「千の風になって」は、いかにして生まれたか?2007年01月09日 12時01分43秒

明けましておめでとうございます。松の内に新年1回目のひとりごとを書かなくちゃと焦っていましたが、年末から世間では暗いニュースばかりが続き、管理人としては明るいネタをさがすのにひと苦労です。

でも世の中そう捨てたもんでもないって思えるのは、リボンの会で知り合った人とのつながりがあるから。周りの人に励まされて今年も一年頑張りますのでよろしくお付き合いくださいませ。

大晦日は生まれて初めて紅白歌合戦を観ませんでした。何を観てたかって?実はフィギュアスケートのエキジビションを観てたの~☆キレイだったわ~☆そして時々TVタックルをチラ見などしておりました。階下のTVでは我家の男どもがワーワー言いながら格闘技ダイナマイトに釘付けです。

でも途中ふと手元が狂ってNHKをつけた時、偶然なんとも心癒されるメロディーが流れてきたではありませんか。途中から聞いたのでよくはわからなかったのですが、千の風になってというフレーズのリフレインが耳に残ったので、早速ネットで調べてみました。

そこでたどり着いたのが新井満さんのつぎのような言葉と訳詩でした。彼のHPから引用させて頂きましたのでご覧下さい。


「千の風になって」は、いかにして生まれたか?     By 新井満

私のふるさとは新潟市です。この町で弁護士をしている川上耕君は、私のおさななじみです。彼の家には奥さんの桂子さんと三人の子供たちがいて、とても明るく幸せな家族生活を営んでいました。ところがある日、桂子さんはガンにかかり、あっというまになくなってしまいました。

後に残された川上君と子供たち三人のおどろきと悲しみは尋常ではありません。絶望のどん底に蹴落とされたのも同然です。なぐさめの言葉を言う以外、私にできることはありませんでした。しかし、そんなものが何の役に立つはずもありません。

桂子さんは、地域に足をつけた地道な社会貢献活動を行う人でもありました。たくさんの仲間たちが協力して追悼文集を出すことになりました。「千の風になって-川上桂子さんに寄せて-」という文集です。文集の中で、ある人が「千の風」の翻訳詩を紹介していました。

私は一読して心底から感動しました。<よし、これを歌にしてみよう。そうすれば、川上君や子供たちや、あとに残された多くの仲間たちの心をほんの少しくらいはいやすことができるのではなかろうか……>そう思ったのです。

何ヶ月もかけて原詩となる英語詩をさがし出しました。それを翻訳して私流の日本語訳詩を作りました。

それに曲をつけて歌唱したのが、この度の「千の風になって」という歌です。

「千の風になって」

私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風に

千の風になって

あの大きな空を

吹きわたっています

   秋には光になって 畑にふりそそぐ

冬はダイヤのように きらめく雪になる

朝は鳥になって あなたを目覚めさせる

夜は星になって あなたを見守る


私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 死んでなんかいません

千の風に

千の風になって

あの大きな空を

吹きわたっています


千の風に

千の風になって

あの大きな空を

吹きわたっています


あの大きな空を

吹きわたっています

いかがですか?まるで神様が私に聞かせるためにリモコンの手元を狂わせたかのようでしょう。この詩を読むと確かに涙は出ますが、決してやりきれない気持ちになることはなく、この世に残された人は救われたような気持ちになると思います。

昨年もたくさんの元気になられた方、前向きに病気と向き合っておられる方、残念ながらお別れをしなければならなかった方がいらっしゃいました。いつももっと何かしてあげられる事はなかったのかと、残された家族や友人の方は自問自答していらっしゃると思います。

そんな方たちにこの詩を贈ってさしあげたいと思います。悲しみはすぐに癒えることはありませんが、この詩のように考えられる日がいつかはやって来ると思うと、少しは心が軽くなりませんか?患者家族会の運営に携わっていると、いつもいつもハッピーなことばかりとは限りませんが、この詩を口ずさみながら一歩ずつ歩き続けていきたいと思います。

定例会が開かれました!2007年01月28日 12時04分14秒

ようやく本格的な寒さがやって来そうな気配です。冬暖かいのは過ごしやすくていい反面、このままじゃ地球の温暖化にまっしぐらかとやや不安になっておりましたので、ちょっとホッとしました。

昨日の定例会は小雨まじりの寒さの中、参加者が少ないのではないかと心配しましたが、たくさんの方に来ていただき終始和やかな雰囲気の中で行われました。

残念ながらE先生は出張のため欠席でしたが、それぞれのグループに分かれて、近況報告や情報交換をしました。先生に最新情報を提供して頂いたり、医学的な相談に乗って頂くのも、大変有難く意義のあることですが、それに甘えてばかりいるのではなくて、患者同士が悩みを共有し、お互いに助け合って、患者として自立していくことが、患者会の本来の目的ではないかと再認識した一日でした。

その後、場所を変え新年会を開きました。いつも遠くから参加してくださるIさんは前回お会いした時よりお顔が明るくて安心しました。

今回は宿をとり、ご主人も後から駆けつけて下さいました。それぞれに仕事を持ち福岡には滅多に来られないというお二人。息子さんの発病→寛解→再発→移植→社会復帰という長い紆余曲折を経て、ようやくここまで辿りつかれたんだなあと感慨一入でした。

お開きの後、「屋台でラーメンを食べて帰ります♪」といって夜の街に消えていくお二人の姿を嬉しく見送りました。うちの息子と同じALLなのでいつも気にかかっていましたが本当によかったですね。毎月のお志のカンパも有難く感謝しています。

今回の参加者の中で印象的だったのは88歳と83歳の男性の患者さんたちです。病型は違うのですが、お二人とも大変若々しく、前向きな考え方をお持ちです。

そして自分の病気を客観的に見る目を持っていらっしゃいます。単なる愚痴の言い合いに終始するのでなく、現状よりさらに快適に過ごす方法を常に模索していらっしゃるように見受けられました。さすが人生の大先輩、教えられることが多々あります。

今はインターネットで簡単に情報も得られ悩みも相談できる時代ですが、定例会に出るといつも、生身の人間が顔と顔をつき合わせて語り合うということの大切さを実感します。病気というある日突然自分にふりかかってくる運命、そのこと自体は自分の努力だけではどうすることも出来ないけれど、病気にどう向き合っていくかでその後の人生の過ごし方は随分変わると思います。

患者会ではアナタはこうすべきだという事は言いませんが、色んな患者さんの色んな体験を聞くうちに、生き方のヒントが見つかるかもしれません。

そして先生からの医学的根拠のある情報がまた生き方の選択肢を広げる裏付けとなっています。この2つのサポートがバランスよく機能している事がリボンの会の強みだと自負しています。

今年もできるだけ定例会を大切にして地味~に息長く活動を続けていきたいと思いました。