長引く咳に体力が奪われる2016年10月19日 09時38分11秒

10月に入ったあたりから高い熱は出ないものの風邪のような症状と赤い発疹が胸のと背中に広範囲に出てつらそうだ。

先日の定期受診の際も症状を訴えたが、様子を見ましょうと言われただけ。仕方がないので近所に皮膚科や内科(血液内科医だった)へ行く。

本人は長時間勤務復帰を控え、結構ナーバスになっていたみたい。私はウィルス性の風邪で発疹を伴うものかな?くらいに思っていたが、2週間以上たっても咳があまりに長引くので、体力が奪われだんだん元気が無くなってきた。

医師によってあまりに診断が変わり薬も止めたり増えたりするので、本人の不安は増すばかり。最後は昔馴染みの内科医へ行って心配の元を否定してもらうべく、胸部のレントゲンとCRPと白血球を計ってもらうことにした。

胸部のレントゲンがキレイだったことで本人は自分の考えうる悪い病気が否定され安心したようだ。CRPと白血球も一番高かった時期を超えあようで少し下がっていた。

この先生の診断は風邪の後喉が過敏になりちょっとした刺激でカラ咳が出やすいのだろうとのこと。日にち薬だよと言っていた私と同意見だが、医師から言われることで安心したのだろう。

咳と発疹の状況は変わりばえはしないが、長時間勤務が始まったため予約外の浜の町病院へいく時間が取れない。今後は町のお医者さんと上手くやっていくしかないのだろう。

移植患者でまずまずの経過をたどってきた3年目くらいの患者の体調不良は、何を目安にどこへ行けば受け止めてもらえるのか、悩みはつきない。

異動→長時間勤務へ2016年10月02日 09時34分09秒

10月になってしまった。今年もあと3ヶ月かぁ、早いな。
思えば去年の今頃は大腿骨頭壊死症を発症して、手術してくれる病院を探して走り回っていたっけ。

息子は移植から3年4ヶ月、復職してから2年2ヶ月経った。体調もまずまずなのでそろそろ長時間勤務をと考えつつあったところに、国の制度変更でパートの社会保険加入が適用拡大されることになった。

今までの短時間勤務でも対象となる金額だったのだが、この機会に本人が長時間勤務に変わることを決めた。言わば国が後押ししてくれたようなもの。

今までの倍の9時間勤務(うち1時間休憩)になるのでちょっと大変だろうとの配慮で別の店(そんなに忙しくない)に異動になることになった。いい会社やな~(T_T)

今の店は再発前にも居た所でスタッフがみんな病気のことも知っていて、かなり働きやすい環境だったけど新しいお店は大丈夫かな~?ちょっと心配。

でもこれで国民年金&健康保険から厚生年金&社会保険に復活できる。食事や衛生管理面でまだまだひとり暮らしは無理だろうが、これを機にまた一歩自立へ近づく気がする。

息子のいる生活が嫌な訳じゃないけど、いやむしろ主人と2人よりよほど楽しいけれど(笑)やっぱり親の方が先にあの世へいくだろうから、長時間勤務に慣れたら早く婚活も始めて欲しい!!

風邪ようやく終息へ2014年10月18日 12時52分46秒

昨日は血液内科外来の受診日でした。特に血液データにも異常がないので次回は3週間後に受診することになりました。

夫から我が家に拡散したしつこい風邪も、罹った順番に治ってゆき、ついに最後にうつされた息子も鼻水くらいになりました。私自身も3週間くらい調子悪くて、病気のピークが2回あり、最後まで咳がなかなか治まりませんでした。

でも息子が入院するような事態には至らなかったので、ホッとしています。これから家族全員インフルエンザの予防接種も打たなきゃならないので今まで以上に体調管理を徹底しなければなりませぬ。

息子はまだ免疫抑制剤が切れていませんが、無駄かもしれないと思いつつも一応昨年も接種しました。社会復帰前の人混みに出ない生活だったので昨年はセーフでした。今年は仕事柄、不特定多数の人と接していますのでどうでしょうかね~?

移植患者は子どもと一緒なので本当は2回打たなきゃいけないそうです。この間のつばさの講演会でも言ってたように、インフルエンザのような不活化ワクチンは免疫抑制剤使用中でも害にはなりませんが、弱毒性の生ワクチンの方はうっかりするとその病気に罹ってしまう羽目になるのでご用心ください。

詳しくは↓をご覧ください。

造血細胞移植ガイドライン 予防接種
http://www.jshct.com/guideline/pdf/2008yobousesshu.pdf

さて短時間勤務で働き始めてようやく3ヶ月経過した息子ですが、今回の風邪でも休むことなく、なんとか働き続けています。本当に「なんとか」という表現がふさわしい状態で、休みに遊ぶ訳でもなく、ひたすら寝て体力温存に努めています。

それでも有難いことに会社からは辞めるようにプレッシャーをかけられることもなく、温かく見守ってもらえているのは、精神的にはすごく助かっています。

先週のつばさのフォーラムで偶然お会いしたある患者さんの話は他人事ではなくとても心が痛みました。

友人から紹介されたその方は以前からずっと私のブログを読んでいて下さっていたらしく、「自分も息子さんと同じ時期に移植し、移植後1年で社会復帰をしました。」とおっしゃいました。

全てが同時期なので息子の気持ちや体調がよくわかると言われて、頑張ってくださいと励まされました。しかし、ご自身は今、会社から長時間勤務への復帰を迫られていて辛い立場にあるとのことでした。

移植患者は見た目はほとんど普通の人と変わらないように見えますが、みんないっぱいいっぱいで見かけを保っているのだと思います。その方も「短時間勤務でもやっとの思いでこなしているのに、フルタイムで働くのはとても無理。今度ばかりは辞めることも視野に入れて考え中。」だそうです。

もちろん息子とは会社も職種も違うし、その方の家族構成なども全く知りませんが、本人に働く意志があって短時間なら出来ている仕事なのであれば、もう少し長い目で見てもらえないかなぁと思ってしまいます。

がんサバイバーの再就職は本当に困難です。ですから何とか辞めずに頑張ってもらえたらと思いますが、無理をして再発につながってしまうのもまた怖いことなのです。

講演会の合間の立ち話程度でお別れしてしまい、とても気になっています。何かいい解決策が見つかり、仕事を続けられることになっていれば嬉しいのですが...。

退院52週目(day439-day445)2014年09月06日 09時18分12秒

退院52週目、退院してようやく1年。

これを機に毎週更新はやめにして不定期更新にしようと思う。外来ももうすぐ2週間に1度から3週間に1度に間隔が空きそうな気配になってきたしね。

今週は外来の週だった。移植後1年したら免疫抑制剤は切れるものと漠然と思っていたが、退院後1年たった今でもネオーラルは朝晩変わらない量を飲んでいる。プレドニンも一旦は切れたが再開し、ようやく今週から4㎎に減った。

4㎎に減ったことで、宿題に出されていたビスホスホネートも見送ることになった。これでもし不具合が出て、プレドニンの量を10㎎に戻されたら、ビスホスホネートも始めるという条件付である。

前回の定例会でも話題になったが、ステロイドの長期服用で骨粗鬆や糖尿、白内障など様々な副作用が出る。どれも出て欲しくはないが、私が恐れているのは大腿骨頭壊死である。主治医の先生もこればかりはどのくらいの量をどれくらいの期間服用したら起こるというのがわからないと仰る。

そして予防的には今のところ確実な方法はないが、まだビスホスホネートが効くのではないか?と言われているレベルだそうである。先生も何とも言いようがないらしく歯切れが悪い。

今回、4㎎に減りこのまま順調に3㎎まで減らせればリスクが低くなるので、とりあえずそこを目標にやっていく。ネオーラルは少々長く飲んでも構わないらしい。相当臭いし多毛になるので本人は嫌がっているけどね(笑)

血液データはこのところほとんど変わらなかったのだが今回少しWBCが4000と減っている。1回だけのことならいいのだが、これ以上は減らないでほしい。先生は好中球が67%あるから心配ないだろうとのこと。

ま、各種薬漬けではあるが、ある程度のハンディつきで社会復帰も出来たことだし、高望みはせずぼちぼちやっていくことだろう。息子はのんびり屋なのでそれも幸いしているのかも。思うところは色々あるのだろうが一向に焦った様子はない。

これだけ白血病との付き合いが長くなると、他の人が聞いたら引くようなブラックなジョークも日常会話に中にバンバン入ってくる。腫れ物に触るような扱いだとやってられないからだ。

それも今息子が生きていればこそなのだが、深刻な病気の最中でさえなんかふと可笑しみが湧いてくることってない?そういうのも意外と大事なんだよね。闘病生活を真正面から乗り越えようとすると行き詰まっちゃうからね~♪

とはいえ、ある時期本当に真正面から向き合わないといけない時もある。笑えない日も確かにあった。今まさにそこにいる人たちに敢えてエールを送り続けたい。

あなたはもう充分頑張っているけど、やっぱりあともう少し頑張ってね、と。応援している人はいっぱいいます。

退院51週目(day432-day438)2014年08月31日 09時28分37秒

退院51週目、「傷病手当金の満了予告について」が送られてきた。

健康保険組合から上記の通知がきた。9月末で至急期限が切れますってお知らせである。

まあ、復職してからは該当しなくなったので、正確には7月までしか申請していなかったのだが、1年3ヶ月の間、これのおかげで本当に助かった。

息子はここから自分で治療代を払うことができ、精神的にはとても楽だったと思う。私たちは息子が医療費を自分で払ったことで経済的に助かり、他のサポートにお金を回すことが出来た。

この文書の備考欄に参考法律が記してあった。

健康保険法第99条2 傷病手当金の支給期間は、同一の疾病又は負傷およびこれにより発した疾病に関しては、その至急を始めた日から起算して1年6月を超えないものとする。

これがソーシャルワーカーの話していたことだったのね、と納得。っていうか納得はできないけど(意味不明)

考えたくはないけど再発したらもう申請できないんだもんね。なんか健康保険組合によって違うということも聞いたけど、くわしく調べる気がしない。再発しそうな気がして...そういう事態になったらまた考えよう。

今週は外来もなく、穏やかに過ぎた。ただ、皮膚が調子悪くなったらステロイドを塗るというだけ。これはもうルーティンワーク。

今夏、福岡は晴れた日が数えるほどしかなく例年より涼しかった。子どもたちにとってはつまらない夏休みだったかもしれないが、復職したばかりの息子にとってはラッキーだったと思う。

大きく体調を崩すことなく、職場に馴染んでいっているように見える。昨日の定例会でも、社会復帰の先輩たちから「患者はそれぞれだから決して無理をせず自分のペースで。」とアドバイスされた。

固形がんのサバイバーとは違い、血液疾患患者は外見はフツーなので、職場でなかなか辛さがわかってもらえないという声も多く聞く。今のところパート勤務だからかそこまで厳しい扱いは受けず、むしろ人間関係は悪くないらしい。

これまたラッキー!病気も自分の努力だけではどうしようもない部分がある。周りの人に感謝して、小さなラッキーをひとつずつ積み重ねて、どうか自分らしく生きて行って欲しい。病気の前とは人生は大きく変わってしまったけれど、それもまた自分らしさとして。

昨日の定例会のことは次回で詳しく。

退院50週目(day425-day431)2014年08月23日 09時51分18秒

退院50週目、やっと国民健康保険に入れた!

外来のある週だったので、受診日の前に絶対手続きするよう息子をせかして区役所に申請に行かせた。

健康保険資格喪失証明書と免許証を提示すると、ものの数分で加入できたが、取りあえずゲット出来たのは仮保険証。本物は数日後に郵送されて来るらしい。

仮でも何でも効力は同じなので、早速今回からは3割負担で使用できた。そして前回全額で支払った分も7割が戻ってきた\(^o^)/

しかし高額療養費限度額認定証については、保険が変わることにより振りだしに戻るのでハードルが上がり、おそらく外来のみでは限度額を超えることはありえないので申請しないことにした。

考えたくはないが、万一また入院する羽目になった時点で改めて手続きしよう。これでひとまず無保険状態からは脱出!

ここのところ皮膚症状のコントロールもうまくいっているし、血液データも問題はなかった。そこでステロイドの減量についての話が出たが、結局現状維持の5㎎となった。ネオーラルも変わらず100㎎のまま。

プレドニンを1㎎減らしてもよいが、GVHDが悪化した場合はまた1㎎増やすのではなく、いきなり元の10㎎に戻ってしまうらしい。そしてまた1㎎ずつの減量のやり直し。だから減量には慎重にならざるを得ないのだ。

プレドニン長期服用で骨粗鬆のリスクが上がるのも心配だが、そのボーダーが5~7.5㎎と言われているらしい。現在ビスホスホネートは服用していないが、長引くなら予防的に服用した方がいいそうだ。うちは下限の5㎎なので悩ましいところ。

ビスホスホネートにも副作用がない訳でもないので主治医も判断がつかない状況で、結局次回までの宿題となった。

このまま仕事を続けていても順調なら、来月からプレドニンを4㎎、再来月から3㎎へと減らす計画なので、それならビスホスホネートは不要かな?と思っている。

息子はもちろん薬が増えるのには反対である。そりゃ誰でも薬は減って欲しい。予防接種も打てないし、早く免疫抑制剤とサヨナラできる日が来て欲しいなぁ。

退院48週目(day411-day417)2014年08月09日 20時13分07秒

退院48週目、相変わらず無保険のまま(-.-)

必要な書類を揃えて勇んで社会保険事務所に行ったものの、あえなく撃沈。父親の扶養家族にはなれなかった。

理由は傷病手当金が収入に加算されるから...。非課税なんだけど収入にはなるらしい。だから130万円をオーバーしちゃったのよ。

また一から国民健康保険の手続きをしなくちゃ。それには会社から健康保険資格喪失証明書を出してもらわなくちゃならないんだけど、それがまだ到着しない。

今週は外来がなかったが、来週以降もしばらくは全額支払いの日々が続きそう。

皮膚の状態はステロイドの外用薬で落ち着いている。勤務には支障なし。だいぶこの生活にも慣れてきたようだ。

今日は息子も一緒にお墓まいりに行った。台風の影響で風が強くて涼しかった。今年の夏はあまり夏らしくないな~身体は楽でいいけど。

お盆は家族の休みが合わず全員集合という訳にはいかないが、それぞれが元気で暮らしているのは幸せなこと。フツーの生活が一番ありがたいとしみじみ思う。

退院48週目のつづき2014年08月02日 17時37分11秒

昨日ブログを更新した途端、同じ患者仲間の方からメールを頂きました。

闘病に絡むお金の問題について親身でわかりやすいアドバイスを下さったので、本人の了解を得てご紹介します。

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blog読みました。健康保険の件ですが…もうご存知かとは思いますが、たぶん扶養に入れるのではないかなと思います。そうなると国民年金だけの負担になりますね。

もし入れない場合は、社保の任意継続はこれまでの自己負担の二倍の掛け金になりますが、確か二年間継続出来るから、翌年の収入も概算してみて、国保に連絡して掛け金を計算してもらってからトータルで考えた方が良いです。国保は少し収入が増えるとめちゃくちゃ掛け金高額になります。

ただでさえ医療費がかかるなか、合法的に節約出来るならそれにこしたことないですよね。ぜひ皆さんに情報提供してください。

追伸

社保の任意継続はやはり二年間でした。掛け金が二倍になるのは会社が半分負担してくれていた分を自分で負担するからだそうです。

国保と二年間の金額を概算してみるのが良いですね。場合によっては扶養にはいれたり半額以下になることもあります。

注意点は任意継続は退職またははずれた日から20日以内に手続きしないといけないのと、一度やめたら戻れないことです。

あとご家族が加入している保険が何かによっても総額が変わるから、他の人の情報を鵜呑みにしないで必ず両方計算してもらうことをおすすめします。

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実はこのアドバイスをもらう前に区役所の国民健康保険課を訪ね、試算をしてもらっていました。結果は社会保険の任意継続の2ヶ月分が国民健康保険の9ヶ月分くらいに相当したので、国保に軍配が上がりました。

しかし、これは昨年がほとんど無収入(傷病手当金は除外)だった為に安い訳です。今年はどうかというと、やはり短時間勤務のパートになったのでおそらくそれほど大きく保険料が増えることはなさそうです。

さらに親の社会保険の扶養家族になるプランも昨年の年収から言えばクリア出来そうです。

息子の場合、体力がついて長時間パートになると以前のように社会保険と厚生年金に戻るそうですが、それがいつになるのやら、とにかくやってみなければ分かりません。身体と相談しながらぼちぼちです。

そんな訳で個人個人ケースが異なるでしょうが、比較検討は大切です。適切なアドバイスありがとうございました。

厚労省のHPに、がんと就労「働くがん患者と家族に向けた包括的就業支援システムの構築に関する研究」 http://first.cancer-work.jp/ があります。

がんと仕事のQ&Aをクリックすると各種支援ツールに飛びます。
http://cancer-work.jp/tool/test_index.html

最終的には下記のページに飛ぶと色々な事例が紹介されていますので参考になさってください。
http://www.cancer-work.jp/tool/pdf/qaA4_2013.pdf

最後に、10割負担で払った診療費と薬代ですが、新しい保険証と領収書を病院&薬局の窓口に持っていけば差額を払い戻してくれるそうです。

月曜日からさっさと扶養家族の手続きを始めよう(汗)!

退院後1年経ちました!2005年09月18日 10時07分27秒

過ぎてしまってからふと思い出しました。息子が6ヶ月間の化学療法を終えて退院してからもう一年が経過したことを。

今でも再発の不安がないと言えば嘘になりますが、こうやって普通の大学生活が送れていることに感謝し、普通ってなんて幸せな事だろうかとしみじみと思います。そして更に嬉しい事に最近20歳の誕生日を迎える事ができました。

Happy Birthday!

昨夏は精神的にも肉体的にもギリギリのところで、ただひたすら「9月には家に帰って19歳の誕生日を迎えよう」というのが、私たち家族の合言葉でした。しかし帰ってからも副作用が強く残り、口内炎がひどく、点滴に通う毎日で誕生日のご馳走も食べられないような状態でした。

長期間の入院で足腰が弱り、最初は家の中を歩くのがやっとという状態から、少しずつ外へ出て散歩が出来るようになり、車の免許を取ってドライブが出来るようになり、寒い冬を感染症にかかることもなく乗り切り、治療で抜けた髪もようやく生え揃い、春が来て大学に復学しました。

社会復帰にあたり親子で色々心配したことは、ほとんど杞憂に終わりました。息子は今まで我慢してきた事を取り戻そうとしているかのように、パワー全開で新しい事(主に遊び!?)に挑戦しています。

大学に入ってからの友達には病気の事を言っていないようなので、普通に思ってもらいたくて少々無理をしているように親の目からは見えます。今も外来での治療が続いているので、親としてはハラハラなのですが、見守ることしかできないものですね。

現在入院治療中の皆さん、息子だって将来移植が必要になるかもしれませんが、取り敢えず今はこんなに元気で青春しています。とことん不安になり落ち込む日もあるでしょうが、どんな小さな事でもいいから、心の支えにして乗り切ってくださいね。

息子曰く、入院中の極意は「一日一日をあまり深く物事を考えずに過ごすこと」と「この薬はがん細胞に効いていると自己暗示をかけること」の2つだそうです。あと制限はありますが、できる限りの美味しい差し入れも気分UPの重要なアイテムだという事です。