最悪に備え、最善を尽くし、最良を願う2016年01月06日 09時48分48秒

明けましておめでとうございます。
どんな人にも時間は平等に流れ、また新しい年がやってきました。
この年末年始は暖かくて晴天が多くとても穏やかで過ごしやすかったですね。

タイトルに使った言葉はどこが原典なのかは知りませんが、時々覗いているALL患者さんの闘病ブログで見つけました。十数年の間、患者をサポートしてきた家族の私にはしっくりくる言葉です。

初発当時は、ただただ最悪は考えないようにしていました。しかし勉強していくうちに最悪がわかってくると、それにどう対処するか考えるようになってきます。最善を尽くすのは当然なのですが、最良の基準は高望みをしない、それなりの現実的なものへと変化して行きました。

今はこの言葉どおりの気持ちで日々すごしているのですが、果たして患者にとってはどうなのだろうと常々疑問に思っていました。このブログの方は患者さんですが医療者でもあるのでこういう考え方も出来るのかと思っています。

今日、母のPETの診断結果が出ました。

やはり縦隔と小腸付近のリンパ節に5㎝大の塊が写っているのですが、身体の表面近くにははっきりしたリンパ節の腫れはなく生検に適した場所は無いようでした。主治医は生検はしなくても、病気の経過からDLBCLの再発と考えていいでしょうと言われました。

結局侵襲が大きい場所の生検は行わず治療を開始する方向になるでしょう。本音では母はもう治療は望まず、福岡へ来ることも望まないでしょう。しかし無治療が化学療法より楽だとは限らないのです。

前回から5年以上経過している再発DLBCLの場合、前回とほぼ同じ抗がん剤治療が有効で、緩和ケアに匹敵するものだと聞いています。

緩い化学療法で病気をコントロールしながら着地点を探る。
その間出来るだけ快適な時間を増やすこと
自分の大切な人や物事に向き合い穏やかに過ごすこと
母が人生を考える時間を十分持てるような環境を整えることが私の役目だと考えています。

現在、少し気管支炎のような症状があるので抗生物質で様子をみて体調を整え、再来週あちらの主治医と面会し、治療方針と開始時期や場所を決定したいと思います。

今年の初受診2016年01月09日 14時54分37秒

昨日は息子の血液内科の定期受診の日。
年末年始で5週間空いたが特に異常なし。

皮膚の状態もそこまで悪くないのでネオーラルは10㎎減って40㎎になった。朝夕20㎎ずつってこと、ああ、やっとここまで来たんだな。春ごろには免疫抑制剤を卒業してグレープフルーツジュースで乾杯できるのかな(*^^)v

血液データは白血球こそやや下がったものの、ヘモグロビンと血小板は上がっていて人工股関節の手術へ向けてはまずまずの値をキープしている。

この調子で頑張ってね!と言われ、いつもなら失礼します。となるところだが、あの~実はご相談したいことが...。

先生は6年前の母の主治医でもあるのだ。今日は母のことも尋ねなければならない。実はこれこれこうで、悪性リンパ腫が再発したようなんですが、治療となるとひとり暮らしで外来は無理でしょうか?

いくつだったっけ?
85歳になりました。
それは外来での抗がん剤治療は無理、薦めないね。

化学療法はやはりすべきですよね?
ふだんの生活がもう寝たきりとかなら別だけど
そうでないなら量を減らしてやった方がQOLを保てると思う。

治療の開始時期ですが、息子の手術後というのでは遅いでしょうか?
DLBCLの場合それはやはりリスクが高いから保障はできない。

ではあちらの主治医と相談して転院するならその時はよろしくお願いします。

以上が大方のやりとりである。
まあ、予想した通りなのだが、これを伝えて母がどう決断するかだ。

要介護5の父は前回(初発時)と違ってもうきちんとした施設で快適に暮らせるように転居させ環境を整えたので心配はない。

とにかく治療まであまり待てないことがわかったので、息子の手術より前にこちらへ連れてくる手筈を整えなければならない。

今年も忙しくなりそうだ。でもまだ何か出来る事のあるうちは一番いい方法を模索しながら母と息子2人ぶんのサポートを続けていく。もちろん自分のしたいことだって諦めないから!(^^)!

母の決意2016年01月14日 09時11分47秒

時間の猶予もそうないので、浜の町の先生の言葉をそのまま母に伝えて気持ちを聞く。

自宅近くの病院での外来治療が否定された今、母の現実的な選択肢は無治療か福岡での入院治療かに絞られている。

再発DLBCLの無治療だと数ヶ月、それだと父を見送ってから自分も生涯を終えたいという望みは絶たれてしまう。最終的にはそれが治療を受ける決め手となったようだ。

治療と言っても母の場合、ごく緩い化学療法なので初発時も副作用はほとんどなかった。しかし母の頭の中では絶飲食の4ヶ月と放射線や手術の苦しさが大きく残っているので、入院には戸惑いがあるのだと思う。今回は場所が違うので前回のようなことはないと説明してもあまり納得はしていないみたい。

孫の手術を控えてただでさえ私が忙しくしているのを知っているので、私への遠慮も働いていたのだろう。しかし、実際問題、手術前後に母が自宅で急変したら、その方がお手上げである。

かくして母は福岡での入院治療を選択し、自分の担当医にその旨を伝えると、来週までに診療情報提供書と画像などの必要書類を整えておくと言われた。

来週、私は実家へ行き長期の留守に備えて様々な問題を片づけ、施設に入居している父と3人で会食をし、母を連れて福岡へ戻ってくる。

そして再来週には浜の町へ入院し治療が始まる。その後息子の人工股関節置換術へという綱渡りのスケジュールが決定した。決まれば後は実行するのみ!自分の体調も整えて一気にこの2週間を駆け抜けることにしよう。

バッドタイミング!2016年01月22日 16時41分28秒

悪い事は重なるもので前回のブログを書いてすぐに見知らぬ電話番号からの突然の電話が...。

それは母の通うデイサービスのスポーツジムの看護師さんからで、床のカーペットの僅かな盛り上がりにつまずいて転倒し、一瞬意識がなかったので、脳のCTを撮りに病院に連れて行くという旨の連絡だった。

結果、脳には異常がなかったのだが顔面打撲とすり傷、口の中が切れ歯が1本折れてもう1本は欠けていた。見た目は相当ひどいらしい。しかも一瞬かばったのか左肩も打撲で手が思うように使えないらしい。

大急ぎで予定を前倒しして実家に行き、母を早めにこちらに連れて来ることにした。で、様々な用事を片づけ、荷物を送り出し、施設の父にもお別れを言い、やっとの思いで帰って来たのが昨日の夜のこと。

さすがの私もこのハプニングにはちょっと参った。しかもこの極寒の時期の移動に風邪を引かす訳にも引く訳にもいかず、綱渡りの作業だった。

昨日の夜はさすがにほっとして爆睡!今日は元気になったが、ほったらかしにして出て行った我が家の方にも家事がたまっている。これ以上何も起こらず来週の入院まで無事でいて欲しい。そして予定どおり治療に入ってもらわないと、今度は息子の手術の準備が始まるので母ばかりにはかまっていられないのだ。

救いは母が覚悟を決めたのでめっちゃ明るいこと。これは助かる!こんな時にごちゃごちゃ悔やみごとを言われるのが一番嫌い。こっちまでネガティブな気分になってしまうから。

なんだかどっちも上手く乗り切れるような気がしてきた。大好きな朝ドラの主題歌「365日の紙飛行機」の歌詞「思い通りにならない日は明日がんばろう~♪」が頭の中でリフレインしてるよ(*^^)v

息子の貯血&母の入院2016年01月27日 09時28分39秒

福岡を襲った大寒波の少し前に帰り着いていたのは、文字通り母の怪我の功名というべきか(笑)皆さんのお宅は大丈夫でしたか?

おかげで予定通り息子の自己血貯血と術前検査を乗り切り、その翌日母も無事浜の町病院に入院することが出来た。

あんなに福岡に来るのを嫌がっていたのに、新しくなった浜の町病院を見てすっかりご機嫌になりご満悦の様子、現金なものである(^_^;)

私も肩の荷が下りたというか安心して息子の手術の準備に入る事が出来る。息子の入院は2週間程度なのでその間は2つの病院を掛け持ちだが何とかやれるだろう(と思う)。

知り合いの血液内科の看護師さんに会えたので母のことをお願いしておいた。付き添いで来た久しぶりの息子を見てとても喜んで下さったが大腿骨頭壊死を起こし人工股関節置換術のことを話すとちょっと悲しそうな顔になった。

来週は、いよいよ手術に向けて麻酔科の説明と術前検査の結果を踏まえての診察が入っている。ここで入院日が決まり、手術の詳細なスケジュールが知らされるはず。

ま、ひとつひとつ片づけて行くしかないわね。今日は久しぶりに太陽が覗いている。まずは貯まった家事をやっつけて母のところへ足りない物を届けに行こう!