定例会が開かれました!2006年07月22日 11時35分13秒

昨日定例会がありました。今回も初めて参加される方が多くなかなか実りのある集まりになりました。

またゲストとして浜の町病院で臨床心理士をされているN先生にもお越しいただき、日頃の活動の様子や病院での患者さんとのかかわり方について話して頂きました。

N先生は若い女性で存在そのものが元気を与えてくださるような明るいキャラクターの持ち主です。それでも最初は患者さんになかなか何の仕事をしているのか理解してもらえず、心を開いてもらえなかったそうです。

世間話をしながら地味に一歩ずつ顔と名前を覚えてもらい、一年半たった今ではようやく「N先生が来る日は水曜日」と思ってもらえるようになったそうです。

無味乾燥になりがちの病棟の生活を少しでも潤いのあるものにと、季節感のある飾りつけをしたり、行事を取り入れたり、いろいろ試行錯誤を繰り返している現状ですが、彼女の生き生きとした表情を見ていると一年半前より確実に進化(失礼?)しているなあと感心しました。

普段メールでやりとりをしているYさんも今回初めて定例会に参加されました。しかも嬉しいサプライズをお土産に持って!何だと思いますか?

実はYさんはAMLで化学療法を受けた後ずっと寛解を保っていたのですが、つい数ヶ月前病気の再発がわかりました。彼女と知り合ったのはおそらく失意のどん底にいる時だったと思われるのですが、その感情を抑えた冷静なしかも格調高い文体に、私は心を打たれました。

と同時にどれほどこの言葉の裏に深い悲しみが隠されているのかと思うとたまらない気持ちになったのを覚えています。

その彼女が自分の体験を綴ったエッセーがある賞に入賞したので、賞金をリボンの会にカンパしたいと申し出てくださったのです。それは小豆島が主催する「二十四の瞳 岬文壇エッセー」というもので、内容は一冊の本を巡っての自分とお嬢さんとの心の交流を描いたものでした。

いずれ小冊子になるそうですが、ご本人の許可を得て転載いたしましたのでどうぞご覧下さい。

タイトルは「ちいさな くれよん」がくれた絆」です。

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「Yさん、体調がいい時にこれ読んでみて。」お見舞いに来てくれた大学時代の恩師が渡してくれた一冊の絵本。それは私がまだ小学生の頃に読んだ覚えのある懐かしい絵本だった。

タイトルは「ちいさな くれよん」

その時、私は病床にいた。急性骨髄性白血病。それが私の病名だった。辛い抗癌剤治療を何度も繰り返す入院生活。お見舞いに来てくれる人達は、それぞれ何冊も本を差し入れてくれた。もともと本好きの私は落ち込んでばかりでは仕方がない、と今まで家事や仕事、子育てに追われ、読みたくても読めなかった本を次々に読むつもりで大量の本を病室に持ち込んでいた。

それを知っている友人はここぞとばかりに色々な本を差し入れてくれた。張り切って読むつもりでいたのに、想像を絶する辛い治療で体だけではなく、心も疲れていた私は、活字を目で追う気力もなくなっていた。枕元にはまだ読み終えていない本の山ができていた。

そんな時、恩師が差し入れてくれた本。それがこの絵本だった。「絵本だけど、こういう本の方が今の貴女には必要だと思って。」先生はちょっと照れくさそうに言われた。そして「あまり考えないように。気持ちを穏やかにするのは難しいかもしれないけど、少しでも気分転換になれば。」そう付け加えられた。

先生は尊敬する大学教授でもあり、僧侶でもある。思慮深く、いつも見守ってくださる。そんな先生の暖かな気持ちが一杯詰まっている気がして、活字を追う気力を失っていた私は懐かしい絵本を手に取った。
 
「ちいさな くれよん」は長い年月、ずっと読み続けられている絵本である。親なら一度は見たことのある本だろう。ちびて捨てられた黄色いクレヨンがゴミ箱を出て、自分はまだ役に立つことがあるのに、と模索しながら旅をする物語。

色が薄くなったぼうやの靴のひよこ、色が剥げ捨てられた玩具の車、道端の石、色々な物を塗り続けるうちに、どんどん小さくなっていくクレヨンは最後、空の星を塗るために天に昇っていく。

「まだできることはある。」と自分の身を削って旅するクレヨンの姿に、私は勇気づけられた。私は今は病床にいる。あとどれくらい命の欠片が残っているか解らない。けれど、それでも何かできるはず。最後の最後までその「何か」を探して生きていけるはず。そう教えられた。
 
そして何よりこの本は私と二人の娘との架け橋になってくれた。病気になって離れ離れになってしまった五歳と七歳の娘。一緒にいてあげられない自分が情けなく、悲しく、どうしようもない思いに囚われていた中で、私はこの本を娘達と一緒に読むことにした。

勿論無菌室の中にいる私が読み聞かせることはできない。だから同じ本を娘達には家で読んでもらう。同じ作品を読むことで、繋がっていられるのではないか、そう思ったのだ。 

娘達は私の願いを聞いてくれた。そしてお見舞いに来てくれた時に絵本の話をしてくれた。「お母さん、クレヨン、偉かったね。」「今頃お星様を塗ってるね。」同じ本を読んでいる、という安心感の中で、私はかけがえのないものに沢山気づくことができた。
 
私は無事に退院することができた。本当に辛い治療だったが、娘達を残して逝く訳にはいかない、と自分を奮い立たせて治療を受けた。

娘達も小学生になり、勉強や遊び、習い事に忙しい。けれども一緒に読んだこの絵本は私達親子にとって、一生忘れることのできない、大切な大切な一冊になった。

あの時、先生がこの本をくれなかったら、あの時、私がこの本を開くことがなかったら、私は宝物を探し損ねていただろう。辛い治療に耐えきれなかったかもしれない。娘達との絆も切れていたかもしれない。

一冊の本が与えてくれる力。それは本の持つ力であり、それを読む側の私達の力にもなる、そう思う。

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お志は嬉しいけれどカンパはお嬢さんのために使ってあげて欲しいと言うと、これはお嬢さん自身の希望だからとの事でありがたく頂戴する事にしました。こんな小さな応援団がリボンの会を支えてくれているんだと思うと、その健気さに涙が出そうになってしまいました。

幸いYさんは思ったより病状が進まずよい状態を維持できているため、QOLを考慮してこの時期での移植を見送る決意をし、バンクの登録を一旦取り消しました。まだ小さいお嬢さんたちと過ごす時間を大切にしようと考えたからです。

リボンの会は地方の都市の小さい小さい組織ですが、患者家族が顔と顔をつき合わせて本音で語れる場を持っています。

定例会には毎回入れ代わり立ち代わり新しいメンバーが来ます。毎回新しい発見があり、新しい勇気をもらって帰ります。定例会だけはどんな事があっても続けていかなければとの思いを大切に活動を続けていきたいと思います。

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