退院43週目(day376-day382)2014年06月29日 11時06分26秒

退院43週目、移植後はじめての歯医者さんへ。

いよいよ7月半ばからの復職が決定した。勤務条件はほぼ全面的に希望を受け入れてもらえそうだ。お給料は当然減るだろうが、自宅通勤なので何とかやっていけるだろう。まあ、とにかくやってみなはれ。

復職にあたり傷病手当金のことを調べ直すと、1つの疾病に対して1年6ヶ月しか認められてないことがわかった。知らなかった(汗)。今回1年4ヶ月分を受給したことになるので、再々発で休職したらあと2ヶ月分しか残ってないということ?!これは厳しい~。

外来のない週だったので、時間のあるうちに、歯のクリーニングへ行かせることにした。前回の診察で血内の先生に聞いたら血小板値もなんとか正常値に入ってきたので普通の歯医者さんに行ってOKとのこと。

私のかかりつけの先生に事情を話してお願いしたら快く引き受けてくださったが、内心はちょっとビビッてらしたのかな。とても慎重に対応してくださった。

久しぶりに診てもらうと、歯石もだが前歯の裏に虫歯になりかけの部分が見つかった。移植前の検査では虫歯は1本もなかったので抜かずにすんだのだが、その後出来たのかな~?

口腔ケアは口を酸っぱくして言ってきたつもりだが、やっぱり一番しんどい頃は無理だったみたい。ま、今でよかった。あと2回通院することになるらしい。キレイな歯で再デビューだ!

残りの時間を有効に活用するために、またもやリハビリ旅行に出ることにした。旅行中は食欲も増え体重も増えるのに、帰ってくると少しずつ減ってくる。復帰までに55㎏(それでも以前より10㎏減)を目標としていたが、また52㎏台に戻ってしまった。

世間より一足先の夏休みだと思って、スケジュールとお金をなんとかやりくりして行ってこよう。息子もフェイスブックに「思い出作り」と書いていたらしいけど、私にも心のどこかに「この子との思い出をいっぱい作っておこう」という気持ちがある。

もちろんこのまま今後も順調に思い出が積み重なっていくに越したことはないが、今回の再発、移植を経験して人生に絶対ということはないと思い知らされた。

去年の今頃は無菌室の小さな窓越しにしか会えなかった。開放の日を心待ちに病院に通う毎日だった。今は貪欲に、なりふり構わず、幸せな時間を楽しむことにしよう。

退院42週目(day369-day375)2014年06月21日 16時08分48秒

退院42週目、梅雨空のような日本代表の戦いぶりにテンション↘↘↘

体調は悪くないのに何だか息子の元気がない。W杯前は全試合見る!と張り切っていたのに実際は寝てばかり。前評判が高かっただけに日本代表のすっきりしない戦いぶりに気落ちしているみたい。

まあスペインやイングランドですら決勝トーナメントに進めない厳しい現実なのだから日本だけを責めるつもりはないが、結果だけでなく内容が何とも梅雨空のようなのだ。

サッカーはやってみなければわからない。何とか最後のコロンビア戦、もちろん勝ってくれるのが一番だが、誰か何か胸のすくようなプレーをしてくれないかな~と祈っている。

今週は外来の週だった。血液データはほぼ横ばい。ステロイドの減量に伴う影響はほとんど出ておらず低めではあるものの安定している。なのでまた1㎎減って5㎎になった。ネオーラルは変わらず100㎎である。

復職にあたり先生にお願いしていた診断書が出来上がって来たので受け取り、会社に送った。GVHDのコントロールのための免疫抑制剤が切れていないので、復職しても2週間に1度の受診が必要である。

そのために自宅通勤は絶対にお願いしたい。受診日の休暇もシフトに組み入れてもらえると助かるな~。あと短時間勤務。とにかく体重もまだ10㎏以上減ったままだし、体力の低下が甚だしいので、以前のような働き方は無理である。最初はお給料が減っても短時間から身体慣らしさせてもらいたい。

こういうことを会社に伝えるのはワガママなのだろうか?でもがんサバイバーには出来ることと出来ないことがあると明確に伝えないと、かえって混乱を招くことにならないか?とも思う。悩みは尽きない。

息子は最初3ヶ月の休職しか認められていなかったが、厚意により1年3ヶ月待ってもらえた。本人も大変会社に恩義を感じており、復職したら頑張ろうという気持ちでいっぱいなのだが、身体は以前のようには動かない。

これから復職までどういうスケジュールで面接などがあるのかわからないが、白血病を知らない世間一般の人に、自分の病気のことを自分の言葉でどう伝えればいいのかシミュレーションしとかないと。

正しく理解してもらうのってなかなか骨が折れるよね。

退院41週目(day362-day368)2014年06月14日 10時22分28秒

退院41週目、1歳の誕生日は旅空の下。

先週の外来の終わりかけ、先生に「体調が安定しているので明後日から北海道に行ってもいいですか~?」とさりげな~く質問してみた。

先生は「明後日って?それはもう決まってるってことだよね?」と苦笑...でもダメとは言われず笑って許してもらえた(と思う)。

そんな訳で移植後1年の、2つ目の誕生日は北海道で迎えることとなった。1年前の今頃はそんなこととても想像だに出来なかった。

息子は元気になったら、日本の中でまだ行ったことのない場所に行ってみたいと言い、いくつか候補を上げていたが、その中の一番遠いところを選んだ。復職後はそんな休暇を取れなくなるからね。

私も北海道には何度か行った事があったが6月に行くのは初めて。きっとPM2.5や黄砂も飛ばず、梅雨からも逃れてスカッと晴れた青空の下で快適に過ごせるだろうなあ...アスパラガスも旬だし、などと妄想していたのだが。

...なんで蝦夷梅雨なの~(涙)

そういう言葉があることすら知らなかったが地元のお天気キャスターが教えてくれた。しかし雨でも湿度はそれほど高く感じず、空気は折り紙つきにキレイ!

計画していた中で完璧×だったのは函館山の夜景だけで、あとのスポットは奇跡的に一瞬青空が見えたので満足。

格安弾丸ツアーだったのでホテルに文句は言えないが、食べ物だけは贅沢した結果、体重はまた少し増えて54㎏に\(^o^)/しかも心配する私をしり目に、ほとんどの魚介系生ものが一気に解禁になってしまった(汗)

でも帰ってからも、お腹壊したり熱出したりしなかったので結果オーライということで、バースデイツアーは無事終了した。移動にはレンタカーを使ったので、2人のうちどちらかがずっと運転するというハードな行程にも疲れを見せず、体力の回復を実感した。

帰ってからはW杯が始まり、これまたサッカー観戦三昧の日々。全部は付き合えないが、私もついつい観てしまう。当分日中ぼーっとして過ごす日々が続くことだろう。

こんなに幸せでいいのかな?またコワイことが起こるんじゃないのかと不安になる。前回は9年たって起こったもんな。白血病の患者にとって、これでもう大丈夫って思える日は来るんだろうか?

先週号のFRIDAYに大塚範一キャスターの写真と記事が載っており、思わず買ってしまった。タイトルが「生存率3割でも、僕は負けません」となっている。

初発の時期は違うのだが、同じ急性リンパ性白血病で、再発→臍帯血移植の時期がほぼ同時期なので、ずっと気にかかっていた。

写真の大塚さんはステロイドのせいか顔はむくんでいるがやはり7㎏はまだ痩せているらしい。まだ復帰の目途はたたないが、意欲的な様子が伝わってくる。

一般の人が読んでもわかるように記事にしてあるので、産業医の面談の時に資料として持っていけるようスクラップにした。

大塚さんも体調がよくなったら旅行に行きたいって書いてあった。僕は独り身だから一緒に行く人が見つかるかな(笑)ってくだりにはちょっと涙が出そう。

大塚さん、もうすぐきっと行けますよ。旅行は最高のリハビリよ!もう充分頑張っているけど、あともう少しだけ頑張ってくださいね!!

退院40週目(day355-day361)2014年06月06日 21時28分05秒

退院40週目、旅と体重と睡眠の関係を知る。

このところ体調が安定しており気候も良くなったので外出が増え、一泊旅行に出かけることも多くなった。

なぜか旅行に行くと体重が増加し、昼寝をせずに一日過ごすことが出来る。リハビリにはうってつけだと思われる。

体重は53.4㎏で増加の一途であるが、まだ移植前の65㎏には程遠い。以前の服があまりにもダブダブなので、復職にあたりズボンをワンサイズ下げて買い替えた。

食事量も増えたが何より食べるスピードが以前とは全然違う。以前は2時間くらいかかって食べていたが、このごろは30分くらいで食べ終わる。まあそれでも早食いの私に比べればゆっくりな方だが、後片付けが楽になった。

今週は外来受診があった。血液データは大きくは変わらず安定しているが、どれも正常範囲の下限ぎりぎりくらいである。先生にもうおそらくこれ以上は大きく増えることはないだろうと言われた。

まあこれは移植患者の宿命だろう。むしろ血球数を上げることに頭を悩ますより、この状態でいかに感染症などから身を守るかということに発想を切り替える方が現実的だということである。

息子もこの頃は気が緩み、マスクやうがい手洗い・ハミガキなどがおざなりになっているような気がする。まさしくこれらを習慣化することがアンタの生きる術なのに...いい大人なので私があまり言うとケンカになる。

お願い、先生もっと言ってやって!!

ステロイドは1㎎減って6㎎になった。目標値に着々と近づいている。ネオーラルは現状維持の100㎎。

いよいよ復職の為に会社に提出する診断書を書いてもらうよう、今日先生にお願いしてきた。カウントダウンが始まったのだ。

ロングバケーションの残りの日々をリハビリ旅行とサッカーのワールドカップ観戦に費やすつもりの息子である。復職したら旅行はおろか、リアルタイムでTV見るなんて到底できなくなるから。

あんなに苦しい思いをしたんだもの、これくらいは許されるよね(^_^;)

退院39週目(day348-day354)2014年06月01日 16時38分59秒

退院39週目、遊んだり寝たりまた遊んだり。

黄砂やPM2.5の飛来、および5月とも思えぬ高温にもめげず、概ね息子の体調は良好。

私は急に暑くなったのでエアコンの掃除に忙しい。まだ使用してはいないが、窓を開けられない日が続いているのでいざという時の為に早めに準備しておく。

息子は私抜きでの外出が増え、県外に住む友人を訪ねたり、川開き花火大会に出かけたり、精力的に活動しているが、やはり疲れるのか家に居る日はほとんど寝ている。

「少しはお手伝いをしろ~!」と言いたくもなるが、楽しそうな様子を見ているとこっちまで嬉しくなってくる。近頃は生肉、貝、ウニ以外のほとんどの物は食べられるようになった。先日はビュッフェスタイルの店で食事したが、何の異常もなかった。

食事量も増え、3食きちんと食べるのでおやつは食べなくなった。そして晩酌も欠かさず小さめの蕎麦猪口に日本酒を2杯飲む。(いいのか?)

安心してマスクも持ち歩かなくなり、人混みではハラハラするのだが今のところ大丈夫なようだ。ただし野球観戦の風船飛ばしの時だけはマスクをしてもらうようお願いしている。

こんな他愛もない日々の出来事を綴っているだけのブログをとても楽しみにしている友人がいた。更新が少しでも遅れるとすぐにメールで「何か異常があったの?」と尋ねてくれる。

自分も移植患者で慢性GVHDに苦しまれていたのに、常に前向きで出来る範囲で生活を楽しみ、家族を愛し、他の患者さんの心配ばかりしていた。

今日その方の告別式に行って来た。まだ信じられない思い。移植後10年以上も経つのに、再発もなかったのに、なぜ今?GVHDであっと言う間に亡くなってしまった。本人もこんな事になるとは思っていなかっただろう。

移植もそれに続く療養生活も辛いことの方が多かっただろうに、遺影の笑顔の素敵なこと。悲しすぎるよ。息子の回復を喜んでくれる彼女のメールが届かないのに慣れる日が来るだろうか?

移植も出来ずに亡くなった昔の患者さんたちからすると、移植が出来るだけマシ!と怒られそうだが、やっぱり移植は過酷な治療だ。

もっと根本的な治癒を目指せる安全な治療が確立されるまで、息子や他の多くの患者さんたちには一日でも長く生き抜いてもらいたい。

普段このブログに訃報は載せないようにしているのだが、今日は許してほしい。彼女が読んでくれてるような気がするから。

今は痛みからも解放されて安らかにお眠りくださいね(合掌)。

退院38週目(day341-day347)2014年05月24日 09時40分45秒

退院38週目はひとやすみ。

長い旅行から帰って息子は少し自信をつけたようだ。しかも体重を測ると52.4㎏に増えていた。10日間で2㎏ちかく増えるなんてびっくり!旅行は最高のリハビリかもしれない。

外来のある週だったので先生にも報告する。血液データはあまり変化ないが、ヘモグロビンの値がよくなっていたので、愚問とは知りつつも、「先生、ご馳走ばかり食べると赤血球が増えるんですかね~?」と聞いてみる。

案の定、答えは「そんなことはありません(笑)。」でも長期旅行を体調を崩さずに乗り切ったので先生もほっとされているみたい。なので、ステロイドはまた1㎎減って7㎎になった。ネオーラルは現状維持の100㎎。

こうなると具体的に7月からの復職が見えてきた気がする。先生にその旨を伝えると「大丈夫。」とは言われなかったが「無理でしょう。」とも言われなかったので受け入れてもらえたのだと思う。

6月に入ると会社に連絡して産業医の面接を受けなければならない。どんな事聞かれるのかな?最初は時短で身体慣らしをしたいし、2週間に一度の診察日に休めるかなど、色んな条件を受け入れてもらえるのかな?不安は尽きない。

ロングバケーション(?)もいよいよあと1ヶ月あまりになった。思えば昨春、休職願を出したときは3ヶ月という期限だったので、もう復職は無理だろうと半ば諦めて治療に入ったのだが、どんどん延長が認められて気が付けば1年3ヶ月。

会社には感謝してもしきれない。帰る場所があることは治療を乗り切る励みになった。休職中の傷病手当で経済的にも支えられた。

これからはがん患者の就労が単なる個人の問題ではなく、社会全体の問題として捉えられていくだろう。がんサバイバーを受け入れる土壌や仕組み作りも急がれる。がんも増えているが、がんから生還する人も増えているのだから。

息子が順調に復職出来たら、そちらの方面のことも勉強してみたいと思う。

退院37週目(day334-day340)2014年05月19日 15時50分56秒

退院37週目は悲喜こもごもの旅三昧。

外来でOKもらった翌日から帰省の旅に出た。夫が一度しまなみ海道を通ってみたいと言うので、尾道から今治に渡り一泊。翌日徳島を抜けて明石海峡大橋を渡り実家へというルートにした。

運転手が3人いるので交代しながらのんびりと珍しい景色を眺めての旅。移植後もうすぐ1年の記念旅行だ。四国の途中、病棟で一緒だった方のお見舞いに立ち寄った。

うちより半年ほど後に移植した友人のお見舞いには、虎の門病院の谷口修一先生監修の 『やさしいGVHD外来治療の自己管理』の本がいいだろうと思って持って行った。

患者同士というよりは母親同士の付き合いなのだが、久しぶりに会った彼女は少し元気がなく、なんとなく嫌な予感が...。

早期の再発だった。そしてもう少し造血機能が回復したら再移植とのこと。あ~!神様はなんて残酷なの?!しばしかける言葉がない。

とにかく「治療法がないと言われた訳ではないので再移植に望みを託して頑張ろう。生きてさえいればきっともっと良い治療法が出てくるよ。」と励まして別れた。

かなり強力な前処置をしてのバンクからフルマッチの骨髄移植。経過は順調そのもののように思われたのに...うちはバンクに適合者がなく2座不一致の臍帯血で色々トラブルもあり大変だったのに、今のところ再発はない。こればかりは何がどう幸いするのかわからない。

後日、彼女は「話せて少し気が楽になった。まだまだ、まだまだ頑張る!」と前向きなメールをくれたので、私も少しほっとした。福岡からずっと応援してるよ!!

うちだってまだ1年未満なのだからこの先まだどう転ぶかわからない。これが移植という治療の現実なのだ。

実家に着くと母の日の夕方だったので、施設に父を迎えに行って1年半ぶりの再会を祝い会食をした。軽い認知症のある父だが孫の病気のことは覚えていて、目の前の元気な姿をとても喜んでくれた。

主人は実家に一泊して仕事のために新幹線で帰福したが、私たちはその後も一週間滞在した。母の主治医に会って今後の治療方針を再確認したり、父の細々とした用事を片づけたり、実家の片づけをしたり、とにかく超多忙!

それでもしっかり高校時代の友人とも呑み、薪能もちら見してきた。息子と母と親子三代で北陸まで足を延ばして温泉に行くこともできた。

目まぐるしくイベントの多い一週間だったが、一度も息子が体調を崩さなかったのはラッキーだった。外食もよくしたし、生魚もよく食べた。用事も結構手伝ってくれたし、本人もフツーの生活に戻る自信がついたようだ。

帰りは大阪南港からフェリーで帰る予定だった。出航時間が夜なのでそれまでUSJで遊んでいくことにする。トワイライトパス(でも結構高いけど)を買って夕方から入場した。

ジュラシックパークでは恐竜に水をかけられたり、急流を滑り降りしぶきを頭から浴びてびしょ濡れになったりした。私はその水が不潔じゃないかと気が気でなかったが、本人は楽しそうにしていた。またシュレックの4Dでも映像に合わせて座席から水しぶきを浴びせられたりもした。

結論からいうと、移植後間もない患者にはこれらのアトラクションはあまりオススメしない(-.-)

私はバックトゥザフューチャーのデロリアンで思いっきり酔いそうになり、係のお姉さんに「後ろの座席の方大丈夫ですか?大丈夫なら手を上げてください。」とアナウンスされ、息子の顰蹙を買った。

結論からいうと、50代以上の車酔いをする人にはこのアトラクションはあまりオススメしない(+_+)

USJはもうコリゴリの私だったが、帰り際にみた未完成のホグワーツ城にはそそられた。ハリポタのアトラクションが夏に完成らしいので、やっぱり後一回は来てみたいかな~♪

きっともう息子は付き合ってはくれないだろうけど(苦笑)

退院36週目(day327-day333)2014年05月09日 16時38分28秒

退院36週目は息子に風邪を移された(-.-)

息子の風邪はうがいとのど飴と安静のみで徐々に回復に向かったが、少し遅れて私が風邪を引いた。風邪を引くなんて何年ぶりのことだろう。すっかり油断してた(>_<)

私はすぐに市販薬を飲んで丸2日寝ていたら3日目には外出できるようになった。ちょうど4連休だったので助かったが、結局テルマエロマエⅡは観に行けなかった。

息子はまだ鼻をぐずぐず言わせてるが、咳は治まり肺のGVHDを心配することはなかった。退院後初の風邪をなんとか自分の免疫力だけで乗り切ったことになる。ちょっと嬉しい↗↗

今日の外来で、血液データも悪くなかったので、プレドニンがまた1㎎減って8㎎になった。ネオーラルは変わらず100㎎。先生のOKも出たので、週末から遠出を決行することにする。

もう1年以上も帰れていない関西の実家に、私の両親の介護を兼ねて帰省するのに、息子も同行させることにしたのだ。こっちにひとりで置いておくのも心配だし、息子の社会復帰のリハビリや気分転換にもなると思うから。

両親も孫に会えるのを楽しみにしている。私も帰ったら帰ったですることはたくさんあるが、間隙を縫って、高校時代の友達会ったり、薪能を観に行ったりする計画を立てている。いくつ実現するかな~?

そのためにも風邪を完璧に治しておかなくちゃ。風邪のおかげで1週間ウォーキングもお休みしちゃったりして、色々テンション下がったけど、実家でリフレッシュして戻ってきます。

皆様もくれぐれも風邪にはご用心あそばせ。体力落ちる~(+_+)

退院35週目(day320-day326)2014年05月03日 13時29分16秒

退院35週目は油断した。

退院後初めて風邪をひいた。用心に用心を重ねて冬を無傷で乗り越えたのに、何故いま?!原因はわからないが、思い当たる節はいくつかある。

近頃マスクをしたがらない。手洗いうがいも以前ほど厳密にはやっていないようだ。

先週の外来でも口を酸っぱくして言ったが聞かない。病院なんていろんな病気の人が来ているのに危なっかしくて仕方がない。ちょっと元気になるとカッコつけて元気をアピールする、息子の悪いくせ。

その後も乳幼児のいる親戚の家に遊びに行き、ずいぶん長い時間、楽しそうに子どもたちと遊んでいた(いわゆるこどもデビュー)。もちろんその子たちは体調も悪くなかったので私もそこまで注意しなかった。

その2、3日後、まず喉がイガイガし始めた。うがい薬でのうがいを励行すると2日ほどで少し楽になったが、今度は鼻水と声がれと咳が出て来た。熱も36.9℃とビミョーな感じ。ただの風邪だと思うので、今のところは様子を見ている。

この4連休はおとなしくしているようにいったが、友人の結婚式の2次会には行きたいらしい。私は花子とアン(朝ドラ)のブラックバーン校長のように「ゴー・トゥー・ベッド!!」と命じた。

外来のない週なのでこんな時はどうしたらいいのかな~?市販薬とかは勝手に服用できないし、これくらいで休みの日に救急外来も憚られる。

こじらせると肺のGVHDを誘発しないかと心配もする。移植後療養中の患者さんはみんなちょっとした風邪でも判断に迷うよね。

食欲もあるし、熱もないので、私が与えたのは生姜のど飴とハーブの香りつきマスクだけ。あとは暇があればうがいをすること。

たった1㎎プレドニンが減っただけなのに今週は何故かよく昼寝をする。元気アピールもなかなか長続きしない。

連休の人ごみへ出かける皆さん、PM2.5も飛んでるみたいだし、カッコつけずにマスクだけはしようね。初心忘るべからず(^_^;)

退院34週目(day313-day319)2014年04月27日 09時57分17秒

退院34週目、「大泉くん」髪を切る。

退院後1度は髪を切ったが、その後の伸びが著しく大泉洋みたいになっていたので、最近は息子のことを「大泉くん」と呼んでいた。ちなみに顔は似てない(笑)

さすがに彼も伸び過ぎを自覚し、今週は外来の前日に髪を切りに行った。仕上がりはすっきりしたが何だかビミョー...中途半端にくるくるが残りセットしづらそうだ。でもフケは全くでなくなった。

初発の時は3回くらい切ったら元のような毛質に戻ったが今回はくるくるがもっときつい感じ。ま、生えて来ただけでも良かったよ~!贅沢はいいません(ToT)

昔昔の移植は、前処置がもっと強かったため、若い人でも髪が生えて来なかった人もいる。そんな人に命が助かっただけでもよし、なんて酷なことは言えない。その後の人生に大きく関わってくるからだ。

さらに小児のころだと治療の決断は親に委ねられるから、成長して子どもから「こんなことなら移植しなかった方がまし。」などと言われた日には親は悲しすぎる。それは死なせて欲しかったということなのだから。

うちは治療の方針や内容がわかる年齢になっての発病→再発→移植だったから、親としては重荷を一身に背負うことなく、本人と分かち合えたのでまだ救われた。

発病を聞かされた時、自分を責めない親はいないと思う。でもこの病気を正しく理解すれば、自分を責めることが何の役にも立たないことがわかるから、そこから親としての本当の意味でのサポートが始まる。

今週は外来だった。まず循環器内科でレントゲンと心電図の検査後診察があった。結果は良好で安心したが、アーチストは切ることができない。しかし一生服用という訳でもなく、将来的には飲まなくてよくなる可能性は残っているそうだ。明るい気持ちになる。

先生に先週から始めたソフトジョギングについて尋ねてみると、とても良いことだと褒められた。ただ苦しくなるまではやってはいけない、あくまでソフトにとのこと。

何でもウォーキングやジョギングで脚の筋肉を鍛えることで、血液を送るポンプとしての機能が増し、心臓の負担が軽くなるからだそうである。先生のお墨付きで一抹の不安も消え、これからは安心してジョグできる。

次に、血液内科へ行く。血液データは前回とあまり変わらずいい状態。そこで、免疫抑制剤(プレドニンとネオーラル)の減量について今後の方針を聞く。

プレドニンのお陰で食欲も戻り体重も50㎏を超えた。皮膚症状も少し改善したので、10㎎を9㎎に減らすことになった。やはり10㎎とはいえステロイドを長期に服用するには再発リスクや副作用が高まるからだ。

その代わりネオーラルは変わらず100㎎のまま。ネオーラルの方が長期服用のリスクが低いということらしい。このペースだと7月に復職する時にはどちらも切れていない状況になりそうだ。そもそも復職が大丈夫か?

いかんいかん!あれこれ考えても先のことはわからない。過去を悔やんでも仕方ない。今の最善を尽くすしかない。なるようになる!

毎日が休日の息子。とくにGWの予定はない。免疫力UPのために笑える映画「テルマエロマエⅡ」でも一緒に観に行こうかな~♪