セカンドオピニオンの資料をもらう2015年10月12日 09時05分12秒

前回の外来で整形外科の先生にお願いしていた資料が出来上がったので病院に取りに行った。

いよいよ今週はS大にセカンドオピニオンを受けに行く。ちょっと緊張する。息子と2人で聞きたい事を整理してまとめる。

急激な痛みを覚えてから3週間が経過した。近頃息子は杖をついていない。足の痛みが全く消えてなくなったからだと言う。歩き方も普通になった。

こうなると「自分は元気になった、もう手術はしなくてもよい。」といった方向に患者の心理は傾く。でもネットで調べると「痛みが消える=治る」ではなく、痛みは繰り返し、長い時間をかけてやはり悪化への一途をたどるらしい。

誤解のないように記すが、悪化は壊死が進むということではなく、壊死した部分の圧潰が進む、または健康な臼蓋関節の方にまで損傷が及ぶという意味だ。

ステロイド性の大腿骨頭壊死(ION)の場合、理由はわからないが、ステロイド投与後の6週から9週くらいで壊死は起こってしまっているのだ。その代わり、壊死は広がったり再発したりはしない。

息子の場合はおそらくもう2年以上前の移植の直後に壊死は起こっていたのだ。壊死が起こっても骨は固さがあるので一見そのままの状態が続く。

圧潰して初めて痛みが出て発症する訳で、それは息子の場合はテニスがきっかけだったが、何もしなくても2年くらいたった頃に潰れるという人が多いらしい。

ステロイドを大量に使った人のすべてがIONになる訳ではなく、ごく少数だし、どうして大腿骨への血流がストップして壊死を起こすのかも解明されていない。だから特発性と付けられているのだそうだ。

今こうなっているのは晴天の霹靂ではなく、もう2年前から決まっていたことなんだと思うとやりきれない気持ちになる。しかし、白血病の治療の過程でステロイドは使わざるを得なかった。それは当然のことだと思う。

素人考えながら、壊死を起こしてからの2年の間に1度くらいMRIを撮り発病が確認されたら、なんとかそのボロボロの大腿骨頭を補強するような物質を注入するとかして圧潰を未然に防ぐことが出来ないものだろうか?などと考えてしまう。

こんな侵襲の大きな手術を受けなければQOLを維持できないようになる前の予防的な治療法の開発を、これからの患者さんたちの為に期待したい。ちなみに私が患者会で質問した、ips細胞を使った再生医療の可能性については、実現は50年くらい先と言われてしまった。しかし、考え方としては夢物語ではないそうである。

おれんじの会市民公開講座へ行ってきました!2015年10月05日 15時59分19秒

10月4日、山口のNPO法人おれんじの会主催の市民公開講座が下関で開催されましたので参加して来ました。

おれんじの会は山口県特発性大腿骨頭壊死症友の会です。
http://blog.canpan.info/orange083/

テーマは「股関節の病気と歩行障害」で講師は山口大学整形外科の今釜崇先生でした。大変丁寧でわかりやすく、股関節のしくみから始まり、色々な病気と治療法、最後はロコモティブシンドロームまで幅広く話して頂きました。

特発性大腿骨頭壊死症(ION)の基本的な知識を夫に理解してもらうのには、うってつけの内容でした。息子と私は整形外科のI先生の診察時に色々な説明を受けていましたが、夫は同席していないので色んな事がまだよく理解出来ていなかったからです。

また医療講演会では、耳から聞く専門用語がわかりにくいという事がちょくちょくありますが、今回は「要約筆記下関」の人たちの協力で、内容がリアルタイムで前方のプロジェクターに表記されて大変理解しやすかったです。

これは耳の不自由な人だけでなく、誰にとっても親切で優しいサービスだと感心しました。いつかリボンの会でも出来るといいなと思いました。

講演後の質疑応答で、人工関節術を受けられた方の悩みがわかったことも収穫でした。今まで、私は手術までのことを主体に考えてきましたが、その後の生活のことも視野に入れなければと気づきました。

代表の渡辺さんは自身も難病を2つ抱える患者でありながら、現役の整形外科医であり、患者会活動も精力的にこなすパワフルな方です。私たち夫婦も講師の今釜先生や渡辺さんから、親身なアドバイスやパワーをたくさんもらって帰りました。

帰り道夕陽を見ながら渡る関門海峡はとても綺麗でした。下関まで行って本当に良かったです。

特発性大腿骨頭壊死症の治療方針2015年10月03日 11時38分58秒

この1週間は精神的に不安定で実に重苦しい日々だった。

私たちがネットや患者会で情報を探し回っているうちに、主治医の血液内科と整形外科の先生が相談されたらしい。その結果を踏まえて、昨日は病状の詳細と治療方針について整形のI先生から説明があった。

土曜日に特発性大腿骨頭壊死症友の会に行って講演を聞き、素人ながらも少し勉強してきたことを伝えると、そこまでわかっているならと前回よりかなり詳しく、時間をとって説明して下さった。

結論からいうと、息子のケースでは人工骨頭置換術がもっとも適しているので、出来るだけ早く手術を受ける方がよいとのことであった。人工骨頭は人工股関節とは違い、骨頭のみ人工に置き換える術で、今考えられる中では最も低侵襲だそうだ。

15~20年先に人工骨頭の寿命が来て、将来股関節全体を人工に置換する時もスムーズに移行しやすいという利点がある。

私たちは骨切り術に希望を持っていたが、息子の左側の病状はステージ3AのタイプC2で壊死の部分が大きいため、適用できないらしい。強行するにはリスクが高すぎて勧められないとのことである。

また内科的な見地からも、白血病という基礎疾患がある息子にとって何時間にも及ぶ骨切り術は出血や感染症のリスクが上がるので勧められない。

また、今服用しているくらいの量なら免疫抑制剤は止めなくても手術は出来るらしい。免疫抑制剤が切れるのを待っているうちに病状の悪化が懸念されるので、手術は早いに越したことはないらしい。

I先生の丁寧な説明を聞いて私たちはかなり納得した。そして骨頭置換の手術をするなら、この病院でI先生にお願いしたいという気持ちになった。

しかし、やはり息子の大事な人生にかかわる選択なので、1ヶ所だけセカンドオピニオンを受けてみたい思いはあった。I先生にその旨を申し出ると資料を用意してくださるとのことだった。

人工骨頭術なら入院は3週間くらいで1ヶ月くらいの休職で済み、立ち仕事もOKらしい。今の仕事を辞めずに済む可能性が出て来た。テニスも先生はOK出さないが、内緒でやっている人はいるらしい。

整形の診察室をでる時には私たちは先週よりは明るい気分になっていた。

その後、血液内科の定期受診に行くと先生も1ヶ所くらいのセカンドオピニオンはいいんじゃないの?みたいに言われたのでほっとした。

血液データは白血球、血小板は基準値内、ヘモグロビンはやや低かったが、まずまず落ち着いている。しかし皮膚の状態があまり良くないので、今回はネオーラルを減量しなかった。60㎎で現状維持である。

セカンドオピニオン先でI先生と同じ意見が出たら、息子はずいぶん前向きな気持ちで人工骨頭術を受けることが出来るはず。しかし、違う見解が出たら迷うだろうな~。

明日は山口で開催される「おれんじの会」の医療講演会を聞きに行く予定。息子は勤務なので主人と出かける。主人にもIONの一般的な知識を共有してもらいたいので、いい機会かなと思う。

特発性大腿骨頭壊死症友の会へ行って来ました!2015年09月27日 08時58分17秒

一夜明け、泣いてる場合じゃない!と息子と私は猛然と戦闘準備に取りかかった。

まず、息子はテニスを休会にした。退会じゃないのは、ここに希望の種をひとつ埋めておきたかったからだそうだ。

次に、ネットを駆使してようやく引っかかったFBの小さなコメントと、昨年の講演会記録から福岡県特発性大腿骨頭壊死症友の会の存在を探り当て連絡を取ろうと試みるが、代表の番号にどうしても繋がらずに困り果てた。

今年開かれるかどうかも定かでなく、午後から開催されるはずの時刻がどんどん迫ってくる。諦めかけた時、代表代行と書かれたYさんの電話番号にたどり着いた。

急いでかけると、Yさんはちょうど出かけようと玄関まで来たところで電話が鳴り戻ってくださったそう。ここが運命の別れ道だった!

1年に1回の総会・講演会・交流会はまさしくその日開かれるところだったのだ。早速場所や時間など詳細を聞き、九大のカフェで待ち合わせをした。

入会した当時のリボンの会のようにHPがなかったため、ここでも情報の核心にたどり着くまで相当苦労したが、間に合って行ってよかった。本当に意義ある良い集まりだった。

この会の歴史は古く、回数こそ少ないが、きちんとした活動をされていると感じた。もともと九大に居られた杉岡洋一教授(後に総長)が立ち上げられた患者会で、この先生は今でも股関節の術式に杉岡式と名前の残るくらいの超有名人なのだ。

何せ一昨日病名を告げられたばかりの私たちは、見るもの聞くもの初めてのことばかりで、病気の概要を知ったり、患者目線の生活上の注意点を聞いたりして勉強になった。

特に医療講演の演者はその杉岡先生から直接指導を受けた最後の弟子という、JCHO九州病院整形外科リウマチ関節外科部長の原俊彦先生だった。先生のお話は治療の最先端ということで、本当に欲しい情報ばかりだったので有難かった。

まだ次回の整形外科と血液内科の外来受診を待たないと何も具体的に質問が出来ない私たちにも、様々な標準治療の選択肢を示し、一筋の希望を残してくださったので、元気が出て来た。

もっともっとお話が聞きたかったがあいにく息子の出勤時間になったので失礼した。この会に参加するきっかけとなったFBの方と繋がったのでこれからもきっと色々お世話になることだと思う。顧問をして下さっている九大病院整形外科准教授の山本卓明先生の存在も心強い。

患者さんは何十年もION(特発性性大腿骨頭壊死)と付き合っている方が多く、白血病のように勝負の早い世界ではないが、QOLの維持のための判断は難しい。そもそも何もしない保存的療法もあるし、手術の選択肢も色々ある分迷うし、人工骨頭や人工関節の素材の進歩などもあり、どの時点でどんな手術をするかが重要なポイントになることもわかった。

ここへ来て素朴な疑問。
移植2年ちょっとでまだ免疫抑制剤を服用し、血球数も軒並み低いこんなION患者って手術に耐えられるのかな?

今度の外来で衛藤先生に聞いてみよう。今回の患者会にタイムリーに参加出来てよかった。少なくとも何を質問したらよいのかぐらいは分かってきたから。

会社には治療方針が決まってから休みを申請する予定だが、選択する治療によっては3ヶ月以上入院の可能性もあり、難しいところだ。ついに、もう来なくていいよと言われてしまうのか...?前回同様粘り強く説明して、ここにも希望の種を残しておきたいものだ。

不安的中2015年09月25日 22時34分31秒

今の息子にとってテニスは唯一の楽しみ、いや生きがいにすらなりつつあった。

発端は先週の木曜日、テニスから帰宅した息子が左腰に違和感があると言った。その時は痛むとは言わなかったので、マッサージなどしてやりそのまま様子を見ることにした。

土曜日に医療講演会があり衛藤先生にもお会いしていたのに、私は事の重要性にまだ気づかず、何も相談しなかった。

あくる日の日曜日に行ったテニスで明らかに腰から膝の方まで広範囲の痛みを感じて帰宅し、しばらく足を引きずっていた。それがシルバーウィークの初日だったため、どこも休診で、貼り薬などで様子を見ながら安静にし、それ以降テニスは休んでいた。数日で痛みは少しずつ薄れてはいた。

しかし、もうこのころから私には一抹の不安があった。ひょっとして大腿骨頭壊死かも?

これは移植治療などでステロイドを大量に長期に渡って服用した患者によくみられる病気だ。リボンの会でも幾人か見かけたし体験談も聞いていたので、わかってはいた。

もしかして息子もかかる可能性はあるのではと思ってはいたが、口に出すのが怖かった。連休明けに近くの整形外科に行くという息子に、意を決して、ステロイドによる大腿骨頭壊死の可能性があるから、かかりつけの先生から同じ病院の整形外科を紹介してもらった方がいいと言った。

息子はもうその時点で相当落ち込み、この病気についてネットで調べまくっていたが、何もかもが当てはまるといってショックを受けているようだった。

そして今日、レントゲンとMRIの結果、整形外科の先生から、左だけでなく両側とも大腿骨頭壊死だと告げられた。

やはり不安は的中してしまった。

しかも右は放置しても大丈夫だが、左は出来るだけ早く人工関節に置き換える手術が必要だと言われた。詳細は来週の外来でもう一度説明されるとのことだったが、頭でわかっていても心がまだ受け止められない状態だ。

白血病の治療にステロイドは使わざるを得なかった。ステロイドは両刃の剣だというが、その副作用がこんな形で2年後の息子に襲いかかってくるとは...。

最近やっと明るく前向きになってきたばかりなのに不憫でならない。誰を恨むわけにもいかないが、ブログで愚痴のひとつもこぼしたくなるじゃないの。

そうだ!こんな時こそいつものあの歌だ!
「だけど僕らはくじけない、泣くのはいやだ笑っちゃおう!進め~♪」
とは思うもののホントはちょっと泣いちゃいそう...

これからセカンドオピニオンも取りに行くつもりだし、何よりこの病気について詳しく勉強しなくてはならない。患者会や講演会の情報を求めてネット三昧の日々。まだまだサポートは続く。

息子の30歳の誕生日に思う2015年09月16日 21時01分58秒

悪性リンパ腫の母も、急性リンパ性白血病の息子も共におとめ座で血液型はO型です。厳密にはもう息子は移植でA型に変わってしまいましたが(笑)

息子は母にとっての初孫だったこともあり、幼い頃からとても可愛がってもらいました。2人は仲良しなので今年は合同誕生会をすることになり、慌ただしく実家へ帰ってきました。

私は父の介護もあるので数日滞在しましたが、息子は1泊でトンボ返りのタイトスケジュールでした。それでも次の日は会社へ行きましたから随分体力が付いたのだと思います。

お陰様で息子は30歳になりました。30年のうちの12年は白血病と一緒の人生ですが、どうにか折り合いをつけて一緒に暮らしています。

30年前の今日、たくさんの人に祝福され無事に生まれた赤ちゃんがこんな運命を背負っていたなんて思いもよらないことでした。誰のせいでもないけれど親はまず自分を責めてしまいます。

私も告知からしばらくはそうでした。でもそれが治療に何の役にも立たないことがわかると気持ちを切り替えて出来る限りのサポートをしようと前向きになれました。

白血病に完治と呼べる日が来るのかどうかわかりませんが、今傍らで美味しそうにケーキを食べている様子にしみじみとした幸せを感じます。

こんな日を出来るだけたくさん積み重ねていって、気が付けばいつの間にか5年10年が経過していたっていうのが理想かな。

気になることはいっぱいあるけど、悪いことを考えても状況が良くなる訳じゃないから、目の前の幸せを噛みしめて出来るだけ普通に暮らしていこう。

今ICUで頑張っている友人のNちゃんにもこの思いが届きますように、全力で応援しています!そしてまた一緒にドライブしたりお茶したりしようね。待ってるよ(^o^)/

退院から2年経ちました2015年09月05日 09時53分12秒

退院から2年経った最初の外来に行って来ました。

親の目から見ても、今までで最高に身体の調子がよさそうだし、本人の気持ちもとても前向きなのを感じます。先生も本当に元気になったねとおっしゃいました。

血液データは低空飛行ながら安定しています。数ヶ月前から白血球数のみ正常値になり???と思っていたら、基準値の下限が3300に変更されたからだと判明しました。

人間の感覚は不思議なもので数値は変わっていないのに、Lマークが付かなくなっただけで妙に安心してしまいます。ヘモグロビンや血小板の方にはLが付いたままですが、これも基準値が変われば元気になったように錯覚するのかも...(^_^;)

皮膚症状もまずまずなのでネオーラルがまた10㎎減って60㎎になりました。乾燥する冬に入る前に出来るだけ減らしておきたいなと思っていますがどうなることやら。

息子は前回書いた未来プロジェクトで仲良くなった学生さんたちと、11月にリレーマラソンを走る計画を立てています。インドアテニスも週2回に増やし、楽しみを兼ねた体力増進に取り組んでいます。

ここまでなるのに移植からざっと2年3ヶ月かかりました。先生の的確な薬のコントロールや本人ののんびりした性格や家族のサポートなどがうまく噛み合ったおかげだと振り返って思います。

退院後、ともすれば社会復帰を急ぎがちですが、移植患者にとってはこの長い療養期間をどのように過ごすかでその後の人生が変わってくると思います。

事情が許せば出来るだけ長くお休みをもらい、出来るだけ条件を緩和してもらって、社会へ復帰するに越したことはありません。まあ、それが許される人ばかりではありませんが、息子の場合はラッキーでしたね。

世間の認識はガンは手術したらよくなるといった程度で、血液がんのように移植後にさらなる困難が待ち受けているといったものではないでしょう。

職場の理解を得るために自分がどういう病気になり、どうしてこの長い療養期間が必要なのかをわかってもらうために、文書を書いて提出したりもしました。

今も上司から正社員に戻る気はないの?と聞かれたりもするそうですが、それはパワハラではなく経済的に心配してもらっている感じです(笑)長時間勤務への移行は息子の意志に任せてもらえているので、もう少しこのままの生活で様子をみたいと思います。

移植後、何度も再入院を繰り返し、なかなか社会復帰が果たせない人もたくさん見てきました。何もその人たちが特別に不摂生をしたりした訳ではありません。

職場の理解、身体の調子、薬のコントロール、いろんな条件とタイミングがうまく噛み合わないとなかなか難しいけれど、中にはうまくいっている人間もいるんだと気づき、いつかは自分もと希望を持ってほしいと思い書いています。

息子にはまずは次の3年という節目まで無事に過ごしてもらい、私はこのブログの更新記録を伸ばしていけたらと思います。