退院...それから2010年09月13日 21時33分28秒

早く報告しなくちゃ、しなくちゃ!と思いながら、1ヶ月が経ってしまいました。hoshuyamaさんに先に「おかえりなさい」のコメントを頂いちゃいましたね(^_^;)

昨日実家から帰福したばかりですが、重い腰を上げてブログの更新に取り掛かることにします。

母は先生方の的確な治療と手厚い看護、+リボンの会の皆様の温かい励ましのおかげで無事8月の初旬に退院することが出来ました。母自身も私も感謝の気持ちでいっぱいです。

本当に浜の町病院に入院させてもらえてよかったなぁとしみじみ思いました。私も半年間ほぼ毎日通いましたので、最後は何だか去りがたいような不思議な気分になりました。

さて退院当日、病院を出るとそのまま天神から高速に乗り、関西にある実家を目指しました。母も長時間のドライブは疲れるし、運転手も私ひとりですので、途中2泊しながら翌々日に実家に辿り着きました。

九死に一生を得て帰り着いた我が家をみて、母は感無量といった面持ちでした。私も何が何でも家に帰してやりたかったので、役目を果たしてほっとした気持ちになりました。

が、本当に大変なのはここからだったのです。

病院では年の割りに元気にみえた母ですが、実生活では思いの外、筋力や体力の低下がこたえました。病院は空調も効いておりバリアフリーなので、それほど感じずにいられたのです。

家事は全て私がやっていましたので、母は自分の身の回りのことをするだけでしたが、家では何をするにも以前の倍以上時間がかかり、疲れもするようでした。

まず地域包括支援センターに連絡を取り、介護保険で要支援を認定してもらうための申請を出すことから始めました。

申請後、2週間ほどして市の介護課から認定調査の人が来られましたが、認定までさらに1ヶ月ほどかかるため、見切り発車でヘルパーを頼むことにしました。

要支援認定が取れれば1割負担なのですが、だめなら十割負担になります。しかし、私が帰った後、ひとりでは何も出来ないので背に腹は代えられません。

同時に、私は家の内外のバリアを取り除く作業に入りました。


と、ここで猛烈な眠気に負けて続きは明日に...。

おやすみなさい。