何せかかりつけの病院ではないので、担当医とのコミュニケーションの取り方がわかりづらく、しかもコロナ以降面会の制限もあるので息子の様子もかたわらでずっと見られないので不安は募る。

症状もいい日と悪い日の差が激しく、本人曰く痺れの範囲が広がっているらしい。今では右手にも痺れがある。

リハビリの先生の話だと、歩行とかに障害は出ていないが、筋力や反応時間に左右差が出ているらしい。

ああ、10年後ごとに何かが起こる息子の人生。まったくもって不憫でしかたがない(T_T)

しかし患者家族歴20年の私。こんなことではへこたれない。今回も絶対あきらめないからね!

白血病の闘病記ではないけど、ここにこのまま海綿状血管腫の闘病記録を続けて載せていく。今回も絶対に生還するから、応援してください!

えっ!もう退院ってマジ?!2024年05月29日 06時55分18秒

息子の症状は一進一退で鎮痛剤や制吐剤の効いている間はいいが、一向に良くなっているという実感はなく、むしろ進んでいるような感じさえするらしい。

たまたま面会に行った時にデイルームで担当医が通りかかって、ちょうどいいからお話しますねって軽い感じで、「これ以上入院しててもすることもありませんので退院の方向で調整します。」と言われ飛び上がるほど驚いた。

だってまだ頭はズキズキするし、ふらつき、気分の悪さ、右足右手のしびれなど、症状が良くなっているという実感がないのに!!

「CTをみても出血は収まっていて拡大はしていないので、それらの症状は脳の腫れによるものでピークは過ぎています。」とおっしゃる。

息子が「このまま家に帰っても普通の生活が送れる自信がない。」というと、「ここは急性期病院ですから別の病院に転院する方向で調整をかけてみましょうか?空きがあればの話ですが。」と言われた。

この苦しい症状は後遺症だからこのまま一生付き合っていくしかないの?手足のしびれはともかく、頭痛や吐き気、ふらつきもずっと我慢しいて生きてゆくなんて普通の人間には無理じゃない?

精神がやられてしまうよっ!!!!!

とは言わなかったけどなんだか納得いかない。

もちろんネットで調べても延髄の海綿状血管腫の手術は危険すぎて出来ないと書かれていて。それが第一選択肢でないことは私にもわかる。

しかし社会復帰までの道筋がちょっと乱暴じゃないのかしら?と思ってしまう。

とにかく転院先を探してもらうようにお願いしてこの日は帰ってきた。

セカンドオピニオンという言葉がチラッと脳裏をかすめたが、私も年をとったせいかパワーが出ない。

息子ももう今の仕事は辞めるしかないのかなぁと気落ちしている。

これから後遺症を抱え一生びくびくしながら暮らしていくのかな。

白血病の再発恐怖からようやく逃れられたと思ったら、今度は海綿状血管腫の再出血の恐怖におびえながら暮らすのか、実に暗澹たる気持ち。

転院を視野にいれて長期戦を覚悟2024年05月31日 10時46分15秒

洗濯物を届けに毎日病院へ行き、息子のメンタルをサポートする毎日。

日によって体調の波が大きく、快方へ向かっているという実感がないが、頭痛は少し収まってきたように思う。

相変わらずめまいやふらつきがひどく、それで気分が悪くなり吐いてしまうことも。

食事も三度三度食べるのは難しいらしく、食事時間に気分が悪いと食べられないことも多い。そして夜中にお腹が空いて寝られないこともあるそうだ。

結局、正式なセカンドオピニオンではないが、知り合いや親戚の医師に尋ねてみると、手術などの積極的な治療がない以上、転院して気長に体調が回復するのがいいとのアドバイスを受けた。

このまま退院させられるのははっきり断り、転院先の調整に入ってもらうことにする。

何となくではあるが今後の方向性が決まったので、息子の会社へ休職届や傷病手当金申請書を取りに行ったり、生命保険会社に申請書類を請求したりして、私も何かと忙しい。

運悪く寝違えたのか、数日前から首が痛くて動かせない。知らず知らずに疲れがたまっているのか、夜も睡眠が小間切れでよく目覚めてしまう。そして夜中は思考がネガティブになる。

早く自分のペースで生活しなくてはと思うのだが、それは転院してからになるかな。5月が今日で終わる。落ち着かない日々はもうしばらく続きそう。