転院(退院→血内受診→入院)しました!2016年03月17日 13時04分46秒

トラブルで予定より10日ほど延びましたが、お陰様で転院できました。転院でもすったもんだがありましたが、どうしても浜の町病院を受診したかったので、手術した病院を退院しその日のうちに血液内科を受診し、次回までの十分な量のお薬を出してもらって家に帰って1泊し、次の日の朝、リハビリ専門の病院に入院という形をとりました。

継続して服用している薬を変えるのは移植患者にとってはこんなに大変なことだとは思いませんでした。同じイトリゾールでもカプセルがないので液体にしてもらったらひどい下痢に悩まされ、スルピリドも無いというので胃酸を抑える薬に変えられてしまい、翌日からピタッと食欲が無くなりゴハンが入らなくなりました(T_T)命綱のネオーラルだけはありましたので良しとするしかありません。

リハビリ病院でも同じ薬が出せますよと言われましたが、毎回受診して薬の量をコントロールしていますからと、それは丁重にお断りし、やっと浜の町にたどり着いた時の安堵の気持ちは言い表せません。

息子も精神的に参っていましたが、その日のフォローアップ担当の看護師さんが偶然にも命の恩人(呼吸停止を見つけて助けてくれた)だったのでテンションが上がり再会を喜び合いました。そこで色々気持ちを吐き出せたのでスッキリ!スキンケアについてもアドバイス頂き助かりました。

さらにいつも声かけしてくれる心理士さんもいらして、よく話を聴いてくださり入院中の鬱憤をかなりはらせたみたいでした。いつもはそんなに喋らない息子なのですが、この日ばかりは別だったみたい(^_^;)

そして家に1泊してゆっくり入浴して美味しい物を食べ、翌日リハビリの病院へ行くと、そこはとても快適で担当の先生や看護師さんとどういう風にしてもらいたいかをゆっくり話すことが出来て安心しました。

一刻も早く退院して家に帰りたがっていた息子ですが、ここならしばらく居てもいいかな~という気になったようです。リハビリの先生もマッサージが上手で、この分なら母がやらなくても良さそう。助かります\(^o^)/

さすがにリハビリ専門なのでリハビリ室も広く、午前中は指導、午後は自主トレみたいな感じで結構な運動量が確保できます。家に帰れば部屋から出ないことが多くなるので、私としては今月いっぱいくらいは入院しておいてもらいたいくらいです。

血液データはほぼ手術前の値に戻っており、ヘモグロビンも11.5g/dlになっていました。皮膚症状がひどいので今回もネオーラルは現状維持の40㎎のままになりました。

次回の受診は4月初めの母と同じ日に予約しました。多分今度は自宅からみんなで一緒に出かけて来られることでしょう。

たぶん真菌の逆襲2016年03月07日 20時04分44秒

先週は皮膚症状に悩まされた。乾燥がひどく落屑、痒み、発赤、発疹とあらゆるトラブルが一度に出て、一時は瞼まで腫れぼったくなってしまった。

GVHDなのか、はたまた真菌によるものか?え~い、こういう時は重ね塗りだ~!と覚悟を決めてルリコンとロコイドをたっぷり重ねづけしたが、いまいち効いたのかよくわからない。

しかし、2週間ぶりにシャワーを浴びてから塗った時には劇的に効いた。やっぱり今まで毎日入浴していたのに、この2週間清拭だけなのがよくなかったのね。これからは毎日シャワー浴びさせてもらうことにする。

頭の中もあやしいのでコラージュフルフルネクストシャンプーを慌てて持って行った。これも一発でフケが無くなった。やっぱりカビ(真菌)だったんだな。

本当は皮膚科受診させてもらうのが一番だとは思うのだが、何とか手持ちの薬で今までの経験から工夫して立ち向かうしかない。本当に移植患者は弱いな~と今回ひしひしと感じた。

シャワーの後傷パッドの交換があり、傷口を1週間ぶりに見た息子が前回は生々しくてえぐかったが、今回はキレイに閉じていたと喜んでいた。

今は歩行器でスイスイどこへでも行けるくらいには回復したが、前方アプローチならでは痛みに閉口している。後方と違って筋肉を切らないので姿勢の制限もなく傷の治りも早いのだが、手術の時大きな神経をより分けて人工股関節を入れるので、どうしても大腿部の前の辺りに痺れが残ってしまうのだ。

しばらくすると元通りになるらしいが、長い人では1年くらいかかることのあると説明された。そういえば一生治らない人もあるようなことがネットでも書いてあったな~。早くよくなりますように!

1週間ぶりに股関節チームのドクターたちがアメリカから帰って来られた。主治医はまだみたいだけど執刀医の教授が帰って来られたのでほっとした。しかし退院(転院)の話は全く出ない。いつになるのかな?

出血は止まったみたい2016年03月03日 09時13分07秒

ようやくヘモグロビンの値が10g/dlを超えた。手術前よりちょっと低いくらいで寝たり起きたりの生活には支障ない程度、リハビリはややきついと言っていた。

ふだんは車椅子の生活だがリハビリでは歩行器を使って歩く練習をしているらしい。自分ではもっと出来そうなのだが、傷口が痛むし開きそうで大胆には動けないのが歯がゆいみたい。

昨日は職場の同僚の方が数名でお見舞いに来てくださった。ありがたい。同じ階の別棟でインフルエンザ患者が出たのでデイルーム(食堂)が使用禁止になっているため、ロビーで会う。しばらくオシャベリして気分転換になったみたい。優しいお姉さま方(?)に囲まれて楽しそうにしていた。

その後はくたびれたみたいでいつものマッサージタイム。いつも仰向きに寝ていることが多いので、近頃は横向きになって背中・腰を中心にほぐしてやると気持ちいいみたい。まだ患部を下にできないのでいつも右下の横向きなのだが、うつ伏せとかしちゃダメなのかな?

マッサージで結構手が疲れるのでお返しに手のマッサージをしてもらう。あ~気持ちいい!これから家に帰ったらまた母が待っているのだからこのつかの間のリフレッシュが必要なのよ。

転院は来週か再来週かわからないけど、のんびりやるしかない。息子のことだけなら私もいつものペースをそれほど崩さす生活できるのだが、母のことは24時間なのでなかなか自由にならない。

リボンの会の交流会も新年会も出られなかったし、気になる病状の患者仲間もいるのだが会えていない。当分はこのブログが自分の気持ちを整理する唯一のツールなのかも。

貧血の原因2016年03月01日 08時45分49秒

ようやく担当医の先生とお会いして話を聞くことが出来た。結果的に貧血は関節内の出血によるものだったが、その原因はリクシアナという血液をサラサラにする薬である。血栓予防のために術後どの患者にも投与される。

しかしこの薬シクロスポリン(ネオーラル)と一緒に飲むと効きすぎるという代物だった。先生もその事はわかっていらしたので通常の半量で様子を見ていたのだが、こういう事態になってしまったらしい。

特に息子は術後Dダイマーの値が異常に高かったので投与はやむを得なかったのだが、ヘモグロビンの値が下がり始めたあたりで中止してほしかったよ(T_T)

気付いた時はヘモグロビン値は6.3g/dlまで下がり、結局輸血は4単位560cc行う羽目になった。即刻リクシアナは中止になり、お陰様で今は9万まで回復している。

関節内に貯まった血は抜いたりせず、自然吸収されるのを待つらしい。おかげで退院は当初の予定より延びて先生がアメリカから帰って来られるまで居ることになりそう。

息子は手術後はどんどん楽になると聞かされていたのに痛みも腫れも引かず、良くなっている気が全然しないと言っていたがこういう事だったのだ。それでも血栓がこわいので出血があってもリハビリは毎日続けるようにとの指示だった。

なまじ移植のような過酷な体験をして患者にとっては、整形外科的な痛みは我慢できる範疇だったので我慢してしまった本人が悪いのか?仕方のないこととはいえ、もう少し丁寧に経過を観ててくれたら防げたんじゃないかと思う。

とりあえず輸血2016年02月29日 08時35分29秒

病院に着くと日曜日のため当直の先生の指示で赤血球の輸血が始まろうとしていた。2パックなので140cc×2=280ccか?

1パック入った時点で顔色がずいぶん良くなり本人も呼吸が楽になったと言う。脈拍も落ち着いてきた。ふらつきやめまいも軽減した。しかしまだ安静なのでトイレも看護師さんの付き添いなしでは行かれない。

日曜なので原因を調べる手立てがなく、当直医はおそらく関節内の出血だと思うが断言はできないので、すべては月曜日以降に主治医が来てからということになった。

お見舞客が無かったのが幸いで、ただひたすらベッド上安静を守る。することが無いので2人で本人の好きなおやつを食べる。身体に悪そうなポテトチップスとコーラだが精神的には良いみたいでちょっと嬉しそう(*^_^*)

最悪、再手術になるとか?血液疾患の方の問題?とかいやな想像を一瞬追いやる効果がポテトチップスとコーラにはあるんだなぁ~と妙に感心する。

帰るころにはずいぶん顔に赤味が差し、手足も温かくなっていたので安心した。家に着いて夕食を食べていたら、差し入れたおかずで初めて病院食を完食したとのメールが入った。

今度のことも相談したいし、今日は早めに病院に行こう!

安堵もつかの間...2016年02月28日 13時18分36秒

昨日までの様子を更新した直後、今朝の採血でヘモグロビンが6g/dlを切ったので、急遽、赤血球を輸血することになったとの知らせ。また安静に逆戻りだ。場合によっては血小板も必要になるかもしれないとのことだった。

あらら、確かに昨日の帰りしなにすごく顔色悪かったんだけど、患部の出血が止まらないのかな?心配~!

何が心配って明後日から股関節チームの半分(執刀医と担当医を含む)がアメリカの学会参加でいなくなってしまうんだってこと。これは手術後に聞かされた(-_-;)。半分残る先生方に引き継いで行くって言われたんだけど、「あ、そうですか。」としか言えなかった。聞いてないよ~(T_T)

こんなハイリスクの患者を置いて行ってしまうの?とにかくこれからすぐに病院に行かなくちゃ。後でまた報告します!

手術後の経過2016年02月28日 09時07分21秒

手術は成功したものの、しばらく苦しい日々が続く。移植の時のような何とも言えない倦怠感や先の見えない膠着感とは違うが、手術って怪我してるようなものだから痛みが次々やって来るのだ。

やはり手術当日の夜が一番苦しかったらしく、フェンタニル(移植の時もお世話になった麻薬)の入っている間は副作用の吐き気と必死に闘いつつ姿勢を変えられない苦しさにひたすら耐えていた。

個室は一晩だけで翌日はもう大部屋へ。整形外科って次々患者さんが来るから病室はいつもいっぱい。だけど退院していく人も多く回転が速い。血内に比べて先生も看護師さんも患者さんもやっぱ体育会系な雰囲気だ。

翌朝の採血でDダイマーの値が並はずれて高く、先生が焦ってエコーで調べたが血栓などはなくひと安心。翌々日にはほぼ標準的な値に下がった。

ヘモグロビンの値も久しぶりに10g/dlを切り、顔は真っ白で血の気がなく、リハビリのために上体を起こすとめまいがひどいので寝たままで行う。

3日目にフェンタニルの点滴が外れ、ようやくゼリーやアイスなどを少しずつ口にするようになり、4日目からは少しずつ病院食も食べられるようになった。点滴や導尿の管も取れたので車椅子に乗って移動することができるようになった。

こうやって気分転換が出来るようになるとぐんぐん快方に向かっているような気がする。しかし患部の痛みはまだかなりあるらしく、手術した左足は正常な右足の1.5倍くらいに腫れているのでいつも保冷剤みたいなやつで冷やしている。

6日目には友達もたくさん来てくれてベッドの周りはお見舞いの品で溢れていた。思えば18歳から何度入院しどれだけの人に見舞ってもらったことか。それでも世間から見捨てられずに幸せなこと、感謝の気持ちでいっぱいになる(涙)

昨日はちょうど申請していた特定疾患の認定証が家に届いたので息子に持って行くと、月額の上限2500円という区分になっていた。所得が低いからかもしれないが、これは思っていたより負担が少なく済みそう。現在無給の息子もちょっと安心していた。

しかも入院中に届いたので立て替えずに済むのはなお有難い。今まで既に支払った分も申請後の分については戻ってくるそうだ。

1週間以内には次のリハビリ病院に転院の予定だが、どこに決まるだろうか?決まれば腰を落ち着けて1ヶ月間ハードなリハビリが続くらしい。息子はリハビリは楽しいという。かつてのサッカー少年だった頃の血が騒ぐのか?成果が目に見えるので達成感が味わえるのか?

このままトラブルなく順調に行って欲しい。今年のお花見は息子も母も一緒にたくさんで賑やかに行きたいな~(*^^)v

手術終わりました!2016年02月23日 11時51分27秒

人工股関節置換術、無事終了しました。手術そのものには何のトラブルもなく短時間で終わり、先生から術後の説明を受けましたが、麻酔の方で長く待たされたので結局5時間以上ロビーで待つことになりました。

さい帯血移植の時のような精神的な苦痛はないものの、やはり本人の顔を見るまでは心配ですよね。真っ青な顔でしたが「大丈夫!」といった息子を見てほっとしました。

今は一時的に個室に入っていますが、整形外科はどんどん手術後の患者さんが来るので、今日には大部屋へ戻されるそうです。

麻酔の副作用による吐き気でまだ何も食べられないようなので、ひと口で食べられるようなゼリーを持ってきてとのこと。ちょっと移植の後の食べられなかった時期を思い出します。

移植と違って、今回は何が辛いってとにかく身じろぎが出来ないでじっとしている事だそうです。無意識に左足を動かしてしまったらという恐怖に身体が縛られているように感じます。

またせっせとエサを運ぶ親鳥になってしばらく病院通いをすることになりそうです。

応援してくださった皆さんありがとう!取り急ぎご報告まで。

余談ですが、術後貯血しておいた自己血を戻す時、何気なく見たパックの表示がA型(+)になっていました。そうか!もう完全にドナーの血液型に変わっていたんだ~!なんだか新鮮な驚きでした。

人工股関節の手術近づく2016年02月17日 21時56分13秒

息子は3ヶ月の休職期間に入った。最後の方は股関節に痛みが出てとても心配したが、何とかこの分なら手術日までに大きく圧潰したりひどい炎症を起こしたりすることはなさそうである。

入院までの数日を準備に費やす。提出書類や持ち物など今回はテキパキと自分でやっている。当たり前か!30歳だもんね(^_^;)しばらく無給になるので可哀そうに思い、マジックハンドだけは買ってやった。術後しばらく動けない時に役に立つらしい。

母は送迎付きのリハビリに1日おきに通っている。おかげでずいぶん手が上がるようになってきた。今は体重をかけて支える時に違和感があるくらいでほとんど元通りと言っていいくらいだが、唯一のお仕事なので来なくていいと言われるまで通ってもらうつもり。

息子の手術までに母の肩が回復してくれて助かった。お留守番も出来るし、少しくらいなら家事も頼めそうである。こちらに友達がいないので退屈しそうなものだが、毎日大好きな新聞を隅から隅まで読み、謡曲を謡い、週末には家族麻雀もするという充実の生活ぶり。

息子よりたくさん食べ、必ず晩酌にビールを1缶飲むこの85歳のどこにがんが潜んでいるのだろうか?確かに抗がん剤の副作用の方が心配という先生の意見も納得である。

私は毎日予定を詰め込み過ぎ、また家事量も増えてちょっとお疲れ気味。来週はなんとか息子の手術にのみ集中出来るようスケジュールを調整しよう。

息子の入院日決定!2016年02月03日 09時18分01秒

先週受けた術前検査を踏まえての診察、麻酔科の説明を受けに行った。

手術が近づくにつれ、息子は麻酔から覚めなかったどうしよう?とか、こんなに調子がいいのに手術の必要性があるのか?とか、とかくネガティブな発言が増え、ちょっとナーバスになっているようだった。

今回の受診で色々質問を考えていったようだが、画像や先生の説明を聞いてすっきり腑に落ちたようだった。さい帯血移植の時もギリギリまで受けたくない気持ちを口にしていたが、その時は待ったなしの状況だったので自然の流れに乗ってどんどん進んでいったのだが。

今回は本当に今この時期に?という思いが強いらしく、逡巡するのも分かる気がする。しかし画像は正直なもので自分の左股関節の状況が相当悪い状態なのを目の当たりにして納得して手術に臨むことが出来そうな様子。

手術する病院での入院は10~14日間だそうだが、その後リハビリ専門の病院に転院して1ヶ月ほど過ごすらしい。その後1ヶ月半ほど自宅療養して復職というスケジュールだということがわかった。

入院は手術の前日になった。その少し前から休職することになっているので、どこか少し遠出して美味しい物でも食べに行っておこうというプランを話す心の余裕も生まれてきた。しばらくは病院食ばかりになるので、本人の好きな物をリストアップして食べ歩く予定(*^^)v

次回はアクシデントで急遽福岡へ連れてきた悪性リンパ腫再発の母のこと。母はひどい転倒をしたことと最近のCTの結果で、少し当初の予定とは治療方針が変わってきた。こちらもこちらで悩ましい。