HCUから一般病室へ2018年12月03日 22時55分33秒

HCUには1日居ただけで次の日には晴れて元のお部屋にご帰還。術後の経過はまずまず順調である。

何より嬉しかったのは今回はせん妄が出ずにずっといつもの母でいてくれた事。覚悟していたのに拍子抜けしたがよかったよかった!ホッとしたよ。

次の日には尿のカテーテルも外れ歩いてトイレに行き、食事も液体ばかりだが始まった。88歳にしては立派なもんだ\(^o^)/

毎日新聞を持って行っているが、今日は前の日付にさかのぼって読み返し、大好きなTVの株式市況も見ていたので、母らしいと思った。この分なら手術前に急きょ探した自立型のサ高住を退去させられる事はなさそう。

今日はシャンプーもしてもらったそうでスッキリした顔でお出迎えしてくれた。行くたびに新しい事が出来るようになっているとこちらの気分も明るくなる。

帰る時にはお腹減ったよ~と言っていた。頼もしい限りである。

母の手術終わる2018年11月30日 23時30分13秒

今日は朝いちで母の手術があった。

歩いて行きますか?車椅子で行きますか?という看護師さんの問いに母よりも早く「歩いて行けるよね?お母さん。」と言った私。

足は悪いがふらつきもないので、病院のようなバリアフリーの廊下は平気だよって!感じで自身の足でしっかり歩いて手術室に入って欲しかったから。

母は一瞬甘えたいような表情を見せたが私の気迫に押されて歩いていくと言った。手術室に消える時も手を振って余裕の表情を見せた。

待つこと4時間。執刀医の術後説明があり手術が無事終わった事を知る。想定外のことは特に起こらず小腸にある腫瘍を切り取り小腸どうしを元のように繋いで完了した。

後は検査でその腫瘍の正体を調べてもらうだけ。先生の話ではどうも固形がんのような顔つきではないので、リンパ腫っぽいかな~という感想だった。

HCU(ハイケアユニット)に運ばれた母と対面する。まだ朦朧としてはいるが、はっきりありがとうと言っていた。まだせん妄は起こっていないみたい。

でも前回の手術の時はしばらくして起こり3日間ほど続いたからなぁ、安心はできない。術後せん妄は必ず治る、絶対に認知症に移行することはないと毎回聞かされても、言ってることがあまりにもシュールなのでマジ心配してしまうのよね(^_^;)

HCUにはあまり長く居られないので夕方で帰って来てしまった。帰る間際に血内の主治医の先生も来てくださった。長い付き合いなので顔を見るとホッとした。母も先生をはっきり認識して反応した。

さて明日の朝、母はどうなっているのか?手術そのものについては心配していないがせん妄が起こって夢の国の人になっているとちょっと悲しいかも。

ひとまず今日はゆっくりお休みください。頑張ったね88歳!

母の手術前に2018年11月22日 09時56分12秒

検査入院の直前に被せていた義歯が折れ歯の根だけが残ってしまった。近所の歯医者に行くと手術を控えしかも大動脈弁狭窄症と心房細動の既往歴のある患者の抜歯は引き受けられないと、総合病院へいくように紹介状を持たされた。

本来なら手術をする病院で受けたかったのだが、そこに歯科はなく仕方なく家から一番近い総合病院に予約を入れ受診した。ここでも手術前の抜歯はリスクがあるので手術後入院しての抜歯を勧められた。

しかし口腔内のクリーニングだけは大きな手術前にしておくべきだと言われ、大量の抗生物質を飲んでお掃除をしてもらった。これでひとつやるべき事が終わった。

それと同時に母のサ高住への引っ越しも行った。10月末にこちらへ連れて来てずっと我が家に逗留していたが、家族みんなに疲れの色が見え始めていたので、渋る母を説き伏せて春までという条件で入居してもらうことにした。

母の検査入院直前に、家の近くで空いているサ高住を検索し見学に行き、ようやく母が住んでくれそうな所を見つけて仮予約し、最終的に母のOKを取って決めた。

そして検査入院中に荷物を運びこみ、退院後は直接そちらへ入居してもらった。これが本当に正解で生活が安定した。

母も住んでみるとひとり暮らしよりはるかに楽で、部屋も廊下も食堂もみな暖かいのでのんびり大好きな新聞を読んで過ごしている。TV浴もしうたたねもしている(^_^;)

住人の方たちもみな自立の方ばかりなので、つかず離れず世間話をする程度の関係をキープすることが可能である。嫌がっていた高齢者施設での暮らしが意外と気に入ったみたいで私はほっとした。

ことしは父の葬儀もあり実家との往復に疲れ果てていたので有難い。安否確認のための朝夕のメールも気にせず自分のペースで生活できるのは何年ぶりだろうか。

しかも父のお墓を福岡に建てたので、母のすむ場所から見えるほどの近さである。お父さんが私の窮状を見かねて母を呼び寄せてくれたのかな~?

後は月末の小腸切除手術を待つばかりである。こちらもどうか上手くいきますように。お父さん、母はまだそちらへ行くつもりはなさそうなので、そこのところはよろしく。

検査入院の結果2018年11月15日 08時36分07秒

3日間の検査入院の結果、やはり悪性リンパ腫の確定診断はつかず。CTやPETと同じように、回腸に3㎝ほどの腫れがあることは間違いないようで、手術で取ってから組織検査をして病気を調べるという順序になった。

それにしても88歳になってからの大腸カメラや小腸透視(バリウム飲むヤツ)はかなり堪えたようでフラフラになって退院した。しかも入院中に予め荷物を運びこんでおいたサ高住へそのまま入居。母にとっては至難の一日だったろうが、私も疲れ果てた。

腫瘍は小腸でも大腸にかなり近い部分に出来ているので、覗いてみて必要なら大腸も切除するらしい。小腸どうしをつなぐより、大腸と小腸をつなぐ方がはるかに難しいらしいのでそうならない事を祈る。

循環器の先生のOKも出たので今月末の手術が決まった。退院については何も決まっていないのだが、おそらく2~3週間くらいだろうな。前回の手術のあとが癒着している可能性が高いので開腹になるだろうし。

とにかくこのまま置いておいて腸閉塞でも起こされるとたまらないので、取り敢えず切って中身を調べる。リンパ腫ならこれ以上の治療はしない。それ以外のもので悪性の場合はそこからまた治療方針を考えるという事らしい。

昨日のカンファレンス、母には半分も理解出来ていないだろうな~。キーパーソンとなる家族がいない人は高齢になって大病したらどうなるのかね。娘のいない我が身がふと心配になる(-_-;)

母のリンパ腫再々発2018年11月11日 08時40分20秒

PETの結果は限りなくクロに近かった。というのも悪性リンパ腫の場合生検のみが確定診断の基準であるため、ある意味状況から見ての判断である。

3年前にも再発を疑われたが、場所が縦隔で腫れていても生活に支障が無かったため経過観察を続けていた訳なのだが、今回は回腸、しかもかなり大腸寄りの場所なので、放置した場合腸閉塞など生活に支障が出て来る可能性が大きい。

放置したまま症状が出て緊急手術などになる方がリスクが高くなるので、定期受診で早期発見出来た今のうちに外科手術で取り除く方がいいとの主治医のアドバイスを受け、一度自宅に帰した母をまた福岡に連れて戻って来た。

先週は消化器内科・外科を受診し外来で出来る検査が行われた。もともと大動脈弁狭窄症と心房細動のある母なので、全身麻酔での手術に耐えられるかどうかを判断してもらうため、循環器内科も受診した。

外来での検査には体力的に限界があるので、明日からは入院して大腸カメラと小腸の透視をしてもらう。

それと並行して母の一時的な住居探しも行った。家には他にも病人がいるし、外科手術後に退院してきた時に階段の多い我が家では生活しづらく、ほとんど動かない生活になってしまう。今でも3階の住人となりほとんど一日中動かない(^_^;)

ようやく家から5分ほどの所にサービス付き高齢者住宅を見つけ、母を説得して春まではここに住んでほしいというと、さすがに9年前とは違って何が何でも自宅へ帰るとは言わずに了承した。

検査入院中に引越しを済ませておき、退院後はここでの生活に慣れてもらいながら本番の手術を待つという手はずを整えた。

なんという目まぐるしい2週間であったことか(-_-;)

おかげですっかりリボンの会の医療講演会のことが吹っ飛んでいた。気付けば昨日終わっていたのだ。病気の渦中にいる患者家族にとってはなかなか行きづらいものなのだと今回初めてわかった。

母帰る2016年04月29日 14時54分43秒

1月の半ばから3ヶ月、福岡に滞在していた母を関西の実家まで送って行った。今回は荷物もあったので久々のフェリーで往復し、休職中の息子も運転手として同行させた。

向こうでの滞在は1週間。その間にまず母のケアマネに会い今後のケアプランを決め、在宅医に会い、浜の町からの診療情報提供書を渡して月1回の訪問診療をお願いし、さらに訪問介護ステーションの看護師さんと会い月2回の訪問看護の契約を交わした。

母は要支援1しか付いていないのだが、1人暮らしなので受けられるサービス(ヘルパー、配食、デイリハ)を駆使して、日曜日以外は必ず誰かの見守りがあるという状態を作ってきた。さらに毎朝私へのメールをすることが日課なので、仮に異変があっても何日も発見されないということはないだろう。

合間を縫って、施設に入居している要介護5の父を尋ね、父のケアマネに会い、病院に連れてゆき、要りようの物を買い足し、介護タクシーを予約して食事に連れて行った。

父には詳しく母の容体を伝えなかったので、治療を受け元気になって戻って来たと思い喜んでいた。それでいいのだと思う。

さらに3ヶ月留守をした実家の片づけと掃除、銀行や郵便局、市役所など色んな雑務をこなし、免疫力UPするという天然ラジウム温泉へ母と息子を連れてゆき、ついでに比叡山の桜を見て来た。

滞在中毎日なにかしらの用事があり多忙を極めたが、これでまたしばらくは平和な自分の生活に戻れるという思いで何とかクリア出来た。今回は息子のサポートも大いに役立った。

母の次の受診は2ヶ月後。それまでは少しのんびり暮らしたい。

帰りのフェリーの中や高速道路で、たくさんの他県の救急車や緊急自動車に出会った。熊本を支援に行ってるんだなと思うと頼もしく有難い。自分には寄付をするくらいしか支援のしようがない。実際に現地で働く人たちに思わず心の中で手を合わせた。

被災地の血液疾患患者は?2016年04月18日 19時47分25秒

ここ福岡でさえ今も時々震度1くらいの微細な揺れを感じる。しかし普段通りの生活は出来ている。免疫抑制剤をはじめ薬もふつうに飲めている。

熊本を中心とした被災地の患者の皆さんはどうしているのだろう。健康な者でさえ不便な生活を強いられ、ものすごいストレスにさらされている中、命綱ともいえる薬が滞る不安は半端ないだろうとぼんやり考えていたら、タイムリーなメールがネクサスから流れてきた。さすが!

参考になるのでリンクを貼らせてもらうことにする。

被災された血液がん患者さん(リンパ腫・白血病など)が注意すべき事項について
http://group-nexus.jp/nexus/?p=2494

なるほどな~、知らなかったこともたくさんある。少しでも参考になればうれしいのだが、一刻も早く安定した普通の生活に戻れますようにお祈りしています。

母のヘルペス騒ぎ?!2016年03月26日 10時11分30秒

息子のリハビリは順調に進み、退屈だが平和な日々を過ごしているようだ。今月末には退院の予定。私も年明けから次々に起こる事態を乗り越えてちょっとゆっくり出来るかと思っていた矢先、今度は母が左胸に発赤があり深呼吸をする度に痛むと言い出した。

本人は3年前にかかった帯状疱疹の時の痛みに似てると言い出したので、あわてて急患センターに駆け込みバルトレックスを処方してもらった。以前こじらせて回復までに40日以上もかかったので、早めに抑えた方がいいと思ったからだ。

2日分しかもらえなかったので連休明けに近所の皮膚科に連れていくと、先生がどうも発疹の様子がヘルペスとは違うようだと言われて検査するとあら真菌が出た(-.-)

え~っ、カビですか???

ということで抗真菌薬(外用薬)が出て、念のためバルトレックスも減量して5日分飲み切るよう言われた。しかも胸の痛みは発疹とは無関係だと思うし、リンパ腫が悪さをしている可能性もあるので浜の町病院の主治医にかかるよう診療情報提供書まで書いてくださった。

う~ん、11日に胸部のCT撮ったばかりだし、腫瘤はあんまり大きくなってなかったし、耐えられないような痛みじゃないし、いろいろ忙しいし、と考えつつ放っておいたら、4、5日で胸の痛みは消えた\(^o^)/らしい。

なので、ま、いっか!と現在も放置中。しかし皮膚の発疹は消えるどころか右側にも広がってきたのだ。これ本当にカビなの?なんだかなあ~。

リンパ腫が進み体力が落ちてくると、これからもこんなことが色々起こってくるんだろうな~。やっぱりあちらに帰したら、訪問看護のサービスを受けられるようにしなくちゃとの思いを強くした。

だって母は発疹には取りあえず手近にあるステロイド軟膏を塗ってしまうから...今回も自己判断でまずリンデロン塗ったらしいから、どれが効いているんだがよくわからなくなってしまった(^_^;)

そんなこんなで、まだ浜の町には連れて行けてないのだが、この分では次回の定期受診まで様子見になるかもしれない。う~ん悩ましいね。

母の外来受診2016年03月12日 13時21分55秒

息子がまだ入院中で出て来られないので定期受診は母のみとなった。採血とCT撮影を済ませて診察を待つ。

結果は...この1ヶ月の間の腫瘤の変化はほとんどないという事で先生も私たちも安心した。1ヶ月後にもう一度受診をした後、家に帰す決断をした。

母ももともと無治療を望んでいたし、向こうのケアマネに相談したところ、在宅医を決め、週1回の訪問看護を申請してはどうかと言われた。息子が退院して落ち着いたころ、母を実家へ送って行き、必要な手続きをしようと思う。

調べてもらうと、運よく、その在宅医の先生は元血液内科の主治医でその後に開業された、よく知っている先生だったので安心した。こうやって母の方は残りの人生のロードマップを具体的に描けるようになり、本人も私も落ち着きを取り戻した。

今後、浜の町病院の受診は3ヶ月に一度程度、新幹線通院(?)で経過をみながらお世話になることにした。

息子の方も来週初めの転院が決まった。リハビリ病院の方は当初の予定より短くなりそうなので、家族そろってのお花見がいよいよ現実味を帯びてきた。

綱渡りのような1ヶ月だった。久しぶりにほっとしたので明日の日曜日は大好きなお能を観に行った後、友達と軽く飲みに行こう!私にも気晴らしは必要だと正直思う。

母の治療方針2016年02月03日 10時09分00秒

検査がひと通り済み、週末に母の治療方針をめぐる話し合いがあった。出席者は先生方3名と看護師さん、母と私の5名。

母はリンパ腫の再発とは別に先月半ばひどい転倒をし、顔面打撲と擦過傷、左肩打撲、歯が折れて見るも無残な状態で福岡へ来て入院した。直後に撮った脳のCTには異常がなかったので安心していたのだが、左肩の痛みが一向に引かない。

リンパ腫の治療のための前検査とともに、左肩のCTも撮って頂くと、骨折こそ無かったが腱板断裂ということであった。高齢のため手術は出来ないのでリハビリで治していくことになった。もちろん全く元通りとはいかないが日常生活ができるようになるまでしばらくかかるらしい。

リハビリをしながらのリンパ腫治療になるのか~と思っていたら、今度はこちらへ来てから撮ったCTの画像から、発見から1ヶ月経過しているにも関わらず、腫瘤があまり変化していないことが分かった。これはまあ良い事には違いないのだが...。

すると今度は、今この段階での抗がん剤のような強い治療が必要なのか?ということになってくる。母は怪我以外にリンパ腫によるQOLの低下はない。若い人なら発見されたこの時点で迷いなく治療を開始すると言われたのだが、母の場合リスクとベネフィットを比べるとどうやらリスクの方が大きく、治療によってQOLが下がるか最悪は合併症で死んでしまうかもしれないとのこと。

私はリツキサンのみの投与で何とか凌げないかと聞いたが、やるからには抗がん剤との組み合わせでしないと一定の治療効果は上がらないだろうと言われた。

これは非常に悩ましい問題である。持ち帰って週末に家族会議を開き、また私自身も息子の手術と重なる期間に、母の介護を抱え込めるのか?という自問自答を繰り返し出した結論は...。

取りあえず、母は退院して福岡の私の家から近所の通所のリハビリに通う。息子の手術が終わりリハビリの病院に転院した頃に、再度リンパ腫のCTを撮り進行の度合いを診る。その時点で抗がん剤治療をするか無治療経過観察かのどちらかを選択する。

この厳寒の時期に、このまま手の不自由な母を実家へ連れ戻って、あらゆる介護の支援を受ける手続きを整えて帰ってくるまでの時間的猶予はないし、その後もきっと様子がわからず心配し続けるだろう。

かといってこちらで過ごしてもらうのもそう簡単なことではない。自分の生活のペースは完全に乱されるから。最終的には、身体的な負担の増加を取るか、精神的な負担の増加を取るかの二者択一である。

結局私は身体的な負担の方を選んで、自宅でのリハビリのために一旦母を退院させ引き取ることにした。家族も賛成してくれた。先生方にもその旨を伝えると、早速リハビリの病院探してくださることになった。

また母を迎える準備だ。せっかくだから楽しんでやることにしよう。リンパ腫以外のことでいつお迎えが来てもおかしくない年なのだから、残された時間を精一杯快適にすごしてもらうために(^_^;)